役者・緒形拳が亡くなった。

 

     さまざまなテレビ番組では、彼のフィルモグラフィが紹介されている。

     楢山節考、復讐するは我にあり、鬼畜等々…。



     クセのある人物を演じ切る、怪優といった印象的が強いが、私が個人的に

心に残るのは、映画「長い散歩」である。

     孤独な老人がある少女と出会い、老人のある思いから長い散歩のような

旅を続ける。控え目だが、言葉よりもたたずまいが語るような芝居に

震えがきた。あらためて俳優としての器の大きさ、深さを見せつけられた

思いがしたものだ。

   

      モントリオール映画祭でグランプリを受賞した作品にもかかわらず、

このたび氏の代表作としてはあまり触れられていなかった。



     実にしびれる、名作である。

     追悼の意味でも、ぜひ多くの人に鑑賞してほしい。

    


        なんの先入観も持たず、さほど前情報もなく出合った映画が、”アタリ”だった

       時ほどお得な気分になることはない!


        さまざまな偶然が重なり、なぜか初日に鑑賞することとなった「キサラギ」。

       小栗旬、小出恵介といった当代きっての若手人気俳優らが主演するとあって、

       観客の年齢層の若いこと…。


        事前に得た情報といえば、5人のメインキャストが黒いスーツを着ている

       ことと、自殺したアイドルの一周忌に集まる話、という情報のみである。

  

        始まるやいなや、演劇タッチのシチュエーション・コメディを展開。濃厚な5人の

       各キャラクターが際立つ登場シーンや、ハイテンポなセリフのかけ合いやかぶせ

       方は、生の舞台を観ているような高揚感を与えてくれる。  


        冒頭は、テレビのバラエティで見慣れた塚地武雅(ドランクドラゴン)やユースケ・

       サンタマリアが、テレビっぽいギャグを披露しているのにやや不安を感じたが、

       ストーリーへの期待感に、そうした懸念はすぐさま吹き飛んでしまう。


        一年前に自殺したアイドルのファン5人がウェブサイトを通じて知り合い、一周

       忌を偲ぶ会が催される。当然みな初対面で、アイドルの思い出を語りつつ、いかに

       自分が彼女を思っていたかをアピールするわけだ。ところが話が進むにつれ、

       ただのアイドルおたくかと思われた各々の人物の正体が明かされる。事態は

       思わぬ方向へと転んでいき…。


        すったもんだ、すったもんだした挙句にきっちりとオチがつき、さてどうやって

       エンディングを迎えるんだろうなぁと心配していたら「そうきたか!」の結末が。

       いろいろな意味で、非常に後味のいい映画なのである。


        ほとんどのシーンが、5人の集まる古い空き部屋。映画でありながら全く飽き

       させないのは、やはり脚本の面白さと監督の手腕に他ならないだろう。ただ勝手

       ながら、もっと予算があったなら(勝手に低予算と決め込んでいるが)、数少ない

       回想シーンや空想シーンでは、もっととことんはじけたらより楽しさが倍増でした

       のではないかなと。観てみたかった、という期待を込めてそう感じた。


        小栗旬も、小出恵介も、テレビドラマより何倍も魅力的で、今後がますます 

       楽しみ。ノリにのっている香川照之も、さすがの存在感である。


        興味を持たれた方は、事前にパンフレットなど読まず、劇場と上映時間だけを

       調べ、足を運んでいただきたい。


         P.S. 余談だが、渋谷の某劇場で本作を観た私。いまどきの映画館で、

整理券を配ることもなく、何十分も前から階段に並ばせてくれ

ちゃって。あれだけはなんとかしてください


        

     明石屋さんまが年に一度公演する舞台の2006年版。生瀬勝久、真矢みき、

    温水洋一らといった映像でもおなじみの人に加え、舞台で活躍する客演者達を

    迎えての上演だ


     普段当たり前のようにテレビで観るさんまさん(関西人の前ではサンづけに

    しないとお叱りを受ける)とはまた違い、どこまでがセリフでどこからがアドリブ

    かわからないような、テンポのいい掛け合いが続く。もちろん脚本のある芝居

    なのだが笑いは満載。さんま崇拝者であるかのように、私の後ろには、さんち

    ゃんが声を発するだけで大爆笑という男性もいて、ちょっと浮いていたが…。

  

