097. 手書きの文字
メモ用紙を使おうとしたら、ボールペンの文字あとが残っていた。
あの人がここにきて、書いた、
自分が台本を書いたというお芝居のタイトル。
と、場所と、時間。
役者はしないのですか?
と、きこうと思ったけれど、きかなかったことを思い出した。
あたしはあの人が、舞台で何かを演じるのをみたことがなかったから。
確か、少し前までは役者もしていたときいたのに。
単純に、お客なだけのあたしが、尋ねる事でもない気がしたのだ。
でも、考えてみたら、変に気を回し過ぎていたかもしれない。
普通に尋ねてもいいことだったかもしれない。
あたしは、なんだかいつも、この人に、変な気をつかっている。
それが心を曇らせる。
いつも一緒に芝居をしている女友達は、
親し気にあの人に話しかけ、あの人の肩を、いやだぁ、と言って、
ばんと叩いた。
あの人も、楽しそうにしている。
あたしにはわからない芝居の話や、仲間内の話題になるたびに、
あたしには入り込めない空気がそこにあって、
でも、しんと押し黙るのも辛くて、にこにこお母さんのように笑いながらきいていて、
なんだかそれも苦しくなって来ていて。
三人ではいたくないと思い始めた。
彼女に悪気はないとわかっている。
しかも。
あの人が、あたしの彼だ、というわけでもない。
彼女の芝居を見に行って、そこで出会ったひと。
あたしの心にぽっかりと浮かび上がったものを、まだ、誰にも言葉にしていない。
きいたこともないけれど、もしかしたら、彼女も、あの人を好きなのかも知れない。
だって、いつも傍にいるもの。
もしかしたら、もしかしたら。。と、
そればかりがどこからか落ちる枯れ葉のように吹きだまる。
そんな毎度の、どうどう巡りに疲れてしまって、
小さな冒険をしてみようと思った。
あの人に、今、お暇ですか。
と、メールしてみた。
今まで、お互いの事は殆どメールした事がなかった。
共通の友達の彼女の事や、お芝居の事、仕事の事くらい。
『今日は仕事の後稽古です』
そんな返事がくる度に、また彼女に会うんだなと思ってしまう自分がイヤだった。
送信したあと、子供のようにどきどきしていて、自分でも呆れてしまった。
なかなか返事が来ない。
来ない、と思いはじめると、気になってしょうがなくなる。
逸らそうといろいろな事をしてみる。
立ったり座ったり、でも結局、携帯を開いている。
....何やってるのかしら。
関係のない友達のメールがきていて、返事をしていなかった事に気がついたので、
それに返事をしようと、打ち始めたとき、
着信のサインが点滅した。
あの人からだった。
暇ですよ!
そっけない、いつもの短い短い返信。
暇ですよ、って、『どうかしたんですか』くらいあってもいいのに、
と思ったところで、
あたしは自分のいけないところに気がついた。
何処かいきませんか、
ってあたしがきかなきゃいけなかったんじゃない。
少しがっくりきて、あたしはその言葉を返信した。
『いいですよ。どうします?』
また感情が読み取れない返事がすぐ飛んで来た。
あたしも、そのメールのように、感情をセーブして、返事をした。
結局その後、あの人は、あたしの近所まできてくれて、
二人で当たり前のように、映画をみた。
あたしは特に、なんでもよかったので、
やっぱりあの人の趣味に合わせてしまった。
あの人の好みの話題を振れないので、
うんうんといつものようにあいづちを打っているのに気がついて、
何やっているんだろうとまた少し悲しくなった。
『家、近くなんですか?』
いきなりあの人が歩きながら言った。
近くですと言うと、
『じゃぁ、送りましょう、もう暗いですから』
いきなり言い出して、あたしは焦った。
極力顔色を変えないように、あの人を見上げると、
けろっとしてにこにこ笑っている。
あたしは混乱した。
だって一人暮らしの女の部屋よ。知ってるはずよ。
どういうつもりなの???
でも、すぐに、あたしは『暗くなったら、女性を送り届ける、紳士な人なんだ』
と決着をつけた。
そのまま、なんとか緊張しながら部屋まで辿り着いた。
『綺麗なマンションですね』
あの人はにこにこしながら言った。
あたしはまた、混乱しはじめた。
お茶でもいかがですか、
そう誘うべき???
