生まれつきの凡人サラリーマンが夏休みの毎日を送れている理由

生まれつきの凡人サラリーマンが夏休みの毎日を送れている理由

生まれつきの凡人を自負する元サラリーマンである僕、ヒロが、
どうやって脱サラを果たし、毎日が夏休みのような自由な日々を謳歌できているのか。
その秘密をあなただけに教えます

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こんばんは、ヒロです^^



僕は、これまでの人生の中で、
多くのことを諦めてきました。



それは、
幼い頃欲しかった玩具やゲームだったり、
裕福な生活だったり、
あるいは理想の恋人であったり。



きっとあなたにも、そんな風に、
『何かを諦めてしまった』ことがあるはずです。



そのことを少しイメージしてみてください。



当時、とても嫌な気持ちを抱いたでしょうし、
今思い出してもいい気はしないと思います。



では、あなたはこれから先も
そんな『諦める人生』を送り続けますか?



「そんなのは嫌だ!」



きっとあなたはそう思います。




では、諦めずに『物事を達成する』
人生を送るにはどうすればいいのか?



『挑戦することをやめない』




これだけです。



何かテクニックのようなものを期待していたあなた、
ごめんなさい(笑)



でも、本当にこれだけなんです。




「そんな馬鹿な!?」
と言うあなたのために、
例を挙げたいと思います。



今でこそ有名なケンタッキーフライドチキンですが、
その始まりは、カーネルが経営するガソリンスタンドの
隣の小さなレストランでした。



素晴らしいサービスで繁盛したレストランでしたが、
1939年、火事によりスタンドごと全焼。



普通の人ならここで悲嘆にくれることですが、
カーネルは一味違います。


1941年、全142席という大レストランをオープン。



今ではおなじみのチキンが大評判となり、
たくさんの客が彼の店を訪れました。



しかし、1950年代、ここでもまた彼に悲劇が訪れます。



時代はハイウェイ建設ブーム真っ只中。
順調に動いていたサンダースカフェのすぐ隣に、
ハイウェイ75号が建設されました。



客数は大きく激減し、
カーネルは引退を強いられます。



この時点で、彼の年齢は還暦を迎えていました。



ほとんどの人がビジネスを人に売り、
隠居を考える歳です。



でも、カーネルは『違いました』



自分にフライドチキンを人々に食べてもらうことを『諦めず』、
そのレシピを人に売るという方法、
当時としては珍しいフランチャイズビジネスを思いつきます。



そして、車に調理器具と材料を詰め込み、
アメリカ中のレストランを回り始めました。



そしてその結果は、あなたの知る通りです。



今ではKFCは世界的な企業になっています。



彼は、何度障害にぶつかろうとも諦めず、
フライドチキンを伝え続けたのです。



カーネルは、六十歳を超えてなお、
挑戦し続けました。



そして最後には、
大きな成功を収めたのです





遅すぎるということはありません。



できないということもありません。



諦めずに挑戦を続けてください。



そして、成功に繋がる道を探り続ければ、
『必ず道は開ける』はずです。