     第二次大戦中に劇団の座長として生きる「小鹿」がさんちゃんの役どころ。検閲

    が厳しくて思うように芝居ができないご時世で、あがきながら劇団を背負って立つ

    男の物語だ。


     今回の大ヒットは、さんちゃんとからむ重要な役で登場する中山祐一朗。ふたり

    のシーンでは、さんちゃんに激しくどつかれながらも、いい味出してました。彼は

    知る人ぞ知る、阿佐ヶ谷スパイダースの看板役者。テレビや映画にもたまに出演

    しているが、一般的にはまだ知られていない存在。個人的にはもっと観たいが、あ

    まりメジャーになってほしくない気持ちもあったりして。勝手なファン心理が渦巻く

    ほど大好きな役者さんなのだ。


     劇中、越路吹雪のろくでなしをパロった「♪なんてひどい、アー、ウィ、言い方~、

    なでが~た(観てないとなんのこっちゃと思うだろうが、ショルダーバックを落とした

    人を、さんちゃん達突っ込みつつ、”なでがた”とうたう)歌&踊りが忘れられましぇ

    ん。エンターテイナーとしては、やっぱりさんちゃんって天才だわ。

  

        

        映画のタイトルは、その作品の象徴ともいえる存在だ。でもこれほど

       その意味を考えさせられたのはめずらしい。人生の”マッチポイント”

       について。


        クリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)はプロのテニスプレーヤー。

      選手としての限界を感じ、ロンドンのアッパークラスの人間ばかりが集ま

      る会員制のテニスクラブで働き始める。そこで出会ったのがトム。彼に    

      誘われたオペラの席で妹クロエに出会い、クリスは気に入られる。トント

      ン拍子に婚約までこぎつけ、上流社会の仲間入りを果たす。ところがトム

      の婚約者で、アメリカ人の女優の卵ノラ(スカーレット・ヨハンソン)と出会

      い、その魅力にとりつかれていく。密会を続けるふたりの行く手に、待ち受

      ける運命とは…。

 

