私は、平成12年に顕正会に入信し令和2年頃まで組織に属し活動しておりました。

しかし、組織・個人に対しての不信感があり、特に思っていたのが「この人達は本当に地涌の菩薩なのか?」との疑問でした。   
特に酷かったのが、妻の組織の人の言動でした。詳しい内容は伏せますが、とても地涌の菩薩どころか人としてもあり得ないものでした。

男子部で活動していた時に創価学会員と対論した際、こちらは三人、相手は四人でした。その時の内容をありもしない話しに変え、総幹部会で登壇した当時の部長。

さらには班長会で発表した当時の班長。

それまでに読んでいた顕正新聞の内容で「これは本当の話なのか?」と疑問に思うような記事もありましたが、まさか嘘の発表を掲載などはしない だろうと思っていた考えが変わるきっかけになりました。

その様な事が重なり、いつの頃からか「顕正会は正しい団体だからこのような獅子身中の虫のような人達が出てくるんだ」と、思っていた気持ちが「この人達が地涌の菩薩なら自分は地涌の菩薩にならなくていい」と思うようになり、令和2年頃から組織との連絡を絶ち組織から離れました。

組織を離れるのに戸惑いはありましたが、自宅で勤行を続けながら元顕正会員のいろんなブログをみていると、自分と同じような体験をしている元顕正会員が大勢いたのだと気付きました。

その様な生活を続けていた令和4年の冬頃から、勤行をする時に左手の指先が痺れる様になり、少しづつ症状が広がって行き、同5年の夏には両腕の肘から指先まで痺れる様になり、痛みも伴ってきて、勤行の時、両手を合わせた状態を保つのが困難な程の強烈な痛みを感じる様になりました。

勤行を終えると痛みは消えるので、日常生活に支障はありませんでしたが、「さすがにこれは、組織から離れた罰かもしれない」と思うこともありました。

そして、同年11月に顕正新聞で浅井会長の臨終を知りました。 

その時は、本当に悲しく、涙したことは今でも憶えています。

悲しみが癒えぬまま時が過ぎて行くに伴い、一つの疑問が湧いてくるようになりました。

それは、浅井会長が主張する血脈の断絶についての「私は、来るべき時が来たならば全てを話す。」という浅井会長の発言でした。

後任の浅井城衛会長にもその内容を引き継いでいるというような発言はな く、最も大事な御相承に触れない姿勢に納得がいかず、インターネットで 顕正会について調べ始めました。

そして、私が入信したとき壮年部長をしていた I さんのブログを見つけました。

Iさんが宗門に行ったことは何年も前に聞いており「どうしてあの I さん が?」と、不思議に思っていたことを思い出しました。

ブログを読み進めていくと、顕正会が発行していた「試練と忍従の歴史」は嘘だらけだと書いてありました。

にわかには信じられませんでしたが、「顕正会の言う事だけを信じて盲信していた」との言葉が、自分にも当てはまるのではないかと思い、居ても 立ってもいられない気持ちから本年、令和6年3月28日、百貫坊に電話 を入れ、その日の内に I さんと直接連絡しあえる様になりました。

最初は宗門にも間違った所があり、どれ程の割合かは解りませんが、顕正会にも正しい所はあるのではないかと思っていました。

しかし、私がかねてより抱いていた疑問を電話やLINEで質問していくと、次々に資料・文証をもって答えてくださり、血脈相承・国立戒壇・正本堂 に関わる数々の疑問。遥拝勤行・日顕上人に関わる裁判・妙信講解散の理由・宗門僧侶の堕落等々全てが、顕正会浅井会長の嘘と捏造であったと気 づきました。

そして、本年5月19日。 

日蓮正宗総本山 百貫坊で御授戒を夫婦揃って受けることが出来ました。

御授戒を受けている最中は二人とも涙が止まらず、これで本当に大聖人様 との縁が出来たと命で感じました。

そして、その日の午後から行われた御開扉に参加でき、生きている内にお会いするのは難しいだろうと思っていた本門戒壇の大御本尊様にお会いすることができました。

その後、本当の事も知らずに誹謗していた日達上人・日顕上人のお墓にお 参りし、とんでもない思い違いをしていたことを心から懺悔しました。

それから宝物殿に行き貴重な資料を見学いたしました。蟇目の矢のレプリカを見た時は想像していた物より大きく、この様な物を射られても屈しな かった熱原法華講衆の信心に改めて感動しました。

その日の感動は素晴らしく、大石寺を出発して家に帰るまでの道中約700キロがあっという間に感じるほどでした。


そして、五座・三座の勤行(宗門古来の正式な勤行)を続けているうち に、あれ程痛かった両腕の痛みが段々軽くなり、6月末から7月に入った 頃には全く無くなりました。

本年10月の支部総登山にも参加できるよう宿の予約、有給の申請も済ませました。

 今回も車で往復約1,400キロ走りますが、戒壇の大御本尊様にお会いしたい、大石寺に行きたいとの思いで自分から進んで行くのです。
顕正会が言うような、不敬の御開扉・登山ではありません。


元男子部 31隊組長  T・I