「わたしは波津の子孫なの?人魚の血を引く・・・・・・?」


わざわざ訊かなくても解っていた。海音が本当に訊きたかったのは、母のことだった。


抱きしめてくれてくれる冴子の肩に、感情の芯が凍えて何もかも無くしてしまいそうな頭を乗せる。


「冴子さん、母のことを教えてください」


冴子の喉の震えが伝わる。


「名前は・・・・・・?どんな人だった?」


「----凪子さんっていって、同級生だった。海音ちゃんと一緒で優しくて頭が良くて綺麗で・・・・・・」


冴子は一旦言葉を切り、海音の両頬を包みこんで、微笑んだ。


「少し、気が強かった」


つられて海音も笑みが零れた。初めて訊いた母のことがとても嬉しかった。


「波津が産んだのは女の子で・・・・・・。その後の子どもたちも女の子しか産まれてこなかった。そして出産すると母は死んでしまう。しかもなるべく繋がりの深い血筋の男性とでしか身篭ることができなかった。粉浜家が衰退していったのは、それが原因だと訊いたわ」


それでも、なお一族の血筋を守ろうとする嵩晃の執念と冷たい瞳を思い出し、海音は身体が竦んだ。


「何代か前から、まだお腹に子どもがいるうちから婚約者を決めるようになっていたようよ。でも凪子さんは従わず家を飛び出して、一族と全く関係の無い男の人の子を宿した」


凪子は突然姿を消し、一族の見つからない場所で海音を産んで命を落とし、父が海音を粉浜家に返した。


「冴子さんはなにか知ってる?わたしのお父さんのことを」


「ごめんなさい、そこまでは・・・・・・。わたしの家族も昔からこの土地に住んで粉浜の分家である安立に嫁いだけれど、多分わたしの知っていることなんてほんの表面だけだと思うわ」


「そう・・・・・・。でも、お母さんの名前が解っただけでも嬉しい!」


ずっとずっと知りたかった、母の名前。


嵩晃の口から語られることが無かった、母の名前。


海音の胸は仄かな灯火がともったようにほんの少し暖かくなった。


「海音ちゃん、嵩晃さんが凪子さんのことを話さなかったのは・・・・・・、嵩晃さんが凪子さんの婚約者だったから----」


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海音は身じろぐことさえできず、冴子の話に耳を傾けていた。


長く話したせいなのか少し疲れた色と苦しさの入り混じった顔で、冴子は海音の手を包み込んでくれている。


「----人魚の血を飲んだ波津は見る間に元気を取り戻していったそうよ。そして器量も良く、病弱のせいで長く外に出たことがなかったから肌も心も純粋で溢れ出る程無垢で美しかったから、たちまち遠く離れた地まで評判になり、父親は早々に隣の村の豪商の三男を婿入れさせたわ」


「そんな・・・・・・、予吉さんは?」


最後の方の言葉を遮るように、海音の呆然とした呟きに冴子は僅かに視線を落とした。


「二人は、・・・・・・確かに予吉は波津を深く愛していたと思うわ。でもとても一緒になれる身分では無いことはお互い充分承知していた。波津も病気のせいで散々心配をかけていた両親の言うことに首を縦に振るしかなかったのよ」


海音はもうなにも言うことができなかった。


自分だって、一族の血を絶やさない為だけに引き取られた存在だったから。


「波津が婿をとって、暫くして予吉も結婚したわ。ずっと縁談の話があったのを先延ばしにしていたのよ。相手はもちろん親が選んだ女の人をただ受け入れただけ」


冴子は大きく息を吐いた。


「・・・・・・、その後のことはわたしも実は詳しく話してもらったことが無いの。波津の夫は一年半程で病死して、子が無かった為再婚し、その夫も二年程で亡くなって・・・・・・。結局、血の近い分家の一人を婿に迎えたの」


「予吉さんは?」


「----波津さんの二人目の夫が死んでから、すぐ後漁の最中に事故で死んだそうよ。・・・・・・波津も結局、分家の夫との間にようやくできた子どもを産みおとすと同時に死んでしまったわ」




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袂から取り出した手拭いを広げて、親指の爪程の血の染みを見た。


湯では、血は溶けない。


先に水に浸そうかと思った途端、血の染みがとろりと意思を持った液体になり湯のみの中に垂れ落ちていった。


「あ・・・・・・」


驚きに身動きはできなかったが、ひくついた喉から声とも空気ともつかない喘ぎが漏れ、予吉は染み一つ無い手拭いをただ見つめた。


自分のしようとしていることは、正しいのか?


それとも、罪深いことなのか?


波津を助けたい、その思いだけが予吉を衝き動かす全てだった。


罪ならば受け入れ、どんな罰も受ける覚悟はできている。


決して結ばれることの無い波津に懸想したときから、どのようなことでもして差し上げたいと心に決めた。


湯を注ぐと血は固まることなく、薄紅色に広がり濃厚な甘い香りが部屋中に満ちた。


振り返ると波津は目を閉じ、酔ったように香りに身体を委ねていた。


「波津さま」


予吉は湯のみを持ち、波津の肩をそっと抱いた。


「予吉・・・・・・」


「わたしは、波津さまのものです。波津さまが元気になられて婿を迎えて、・・・・・・わたしも家の為いずれ妻を娶りましょうが、ずっとお慕いしております。波津さまの幸せだけを願って生きていきます」


「予吉?」


突然の言葉に波津は夢のような心地よさから突き放されたようで、驚いて顔を上げた。


「あなたは元気になり幸せになるのです。さぁ、お飲みください」


予吉の切ない笑顔に促され、湯のみを両手で握り締め中身を見つめる。


甘い誘惑を湛えた香り、魅入られる鮮やかな薄紅色は幸せを映すように透き通っている。




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