       現代の話でありながら、イギリス社会にいまだ階級意識が根強く残って 

      いることがうかがえる。それはトムの母親の、ノラに対する態度にもよくあ

      らわれている。排他的でスノッブな母からすれば、ノラは素性の知れない

      アメリカ娘。息子の嫁にはふさわしくないという思いを、時にあからさまに

      する。そういう意味で、ノラとクリスは、似たもの同士だったのかもしれない。      


       トムもクロエも、苦労知らずのおぼっちゃまとお嬢さまだ。事実、トムは母

      に最後までノラとの結婚を反対されて、ノラとの別れを決める。同類の友人

      を含め、気が良い一方で、たまに空気が読めないところなどは、まさに育ち

      の良さを如実にあらわしている。そんな環境の中、クリスはオペラに興味を

      示し、ドストエフスキーを読み、必死で彼らからひけをとらぬよう努力する。


       クリスがクロエと結婚することで手に入れたものは、実に大きい。素敵な

      家と会社での重要なポスト。運転手つきの高級車に仕立てのいいスーツ。

      取り巻くものが変化すればするほど、後戻りできないプレッシャーにから

      れていくクリス。クロエとの関係が終われば、それがすべて失われることを

      わかっているからだ。


       だがどうしてもノラから手を引くことはできなかった。ノラとクロエでは、付

      加価値を除いた女の魅力を比べた場合、どうしてもノラに軍配が上がって

      しまうのだろう。ノラも自分の魅力を十分にわかっている。過ちを犯したクリス

      とノラは一旦離れるが、偶然の再会がふたりを強く結びつけてしまう。

       トムの婚約者としてノラに初めて出会ってから、時間を追うごとに、ふたり

      の思いはシーソーのように上下へ移動していく。つくづく恋愛する男女には、

      両者が同じだけ相手を思うことはないのだと感じた。追ったり、追われたり。

      駆け引きしていたつもりが、いつの間にか相手にふりまわされているのだ。   


       やがて物語はある大きな局面を迎える。それは吉と出るか、凶と出るか。

      マッチポイントというタイトルに集約されているのである。映画では、あるひと

      つの結末を描いている。だがこれは通過点に過ぎず、人生のマッチポイント

      は一度きりではないはずだとふと思った。ボールが相手方のコートへ落ちる

      か、自分側に落ちるのか。次のマッチポイントでも、必ずそれが試される

      時がやってくるのだ。


       …本筋とは関係ないが、どうしても言いたいことがある。トムの父の会社と

      共同事業をする日本企業のビジネスマン、というのが劇中に登場する。がし

      かし、このおじさんふたりが、まるで借りモノのようなのだ。どう見たって、アジ

      ア系のエキストラに、無理やりスーツを着せたという雰囲気。やり手のビジネ

      スマンがあんなわけないでしょ、って感じ。ウディ・アレン監督、もう少しリサー

      チしてくださいよ。その証拠に、客席からは失笑の声がたくさん上がっていた

      んだから…。


       

       ※8月19日より、恵比寿ガーデンシネマほかにてロードショー             

 

   

        


   3月にオープンした、渋谷・宮下公園付近のCocoti。そのビルにアミューズCQNという劇場が

   入っている。見学がてらこの作品を観に行く。


   佐藤浩市、大沢たかお、松田翔太といったイケメン達に加えて、40歳間近でさすがのナイス

   バディ誇る鈴木京香が出演。それぞれが、演説の達人、ウソを見抜く、スリ、そして体内時計

   を持つといった特技を持つ役どころだ。

   

   普段は、人目につかぬよう地味な服に身を包んで社会生活を送る一方、チームで銀行強盗

   をやらかす時には、思いきりビビッドカラーの派手なコスチュームで登場する。決して金をと

   るこだけが目的ではなく、そこには彼らなりのロマンと美学があるのだと。


   スピード感あふれるストーリー展開と、遊びのある映像で楽しませてくれる。だが、「え~、

   こなことあり得ないよ」という部分の見せ方が、中途半端で観る側がどうとらえていいのか

   にとまどう。徹底して「おバカ」と楽しめるほどではないし、真剣になれば、アラが見えてしま

   うし。


   クライマックスで、ストーリーにどんでん返しがいくつか起こる。それまでに伏線らしき場面が

   あって、そこではまだ謎のままのはずなのだが、一部それに気づいて(ネタばれ)しまう箇所

   が。解き明かされるある人物の正体が”あるポイント”でわかってしまったのだ。まさかわざと

   ではあるまいが、なんとも残念。


   鈴木京香は、年齢を重ねるごとに艶っぽくイイ女になっていくなぁと。だからこそ、もっとはじ

た役に挑戦してほしいと思うのは、私だけではないはずだ。なんかもったいない。自ら歯止

めをかけているようで。


   まあ、いずれにしでも、映画の醍醐味のひとつは、イケ面が巨大スクリーンに登場することな

   わけで…。佐藤浩市は変わらず芸達者だし、松田翔太も、今後の成長がとっても楽しみです。


   

P.S.松尾スズキが、いつもながら”ニッチ”な感じで、細か~く登場。いい味出してます。


※さらに、さらに大好きな中山祐一朗くんも、警官オタクの役で出ています(後から気づいた

     けど。ごめんなさい…)



 

 

   

 