でも、いきなり部屋に誘うなんて、変な女だと思われないかしら。
物欲しそうなんて思われて、そういう女だなんて位置づけられたら。
でもでも。
きっとこんなチャンスもうないかもしれない。
あの、せっかくですから、お茶でも。。。
変に上ずった声で言ったあたしに、
あの人はでも、悪いですと何度か躊躇って、お約束のようにあたしも誘って、
じゃぁちょっとだけ。
そう言って、あの人はお邪魔しますとうなづいた。
あの人は、その後も、あたしの余計な思惑を後目に、
今日見た映画の事などを本当に楽しそうに語り、
あたしの煎れた紅茶をおかわりし、部屋にあった実家の猫の写真を誉めた。
そして、
『あ、そうそう。あのね。今度。僕が書いた本で、芝居をするんです。
見に来てくれますか??』と、言った。
勿論いきます、と答えると、
『えっと、.....まだ先なんだけれど。何か書くもの借りていいですか?』
メモパッドとボールペンを差し出すと、そこに、題名をかきはじめた。
『詳しい事はまたメールしますね』
それから暫くして、あの人は『お邪魔しました』と、あっけなく普通に帰って行った。
不純な動機の満ちあふれていた自分が、なんだか恥ずかしかった。
そのメモを大切にあたしは剥ぎ取って、自分の手帳の中に仕舞い込んだ。
どっと疲れてしまった。
『この間は楽しかったです。ありがとう。』
あたしもまけずに、最近は短いメールを飛ばす。
『僕もです。また映画行きましょう』
社交辞令なんだかなんなんだかわからない返事が、相変わらずかえってくる。
思えば、いつも芝居は、友達経由で話が回って来た。
今回は違う。あの人が、『来て下さい』と、誘ってくれたのだ。
それだけでも大きな収穫だと思った。
友達から電話が来て、メモを取ろうと思った。
メモパッドを見たら、筆圧が紙に残っている。
あの人の文字のあとだ。
そう言えば、あのメモの文字がとてもくっきり濃かった事を思い出す。
それは、タテに厚く重なったメモの、何枚も何枚も紙を貫くように残っていた。
『ちょっとまって』
あたしは電話口の友達を待たせて、何枚も紙をめくり、
何も残っていないところまでいって、そこに書き込んだ。
なんだかよくわからない人だけれど。
くっきりと、消えない文字をここに書き残すチカラを、
あの人は持っている。
少しずつ、主張していこう、と、あたしは思った。
あの人がここにきて、書いた、
自分が台本を書いたというお芝居のタイトル。
と、場所と、時間。
役者はしないのですか?
と、きこうと思ったけれど、きかなかったことを思い出した。
あたしはあの人が、舞台で何かを演じるのをみたことがなかったから。
確か、少し前までは役者もしていたときいたのに。
単純に、お客なだけのあたしが、尋ねる事でもない気がしたのだ。
でも、考えてみたら、変に気を回し過ぎていたかもしれない。
普通に尋ねてもいいことだったかもしれない。
あたしは、なんだかいつも、この人に、変な気をつかっている。
それが心を曇らせる。
いつも一緒に芝居をしている女友達は、
親し気にあの人に話しかけ、あの人の肩を、いやだぁ、と言って、
ばんと叩いた。
あの人も、楽しそうにしている。
あたしにはわからない芝居の話や、仲間内の話題になるたびに、
あたしには入り込めない空気がそこにあって、
でも、しんと押し黙るのも辛くて、にこにこお母さんのように笑いながらきいていて、
なんだかそれも苦しくなって来ていて。
三人ではいたくないと思い始めた。
彼女に悪気はないとわかっている。
しかも。
あの人が、あたしの彼だ、というわけでもない。
彼女の芝居を見に行って、そこで出会ったひと。
あたしの心にぽっかりと浮かび上がったものを、まだ、誰にも言葉にしていない。
きいたこともないけれど、もしかしたら、彼女も、あの人を好きなのかも知れない。
だって、いつも傍にいるもの。
もしかしたら、もしかしたら。。と、
そればかりがどこからか落ちる枯れ葉のように吹きだまる。
そんな毎度の、どうどう巡りに疲れてしまって、
小さな冒険をしてみようと思った。
あの人に、今、お暇ですか。
と、メールしてみた。
今まで、お互いの事は殆どメールした事がなかった。
共通の友達の彼女の事や、お芝居の事、仕事の事くらい。
『今日は仕事の後稽古です』
そんな返事がくる度に、また彼女に会うんだなと思ってしまう自分がイヤだった。
送信したあと、子供のようにどきどきしていて、自分でも呆れてしまった。
なかなか返事が来ない。
来ない、と思いはじめると、気になってしょうがなくなる。
逸らそうといろいろな事をしてみる。
立ったり座ったり、でも結局、携帯を開いている。
....何やってるのかしら。
関係のない友達のメールがきていて、返事をしていなかった事に気がついたので、
それに返事をしようと、打ち始めたとき、
着信のサインが点滅した。
あの人からだった。
暇ですよ!
