自分を責めることは

自慢じゃないけど息をするようにしてきました。

 

 

 

自分を責めるのが苦しさのもとだとわかってからは、やめたくて仕方がなかった。

 

「自分を責めてもいいことなんてひとつもない」

「一番やっちゃいけないのは自分を責めること」

「自分責めはもう卒業しよう」

 

そんな言葉がいっぱい目に入ってきて

どうしたらやめられるのか?

食い入るように知りたがったこともあるし

 

んなことはわかってる

できないから困ってるんだよ!って

イラついたりもしました。

 

何をしたところで

結果自分を責めてしまう。

 

責めるのをやめるためにやっていたことは

自分を責めるネタになっていきました。

 

 

 

それでも私は、そういう自分でいることがやっぱり嫌で。

 

嫌だな~と思いながらなんだかんだとやってみて、やっぱり責めるネタになるブーメランをくらいながらも一番良かったのは

 

自分の中の自分を責める声を聴くこと

 

でした。

 

聞き入れはしない。

でも、聴く。

その言い分を。

 

 

 

なんでそんなことを言うの?っていうと、

もう「大好きだから」にしかならなくて。

 

それもひとつの愛のかたちだったのか。

 

ややこしいな!

 

でも、そういう私もわかりやすい愛の表し方はできないほうなのだから、似た者同士じゃないか。

 

そんな和解が起きました。

 

 

 

今も私の中には、

いわゆる自分を責める声が

湧くことがあります。

 

これはこの先なくなるのか

ずっと付き合っていくものなのか

わからないです。

 

でも、そこにのまれなくなった。

 

声が湧いてんなぁ…

以上。

 

時にのまれることも自ら選べるようになった。

 

のまれるというか、ただただその‟感覚”と共に居る。

排除しなければならないものでも

怖いものでもないのだとわかったから。

 

 

 

自分を責めることをしなくなる

というか

その声があっても差し支えがない。

 

そういられているのは

自分の中の自分を責める声を聴いたことも

大きなきっかけだけれど、もうひとつ。

 

そういう状態はよくないからなんとかしなくちゃ

ではなく

どういう状態にあっても

私の存在力を信じてくれる人達と

話をし続けたこと。

 

これはとてもとても大きな恩恵でした。

 

 

 

私もそんな風に

相手への信頼を注ぐものであろう

と思ってます。

 

信じるパワー

ともに生きるパワーって

ほんとにほんとにすごいのですよ。