♪ポーン

   

あなたにとってプロフェッショナルとは

 

 

なんて番組がありますが。

 


プロってなんだろう?

 

資格がないと名乗れない名称独占資格や、「プロ野球選手」のようにみんなが同じものをイメージするものはあるけど、そうじゃないものってあるじゃないですか。

 

わたしは○○のプロです。

 

そう言ってしまえばそうなる。


にもかかわらず、プロとは言わないことにしてたりもするもの。(言わなくてもいいんだけど)

 

 

 

「こういう人をプロっていうんだよね」っていう条件を、きっと誰もが持ってる。

 

逆に言うと、「こうなるまではプロとはいえない」と、自分の中でしている。

 

そう名乗っていいと思えるだけの

資格を持っている

知識がある

技術がある

経験がある

実績がある

それでお金を頂いてる

それを生業にしている

それにすべてを注いでいる

それで人に喜ばれている

etc.


どこにどんな線を引こうと自由。

したいようにしていい。

 

ただ、「だってそういうものでしょう?」としてるものがあれば、見直してみてもいいかも。

 

自分にとっての‟プロ”とは何を指しているのか。

 

気づいてないだけで、実はプロ級のことがあるかもしれないとしたらそれはなんなのか。

 

 

 

最近、「プロだなぁ」と思う人が周りにいっぱいいることに気づいたんですが。最近かよ

 

その人たちのことをよく見ると、みんな

「プロである」から始めてる。

 

知識や技術や特性は、その時点で多少はあったかもしれない。

誰かに認められたり勧められたことが、そう在ろうとしたきっかけになったかもしれない。

でも、上をみたらきりがない。

失敗や至らないと思うこともいっぱい。

 

そのときから「プロである」をしている。

 

「プロである」をしてるから

経験も、知識も、技術も、実績も、お金も、ついてくる。

 

「プロである」として認識されていく。

 

みんな、あるとき「プロである」と決めた。

言葉として意識に上がってなくても、存在状態としてそうあることにした。

もしくは、気づいたらそうなっていた。

 

今も上をみたらきりがないのは同じ。

失敗や、至らないと思うことも、もっとこうできたらいいなも(たぶん)ある。

そんなこんなもひっくるめて歩き続けている。

 

そんな素敵な姿を見せてくれる人たちです。

 

 

 

「プロだなぁ」と思うとき、私は何に感じ入ってるかというと

 

注力していることを通して喜びの循環を生んでいる

 

これが私にとっての「プロ」の定義。

 

感じ合いたい喜びを

広げていきたいのなら

深めていきたいのなら

高めていきたいのなら

 

まずは自分で自分に認めよう。

 

「わたしは○○のプロである」

 

 

職業になる何かでなくてもいいですね。

 

わたしは関わる人を笑顔にするプロである

わたしはその人の美しさを見抜くプロである

わたしは場をなごやかにするプロである

わたしは夢中を作り出すプロである

などなど…

 

ときに自分を殺しても注力せずにはいられなかったこと

うまくできなくてもやめられないこと

何をしていてもどこにいてもそういえばやろうとしてたこと

 

そんな中に、プロ級のものが潜んでるかもしれない。

自分でそれをそうと認めていなかっただけなのだから、認めてしまえばプロになる。

 

認めてプロとしてあり続けるほど、プロ力(りょく)は磨かれていく。

 

 

そんな私は何のプロかっていうと、

 

‟ひとつ”を表すプロである

もうちょっとわかりやすい言葉求む

 

みんな、もともとひとつ。

だけど‟個”として見えている。

 

違いとして見えるもの

パラパラとあるもの

そこに集まってきたもの

(人や言葉や物語や音楽や自分自身のあれこれも)

 

それらを、どうだったらいい?を見据えて、そのとき生まれるべくして生まれる‟ひとつ”にフィットさせていく。

 

ときに自分を殺しても注力せずにはいられなかったこと

うまくできなくてもやめられないこと

何をしていてもどこにいてもそういえばやろうとしてたこと

 

今は、‟本当の音”に耳を澄ましながらやっています。

 

個のひとりとしてなんとかしようとするのでなく

共にある人・もの・ことたちと一緒になって。

 

 


物語の素晴らしさを伝える表現のプロたちと共演してきます。