    毎年6月、ニューヨークやサンフランシスコをはじめいくつかの国の大都市で、ゲイ・

    レードがおこなわれる。象徴であるレインボー・フラッグが掲げられ、人々が練り歩く姿

    を間近で目にした。近年では、同性愛者同士の結婚が認められたアメリカの州もあり、

    エルトン・ジョンが入籍したことでも話題に。


    1963年。舞台は、アメリカ中西部のワイオミング州に位置するブロークバック・マウン

ンだ。40年以上前のその地は、現在と比較にならないほど保守的であり、同性愛者

    と白することは死をも意味した。そんな状況下でイリスとジャックは、羊番の仕事を通

    じて出会い、やがてを確かめ合う。一度きりのこととそれぞれの生活へ戻るが、4年

    の時をて再会の機は訪れる。


    初めて2人が結ばれた後、イリスが「自分はゲイではない」とつぶやいたのが印象深い。

    そう信じ込ませなければ、とても生きてはいけなかた当時の世情がうかがえる。彼は

    子供の頃、父親がゲイの男性をつるし上げにし、死に及んだ姿を見せられている。ゲイ

    として生きるなどあり得ないと、脳裏に刻まれていたのだ。男同士の結婚が許される

    がやって来るなど、彼らには夢のまた夢だったに違いない。


    物語のすべては、「ブロークバック・マウンテン」というタイトルに集約されている。彼ら

はこの場所しかなかった。ほんのたまにこの山で過ごすわずかな時間だけが、本当

    の分をさらけ出せる瞬間だったのだ。そしてまた良き夫の仮面をかぶり、妻のいる家

    庭へと帰っていく。


    結局、彼らのそうした関係は20年にも及ぶ。もしも声高らかに、ゲイだと叫ぶことがで

    き世の中だったなら、おそらく違う20年間があったのだろう。普通の恋人同士のよう

    に付き合い、ひょっとして他に好きな人ができたり、ケンカがこじれたりして、とっくに別

    れていたのかもしれない。彼ら自身が、そして周囲の人々がこれほどに傷つくことも

    なく。


    レインボー・フラッグがセクシャル・マイノリティの象徴となったのは、「虹をつくる色は

    連的で、明確な境界線を引くことはできない」ことを、人間の性別に例えたのだとい

    う。色と決めたのは、人間のエゴなのだと。映画のラストシーンは、ある意味で2人

    が永遠に結ばれたことなのかもしれない。でも現実に、彼らと同じような運命に苦しむ

    人がいるのならば、別のシナリオが存在してほしいと切に願う。    


   それにしても、すごい仮説を打ち立てたものだ。イエス・キリストは結婚していて子供まで

   いて、その子孫が実は現代まで生きていたというもの。「神の子イエス」の生涯をここまで

   覆されたら、敬虔なクリスチャンが抗議運動をするのも無理はないだろう。その一方で、

   無神論者が大半の日本でメガヒットしたのも、不思議といえば不思議。いまや、ちょっとし

   たダ・ヴィンチ・フィーバーである。

   

ずいぶん前に、小説は読破済み。誰でもそうだろうが、本を読みつつ登場人物の姿カタチ

   を想像し、自分なりの像をつくり上げていく。でもこの本に限っては、たまにうすぼんやり

   している人物が何人かいた。映像を観て、「へえ、シラスはこんな風貌なのか」と、勝手に

   感心したり。本で拾い切れていない部分を再認識できた。話が複雑なだけに、小説を読ん

   じゃったから映画を観てガッカリ、ということはなかったと言える。


   自分なら、どうひっくり返っても、こんな話を思いつくことはないだろう、そういう意味では、

   とても興味深かった。お金もかかってるし。私がほめ言葉として使う場合の「お金がかか

   っている」は、設定や背景を忠実に、ウソ臭さをみじんも感じさせないという意味。どれだ

   け特殊効果を用いているかとか、派手なドンパチあるかということではない。


   余談だが、ちと強引ではと感じたのは、パリの街中でソフィ(オドレイ・トトゥ)が、ラング

   ドン(トム・ハンクス)を乗せた車を、すごい勢いでバックさせるシーン。あの小娘に、そ

   んなドライビング・テクニックがあるのかと。がしかし、ハリウッド映画で時折になるの

   が、ジャン・レノの扱い。ちょっと軽んじてやいないだろうか。「ミッション・インポッシブ

   ル」でも思ったのだが。小説では、ファーシュ警部(ジャン・レノ)とラングドンの関係性

   は、物語に欠かせない部分。なのに、なのに、ファーシュとからむ肝心な場面でなぜ

   「あー」なるのだろう。そう苛立つのは、私だけ?


