こんにちは!
U-13選手権 vs三郷Jrの結果です。
0-3(0-1 0-2)
負けました。
次節が1次リーグの最終戦となります。
福田代表からのありがたい話しを聞く選手達。
さて、翌日は千葉までバス遠征!
東日本インターカップ準優勝の三井千葉さんとTM!
前日の悪い流れを引きずりながらも、課題修正を出来たのは大きかったですね!
帰りは4時間15分かかりましたが(^^;;
iPhoneからの投稿
高橋です。
Facebookでいいなと思う記事がありましたのでアップしてみます。
このインタビューの元選手は私が小学生のときの清水エスパルスで活躍してた選手。
冒頭でもありますが、身長は161センチと小柄な選手でした。
そんな選手が活躍できたワケは???
この記事を読んで「人間性」を高められるようになれば嬉しいかな。
あっ、私も高められるように意識しますけどねw
【人間性と特徴のある選手がほしい】vol.1
「OB向島健氏(フロンターレ強化部スカウトグループ長)インタビュー」2010/05/28
+++++++++
◇身長161㎝と小柄でありながら、十四年もの間、第一線で活躍されたその秘訣はなんだったのか。そして、今スカウトとして若手選手をどう見ているのか。その鋭い視線に迫った。
...
「小さくても大丈夫か」と自ら尋ねた
◆いつからサッカーを始められたのですか。
私は、静岡県藤枝市の出身です。サッカーの盛んな土地で、幼稚園のときから遊びといったらサッカーという環境でした。
私が本格的にサッカーを始めたのは、小学校三年生のときでした。自分でサッカー少年団への入団を決めてしまいました。ところが父はサッカーより野球が好きだったので、最初はサッカーをすることに反対した。一方で、母は理解があり、好きなことを何でもやらせてくれましたので、父に内緒で月謝を払ってくれてサッカーを始めることかできました。そのお陰で、父も次第にサッカーをすることに理解を示してくれるようになりました。それ以降は、両親で送り迎えやチームの当番の仕事など、熱心に協力してくれるようになりました。今あるのは、両親のお陰だと思っています。
◆いつごろから頭角をあらわしたのですか。
サッカーを姉めて、急激に走るのが速くなりました。それがサッカーのプレーにも生きるようになり、小学校の高学年のころには、人より勝れるのはサッカーだという自信をもつようになりました。
高学年のころには、サッカーの名門藤枝東高校に憧れました。その当時は、プロのサッカーチームがありませんでした。静岡では、高校選手権がサッカーの華であり、その当時全国トップレベルの藤枝東高校は、サッカーをする子どもたちの憧れの的だったのです。そのため、サッカーでスカウトされて藤枝東高校に遥学したいという夢をもつようになりました。
私は、身長が小さかったのですが、スピードがありました。前にボールがあれば、自らドリブルで行って、シュートを決めてしまう。当時通っていた青島小学校のエースとして頑張っていました。
◆サッカーをしていて、辛かったことはありますか。
中学校に入ると、隣の青島東小学校のエースとして活躍していた選手と一緒になり、私にとってよいライバルができました。
彼と競り合う中で、最初に試合に出場できたのは、私でした。それは二年生のときでしたが、三年生以外で出場できたのは自分だけでした。
しかし、そのことで一部の人から妬まれ、周囲との関係の悪化を招きました。友達との距離は離れ、試合に出られない生徒の保護者から「どうしてあんな小さい選手を使うのか」といった声が監督のもとに寄せられたそうです。
その後、私は試合から外されました。そのとき、身体が小さいと試合に出られないのか、というくやしい思いをもちました。それまで順調でしたから、初めてサッカーで挫折感を味わいました。
結局、怪我もあって、三年生になっても試合に出られませんでした。ライバルの彼はレギュラーとして活躍している。試合に出ていない選手に高校のスカウトの目が留まることもない。この時期は、このまま終わってしまうのか、という不安を抱えながら過ごしていました。
ただ、気持ちか腐ることはありませんでした。自分で決めて始めた大好きなサッカー、とにかく努力するしかない。サッカーを巧くなっていつか見返してやるという気持ちで、練習に励みました。
◆憧れていた高校サッカーは、いかがでしたか。
高校進学を決めるとき、サッカー部の先生から藤枝北高校を勧められました。藤枝東高校に次ぐサッカーの強豪校でした。しかし、私は自分のプレースタイルに合わないと判断して、それを断り、個人技を大切にし、全国高校サッカー選手権大会で準優勝していた静岡学園高校への進学を決めました。
決めるにあたって、自分で静岡学園高校に出向き、監督から直接話を聞きました。「小さくても大丈夫か」と尋ねたわけです。監督からの返事は『うちは身体が小ざくても巧ければ使うよ』という言葉でした。その言葉で私は決めました。
学校の指示に従わないことで、問題になりましたが、そのときは父親が私の味方になってくれました。「息子が希望を出しているので・・」と、学校に話をつけてくれました。
