昨年の夏、18年連れ添った愛犬が世を去った。
愛犬はジャックラッセルテリアだ。
名前はリッキー🐶
彼女🐶は
お腹に大きな癌が出来、それがお腹を突き破り10日間の苦しみの後、朝方に息を引き取った😢
10日の間私は共に心が張り裂けそうな毎日だった。
「リッキーちゃん、辛いね。苦しいね。
お水が欲しい?
お薬飲もうね。痛み止めの薬を飲もうか。」
そう言ってスポイドで胸に抱きながら少しずつ与えた。
でも、言葉はなく、痛いのか
う〜ん う〜ん
と唸る。
言葉がないから私は彼女の必要を思いやり、
こうして欲しいかな
ああして欲しいかな
と心を悩ませる😭
そして、8月7日の早朝
静かになっていた🐶
18年生きたのだから悲しむのはやめよう。
苦しみから開放されたのだからそれで良かったんだ
と自分に言い聞かせる。
でも、亡くなった後でも、もっとしてあげることはなかっただろうか。
あの時、水がほしかったのではないか
などと考える。
ペットは文句なしに可愛い。
それで、今、後悔がよぎる。
そこで考える。
人間関係に当てはめた時。
本当の思いやりや愛とは、
言葉がなくても相手の必要に応えることなのではないだろうか、と。
もちろん、「過ぎた思いやり」は
ともすると「おせっかい」になり得る。
だから「相手の」「本当の」必要や願いに対して「思いやる」ことに鈍感になってはいけないのだ、と。
例えば、
妻は疲れてるのかな。洗い物を僕が引き受けよう、など。
夫は今日は疲れてるようだから、あまり話しすぎるのはやめよう。
お茶を入れて欲しいかな。
会社で何かあったのかな。
などなど。
互いがそうなるならきっと愛ある夫婦になるに違いない。
ペットや子供には出来る優しさも配偶者にはできているだろうか。
今日は、愛犬のことを考えていてふと思い出したことについて書いてみました。
こんないろんなことについてのおしゃべりも受け付けますよ😁
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