   とはいえ映画と本を通じて、レオナルド・ダ・ヴィンチの多才ぶりも改めて知ったし、また

   パリにも行きたくなったし、人間の想像力ってすごいなと思ったりした。ないアタマをひ

   ねきっかけになったということで、良しとしよう。

  

   



   是枝監督(本作品監督)の功績。それは、他の人が切り取ることのなかった人間の生

   き様を浮き彫りにしたこと。この映画に出てくる侍は、ヒーローでもなく、金も名誉も持

   ち合わせていない。父の仇討ちのために、松本からはるばる江戸へやって来て早3年。

   いまだ成果を上げられずにいる、イケてない武士なのだ。


   日本映画が再び注目を浴びる今、現代劇にしても、時代劇にしても、こうした普通

   暮らす人々に光を当てた作品が増えている。実にうれしい限りだ。時代劇でいえば、

   山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」も、出世を望まず、家族のため一緒にいる時間を

   優先させるような男が主人公だ。


   侍といえば、強くて偉くて、正義のためには(と大義名分があれば)人をバッサバッサと

   切り倒す。それが侍なのだと、ステレオタイプになりがちだ。テレビドラマの時代劇で

   善悪をはっきり区別した作品が多く、そうした印象が植えつけられてしまうのも否めな

   いのだが…。


   しかし主人公の宗左衛門は、そんな侍とは程遠い。剣の腕も大したことがなければ、

   気も弱い。ようやく仇討ち相手を見つけたのに、なかなか実行に移せない。その男が

足を洗い、妻子と共に穏に暮らす姿を見てしまったからだ。時代が、一見してみな同

じ方向をめざしているからこそ、それに馴染めない人も必ず存在しているはずである。

いつの時代も、すべての人が同じ思ということはあり得ない。


   監督は、そんなつつましく暮らす人々にスポットを当て、何気ないエピソードをエンターテ

   インメントに変える達人だ。そして、実に抜群なキャスティングでも楽しませてくれる。「誰

   も知らない」でも実証済みだが、特に子役がいい! 子役というと、劇団●●風な一本調

   子の演技にがっかりした覚えは数知れない。表情豊かで味のある子供を、うまく探して

ものだと感心しきり。他のキャストも演技派揃いで、それだけでも見ごたえありだ

 

   だがひとつ、仇討ちにからむ主人公の葛藤は見えてくるのだが、ストーリー全般がどう

まったりし過ぎる感あり。そこまで「そう思った」なら、「そうなる」には、もっとパンチの

きいた盛り上がりがあっても良かったのでは、と。そう、とか、そこではなんのことやら

   わからんと思うが、まだ観てない人もいるってことで、言えません…。


   衣装担当は黒澤和子さん(黒澤明監督の長女)。市井の人々の、汗がしみついた物は、

   語らずともその暮らしぶりが映し出されている。こういうところに少しでもウソっぽさがある

   と、途端に興ざめするもの。そう、元禄時代にはパリッとした裃をまとった武士だけが存

   したわけではない。映画に登場するような、”着たきりスズメ”の平民がたくましく生きてい

   たはずなのだ。


   追加しておくと、個人的には「なげやり・そで吉」役の加瀬亮がイチ押し。近年、かなりの

   数の映画に出演しているが、ホントいい味出してます。注目必至!

 

    ※6月3日(土)全国ロードショー

  


  またもやジョディ・フォスターは強かった!再映で観た本作。ロードショーは少し前だったし、

  話題作だったので鑑賞済みの方も多いだろう。夫を亡くした妻(ジョディ・フォスター)が幼い

  娘と共に、夫の亡骸を乗せた飛行機へ。ところが、母親が眠っていたほんのわずかな隙に、

  密室のはずの機内で、娘が忽然と消えてしまう。


  母は必死に探しまわるが、誰も女の子など見ていないという。夢でも見ているんだろうと、

  怪訝な顔をされる。それどころか、搭乗記録にも娘の名前などないと…。ただならぬ気配を

  感じたジョディは、フライトアテンダントの制止を振り切り、乗客に聞き込を開始。それで

  も情報が得られないと、キャビネットやらトイレやら、機内中を捜索する。

  