高校では、まさにサッカー漬けの毎日でした。始発の五時四十分の電車に乗って朝練に向かう。途中の草薙駅から私鉄に乗り換えるのですが、早朝でまだ電車が走っていない。仕方が無いので、草薙駅から学校までは、毎日鞄を抱えて二十分走っていました。
監督からは「練習が終わってからが練習だ」と言われていました。全体棟習が終わってからの自主練で巧くなるということです。さらに監督は「巧くなりたくないやつは、先に帰っていいよ」と言っていましたので、みんな意地になって練習に励みました。最終電車で帰る毎日で、家に着くのは十一時。次の朝は、五時に家を出る。三年間この調子で過ごしました。
母は、朝食用と昼食用の二つの弁当を毎日もたせてくれました。思えば、小学校から高校まで毎日欠かさずサッカーの練習をしてきたわけですか、その生活ができたの、は、両親の支えがあったからだと思います。
高校での成績ですが、二年生のときからレギュラーになり、三年生では県選抜の選手に選ばれました。残念ながら、高校総体や高校選手権では、静岡県の決勝で清水商業や清水東に敗れました。清水東には、当時「三羽ガラス」と言われた長谷川健太、大榎克己、堀池巧がいました。一年生には、武田修宏もいましたね。
静岡学園には一つ下にカズ(三浦知良)がいて、同期に兄の三浦泰年がいました。今挙げた名前の選手は、その後全員Jリーグで活躍しています。このような選手層の厚さから、その当時静岡県で優勝するのは、全国で優勝するよりも難しいと言われていました。
◆印象に残る恩師はいらしゃいますか。
静岡学岡高校の井田勝通監督です。身体が小さくても試合に出られる、という希望を私に与えてくださいました。体格の良い選手を使うのが一般的なのに、監督は、サッカーは体格ではないということを教えてくれました。努力して技術を身につければ、小さい人でも活躍できると。そして、その言葉の通り、私を試合に出してくれました。
監督は、サッカーをやる姿勢として「教わるのではなく、自分で学べ」ということをよくいわれていました。選手一人ひとりのことをよく考え、朝練から夜遅くの練習まで毎日練習に付き合い、その情熱は並大抵のものではありませんでした。
大切にしたいのは、人間性、特徴・・・
◆その後、大学から実業団、そしてJリーグと活躍の舞台を移されていきます。第一線にいた経験から、一流の選手になる条件についてお話をお聞かせください。
一流の基準はいろいろあると思いますが、まず人間性が良いということか挙げられます。川峙フロンターレに中村憲剛という選手がいます。彼は無名で入ってぎましたが、その後日本代表に選ばれるまでの選手になりました。彼は、有名になっても、全く態度は変わりません。謙虚です。人の話をきちんと聞き、よく考えてしっかり応える。だから、後輩からも信頼されています。あの判断のよいプレーには、人間性が現れていると思います。
一流選手は、自己管理がよくできています。怪我をしないように、試合にベストの体調で出られるように自分の生活を律しています。我慢すべきものは我慢して、自分をコントロールする態度が大切だと思います。
一流選手は、特徴を持っています。なんでもできる選手よりも、このプレーならだれにも負けないという強みをもつ選手が、一流として長く活躍しています。
一流選手は、自分がどんな人間なのか、自分はどんなサッカーをするのか、ということを理解しています。私は、子どもの頃、常に父から。「お前は小さいから、人と同じことをしていても駄目だ」と言われていました。このように父から言われたこともありますか、自分でも他の選手と比べてみて、自分はどんな選手かを知ろうとしていました。小学校高学年のときには、自分の性格や自分のプレーの仕方を理解していたと思います。自分を知ることで、自分の足りないところを補うことかできました。身体が小さいけれど、スピードとテクニックを生かしたサッカーに取り組むことができました。
一流選手は、直ぐに行動に移します。どこか直さなければならないと思うことがあったら、直ぐに練習して修正する。その行動力が必要です。
私もそのことは心がけていました。試合でシュートか決まらなかった。明日の練習では、シュート練習に取り組もう、これが普通の発想です。しかし、私は、必ずその日の内に練習しました。スタミナがないなあ、と思ったらその日の内に走っている。好きなサッカーに対しては、それができました。
最後に、一流選手は、サポーターを大切にします。プロは、お客さんがいなかったら意味がありません。どこか痛いところがあっても、気持も乗らない時でも、お客さんがいる限り、常に全力でプレーする態度が必要です。自分がゴールを決めることで、お客さんが喜んでくれて、感動して、幸せな気持ちになってくれる。自分のためというより、わざわざ足を運んでくれたお客さんのために良いプレーを見せるという意識が、一流の選手には必要だと思います。
そのことにおいて人の心を動かすことのできる人が一流といえるのかもしれません。
「OB向島健氏(フロンターレ強化部スカウトグループ長)インタビュー」2010/05/28
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◇身長161㎝と小柄でありながら、十四年もの間、第一線で活躍されたその秘訣はなんだったのか。そして、今スカウトとして若手選手をどう見ているのか。その鋭い視線に迫った。
