うわあーー夏が来てしまう!もう6月になってしまう!毎年来る夏が好きだ。意味もなく出窓を開け光を直視したくなる。暗い部屋にいると夏の痛いくらい強い光を、そのせいで顕著になる色彩のコントラストをどうしても鮮明に思い出すことができない。わたしは堪らなくなって窓を開ける。眩しさで目の奥が痛くなって(あと普通に暑い)窓を閉める。しばらく経って繰り返す。その一連の行動を客観的に見た自分が呆れるところまでがセットだ。夏が好きなのである。


   友人からのLINEで目が覚めた。「夏だよ!扇風機を出した!」
   なんて無邪気な連絡だ。おそらくこの友人は上記のわたしの心情を理解してくれる。「夏ってたまに時間が止まったような感覚にならない?」と返信した。分かってくれるはず。




   春。すっ飛ばしてしまった。以前秋をすっ飛ばした。懲りないやつ。でもこうして文章を書き起こす内容が見当たらなかったのだからしょうがない。そもそもブログというものに慣れない。専ら手書きの日記派なのだ。なので最近の日記を書く頻度は反比例。文章で何かを伝えたいというより書くことが好きなので意味を成す文章が得意じゃない。意味のない文字を羅列させたい。
   そもそも生活の中で起こった主な出来事や感情を表に出すということに臆している。日記に記した主な事項は箇条書きにしても1ページには収まらない。でもこの中でわたしが発信したものはない。出来事が人目に触れた瞬間、わたしのものでは無くなってもう取り返せないような気がするのだ。

   だが何故かわたしは自分だけで抱えたくない、とも思ってしまう。矛盾している。大いに矛盾している。誰かつっこんで頂きたい。だからその出来事に関連する当たり障りのないことを放出させているのだ。わたしがよく言う「部屋を掃除しました」といった具合に。(どうして掃除したのか?というのは自分の中で留めておきたい)おかげでわたしは掃除好きと思われていた。これは意表を突かれた。何故ならわたしは掃除が苦手なのだから。

   苦悩している。


   更新が久々になった長い言い訳です。ごめん遊ばせ。





   例の、夏に訪れる時間が止まった瞬間、わたしはベッドに倒れ込んでいて動いていないはずの自動車の通過音を聞いて、頭の回転もそこそこに夏だなぁなどと大袈裟に呟こうとする。眼球だけを動かして本日の予定を考える。台頭するもどかしさに半ば強制されてキッチンへ向かう。クッキーを作った。30分程度で完結することがやりたかった。実際1時間かかった。

   次の日わたしは出先にそのクッキーを持っていった。クッキーを所持しているというだけで数時間後が楽しみになる。それだけでもう、1時間かけた甲斐があるな。
   その日心ないことを言う人に出会った。九分九厘受け流したがほんの一欠片がやけにしんどい。自分の機嫌は自分で取れと心の中で舌打ちしながら自らにも唱え窘める。これはわたしのモットーの一つだから。怒りの感情は本当に疲れる。
   ただ今日のわたしは大丈夫だった。なんてったってクッキーがある。今持っているものを食べ切っても家に帰ればまた食べることができる。結構な量を焼いたもんだから今日明日じゃ無くならない。
   無くならないクッキーというのはなんて素敵だ!

   最後の一口を食べたときには、わたしは穏やかに明日の予定を考えていた。





   友人からLINEが来た。
   「いや、それは分からん」

   分からなかったようです。無念。



   またね。