  貨物エリアに侵入したり、電源をショートさせたりと、航空機設計士ゆえ可能なのだろうが、

  それを差し引いても、SWAT(特殊任務用警察部隊)さながらの俊敏ぶり。いつの間に、そ

  こまで体鍛えたのよ? と、思わず突っ込みを入れたくなるほどだ。気がつけばTシャツ

  枚で、二の腕を筋ばらせながら、機内を駆けめぐるジョディ。

 

  あらゆる意味ですごいなぁ、ハリウッド映画って。製作費を惜しまず、見事な最新鋭の機体

  をつくり上げているのはさすが。限られた時間と空間の中で、クオリティの高いサスペンス

  を展開するあたりも見ごたえは抜群だ。でも観終わった時、「え、これでいいの?」と疑問

  わき起こる。


  そう、やはりジョディが強過ぎるのだ。「パニックルーム」の時も感じたのだが、ジョディ扮す

  る母が、精神的にも肉体面でも完璧過ぎる。どう考えても、特殊訓練を積まなければ、そこ

  までできんだろ。その事ありきだから、ストーリーとして他のもっと大切な部分が、省略され

  たり強引な運びになっている気がしてならない。うーん、なんとも残念。これほど強靭な女

  性という設定は、本人の希望ってことはないよねぇ…?


    ※都内の名画座にて鑑賞。リバイバル上映

  

  


 35歳。バリバリのキャリアウーマンだったが、仕事も男も失い、蒲田という地に移り住む。そ

こで微妙でユニークな関係の男たちと触れ合っていく。気の弱いヤクザに品のいい痴漢、ED

   の議員ひょんなことから、転がりこんで来た従兄弟…。

 

   主人公・優子を演じるのが寺島しのぶ。はじめの頃は、取り立てて印象もなかったのだが、

   ある時から、目を爛々とさせて役者道を邁進する女優になっていた。いい意味で”はじけてい

   る”。そんな彼女を見て最近感じるのが、20~30歳代の女優さんに、なんかもったいないなと

   思う人たちがたくさんいること。


   別に、モデル出身だろうが女優になったキッカケなどはどうでもいい。ところが、ひとたび女

   優と して売れると、途端に「小奇麗な役」しか選ばなくなる。テレビCMのためか、とにかく好

度重視で"等身大の私”といった設定に縛られていく。まあ諸事情があることは理解する。

しかし、どうも役者としての意気込みの薄さを否めない。もちろん、志高く頑張っている人も

いるのだが…。

 

   優子の家に居候し始める従兄弟の祥一は、疲れ果てて体も心も不完全な彼女を優しくいた

   わる。 彼は、そんなつもりで東京にやって来たわけではない。社会的にも、決してほめられ

   た人間とは言い難い祥一。だがその何気ない心配りが、優子の胸に染み、心が癒されてい

   く。根底に持ち合わせた人としての優しさが、奇妙な同居生活の中でにじみ出てくるのだ。

   そして、ゆるやでやさしい時間が流れていく。優子と関わる他の男たちも、なんだか変だ

   なと思わせながらも、彼女をやわらかく包む空気感を漂わせている。「キツい」時、こんな人

   が傍にいたらいいのに、と感じせるような。


   劇中で蒲田を「粋がない下町」と表現しているが、思わず「そう、そう」と頷いてしまった。少

   な蒲田を知る私としては、「言い得て妙」と、思わず二ヤリとしたほどだ。同じ下町で

   も、浅草や津などに見られる「粋」はまるでない。かといって洗練されたおシャレさがある

   わけでもないが、生活するには便利。優子がぶらっと歩き、ほどよく休憩できる場所が点在

   する。彼女の心をほぐす、これほど適した街はなかったのかもしれない。


   どうも蒲田が気になるという方は、一度訪れてみてはいかがだろう。



    ※6月10日、渋谷シネ・アミューズ、新宿k's cinema、キネカ大森 全国順次ロードショー