そっけない、いつもの短い短い返信。
暇ですよ、って、『どうかしたんですか』くらいあってもいいのに、
と思ったところで、
あたしは自分のいけないところに気がついた。
何処かいきませんか、
ってあたしがきかなきゃいけなかったんじゃない。
少しがっくりきて、あたしはその言葉を返信した。
『いいですよ。どうします?』
また感情が読み取れない返事がすぐ飛んで来た。
あたしも、そのメールのように、感情をセーブして、返事をした。
結局その後、あの人は、あたしの近所まできてくれて、
二人で当たり前のように、映画をみた。
あたしは特に、なんでもよかったので、
やっぱりあの人の趣味に合わせてしまった。
あの人の好みの話題を振れないので、
うんうんといつものようにあいづちを打っているのに気がついて、
何やっているんだろうとまた少し悲しくなった。
『家、近くなんですか?』
いきなりあの人が歩きながら言った。
近くですと言うと、
『じゃぁ、送りましょう、もう暗いですから』
いきなり言い出して、あたしは焦った。
極力顔色を変えないように、あの人を見上げると、
けろっとしてにこにこ笑っている。
あたしは混乱した。
だって一人暮らしの女の部屋よ。知ってるはずよ。
どういうつもりなの???
でも、すぐに、あたしは『暗くなったら、女性を送り届ける、紳士な人なんだ』
と決着をつけた。
そのまま、なんとか緊張しながら部屋まで辿り着いた。
『綺麗なマンションですね』
あの人はにこにこしながら言った。
あたしはまた、混乱しはじめた。
お茶でもいかがですか、
そう誘うべき???
でも、いきなり部屋に誘うなんて、変な女だと思われないかしら。
物欲しそうなんて思われて、そういう女だなんて位置づけられたら。
でもでも。
きっとこんなチャンスもうないかもしれない。
あの、せっかくですから、お茶でも。。。
変に上ずった声で言ったあたしに、
あの人はでも、悪いですと何度か躊躇って、お約束のようにあたしも誘って、
じゃぁちょっとだけ。
そう言って、あの人はお邪魔しますとうなづいた。
あの人は、その後も、あたしの余計な思惑を後目に、
今日見た映画の事などを本当に楽しそうに語り、
あたしの煎れた紅茶をおかわりし、部屋にあった実家の猫の写真を誉めた。
そして、
『あ、そうそう。あのね。今度。僕が書いた本で、芝居をするんです。
見に来てくれますか??』と、言った。
勿論いきます、と答えると、
『えっと、.....まだ先なんだけれど。何か書くもの借りていいですか?』
メモパッドとボールペンを差し出すと、そこに、題名をかきはじめた。
『詳しい事はまたメールしますね』
それから暫くして、あの人は『お邪魔しました』と、あっけなく普通に帰って行った。
不純な動機の満ちあふれていた自分が、なんだか恥ずかしかった。
そのメモを大切にあたしは剥ぎ取って、自分の手帳の中に仕舞い込んだ。
どっと疲れてしまった。
『この間は楽しかったです。ありがとう。』
あたしもまけずに、最近は短いメールを飛ばす。
『僕もです。また映画行きましょう』
社交辞令なんだかなんなんだかわからない返事が、相変わらずかえってくる。
思えば、いつも芝居は、友達経由で話が回って来た。
今回は違う。あの人が、『来て下さい』と、誘ってくれたのだ。
それだけでも大きな収穫だと思った。
友達から電話が来て、メモを取ろうと思った。
メモパッドを見たら、筆圧が紙に残っている。
あの人の文字のあとだ。
そう言えば、あのメモの文字がとてもくっきり濃かった事を思い出す。
それは、タテに厚く重なったメモの、何枚も何枚も紙を貫くように残っていた。
『ちょっとまって』
あたしは電話口の友達を待たせて、何枚も紙をめくり、
何も残っていないところまでいって、そこに書き込んだ。
なんだかよくわからない人だけれど。
くっきりと、消えない文字をここに書き残すチカラを、
あの人は持っている。
少しずつ、主張していこう、と、あたしは思った。