小さい頃から、特にこれと言った夢がなかったです。
しいていうなら「お嫁さん」だけど、それもなんか恥ずかしくて、小学校の卒業文集には「ピアノの先生」って書きました。
ピアノが上手だったので友だちからは
「愛ちゃんはピアノの先生でしょ?」と。
じゃぁそれでいいかって。
それっぽく書けてしまったのだけど
1mmもなりたいなんて思ってなかったです。
そしたら、出席番号ひとつ前の子が「お嫁さん」って書いてた。
またそれがすごく素敵な作文でした。
私はなんで恥ずかしいって思ったんだろう?
私も素直に「お嫁さん」って書けばよかったなって、とっても後味が悪かった。
その頃から
夢ってこういうものでしょ?
求められる姿ってこうだよね?
っていう何かに沿わせよう、応えようとする気質がありました。
それが今、相手の言いたいことや想いをくみとろうとする面で生きてもいるから、その気質に良し悪しはないのだと思います。
喜ばせたい人がいたのかな。
それをしなくても喜んでくれたかもしれないよ。
求められてる(であろう)ことに応えられなかったらどうなると思ってたんだろう?
求められてるであろうこと、世間で良しとされていることに応える。
そうじゃない生き方でも大丈夫だよってことを、私は今証明したいのかもしれないです。
ピアノの先生にはなってないけどピアノは続けております
今は夢というのかわからないけど、こんな世界を見たいって願いはあります。
ありのままでみんなが生かされて
お互いを尊重しながらつながる世界
その願いはあの頃もうっすら持っていたものです。
「みんなと仲良くいたい」っていう言葉で。
人はそれぞれになんだかんだ変わらないものがあって。
どんなに道をそれたように思っても
いつかはそこに戻るようになってる。
そんな気がしています。