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「小さくても大丈夫か」と自ら尋ねた
◆いつからサッカーを始められたのですか。
私は、静岡県藤枝市の出身です。サッカーの盛んな土地で、幼稚園のときから遊びといったらサッカーという環境でした。
私が本格的にサッカーを始めたのは、小学校三年生のときでした。自分でサッカー少年団への入団を決めてしまいました。ところが父はサッカーより野球が好きだったので、最初はサッカーをすることに反対した。一方で、母は理解があり、好きなことを何でもやらせてくれましたので、父に内緒で月謝を払ってくれてサッカーを始めることかできました。そのお陰で、父も次第にサッカーをすることに理解を示してくれるようになりました。それ以降は、両親で送り迎えやチームの当番の仕事など、熱心に協力してくれるようになりました。今あるのは、両親のお陰だと思っています。
◆いつごろから頭角をあらわしたのですか。
サッカーを姉めて、急激に走るのが速くなりました。それがサッカーのプレーにも生きるようになり、小学校の高学年のころには、人より勝れるのはサッカーだという自信をもつようになりました。
高学年のころには、サッカーの名門藤枝東高校に憧れました。その当時は、プロのサッカーチームがありませんでした。静岡では、高校選手権がサッカーの華であり、その当時全国トップレベルの藤枝東高校は、サッカーをする子どもたちの憧れの的だったのです。そのため、サッカーでスカウトされて藤枝東高校に遥学したいという夢をもつようになりました。
私は、身長が小さかったのですが、スピードがありました。前にボールがあれば、自らドリブルで行って、シュートを決めてしまう。当時通っていた青島小学校のエースとして頑張っていました。
◆サッカーをしていて、辛かったことはありますか。
中学校に入ると、隣の青島東小学校のエースとして活躍していた選手と一緒になり、私にとってよいライバルができました。
彼と競り合う中で、最初に試合に出場できたのは、私でした。それは二年生のときでしたが、三年生以外で出場できたのは自分だけでした。
しかし、そのことで一部の人から妬まれ、周囲との関係の悪化を招きました。友達との距離は離れ、試合に出られない生徒の保護者から「どうしてあんな小さい選手を使うのか」といった声が監督のもとに寄せられたそうです。
その後、私は試合から外されました。そのとき、身体が小さいと試合に出られないのか、というくやしい思いをもちました。それまで順調でしたから、初めてサッカーで挫折感を味わいました。
結局、怪我もあって、三年生になっても試合に出られませんでした。ライバルの彼はレギュラーとして活躍している。試合に出ていない選手に高校のスカウトの目が留まることもない。この時期は、このまま終わってしまうのか、という不安を抱えながら過ごしていました。
ただ、気持ちか腐ることはありませんでした。自分で決めて始めた大好きなサッカー、とにかく努力するしかない。サッカーを巧くなっていつか見返してやるという気持ちで、練習に励みました。
◆憧れていた高校サッカーは、いかがでしたか。
高校進学を決めるとき、サッカー部の先生から藤枝北高校を勧められました。藤枝東高校に次ぐサッカーの強豪校でした。しかし、私は自分のプレースタイルに合わないと判断して、それを断り、個人技を大切にし、全国高校サッカー選手権大会で準優勝していた静岡学園高校への進学を決めました。
決めるにあたって、自分で静岡学園高校に出向き、監督から直接話を聞きました。「小さくても大丈夫か」と尋ねたわけです。監督からの返事は『うちは身体が小ざくても巧ければ使うよ』という言葉でした。その言葉で私は決めました。
学校の指示に従わないことで、問題になりましたが、そのときは父親が私の味方になってくれました。「息子が希望を出しているので・・」と、学校に話をつけてくれました。
高校では、まさにサッカー漬けの毎日でした。始発の五時四十分の電車に乗って朝練に向かう。途中の草薙駅から私鉄に乗り換えるのですが、早朝でまだ電車が走っていない。仕方が無いので、草薙駅から学校までは、毎日鞄を抱えて二十分走っていました。
監督からは「練習が終わってからが練習だ」と言われていました。全体棟習が終わってからの自主練で巧くなるということです。さらに監督は「巧くなりたくないやつは、先に帰っていいよ」と言っていましたので、みんな意地になって練習に励みました。最終電車で帰る毎日で、家に着くのは十一時。次の朝は、五時に家を出る。三年間この調子で過ごしました。
母は、朝食用と昼食用の二つの弁当を毎日もたせてくれました。思えば、小学校から高校まで毎日欠かさずサッカーの練習をしてきたわけですか、その生活ができたの、は、両親の支えがあったからだと思います。
高校での成績ですが、二年生のときからレギュラーになり、三年生では県選抜の選手に選ばれました。残念ながら、高校総体や高校選手権では、静岡県の決勝で清水商業や清水東に敗れました。清水東には、当時「三羽ガラス」と言われた長谷川健太、大榎克己、堀池巧がいました。一年生には、武田修宏もいましたね。
静岡学園には一つ下にカズ(三浦知良)がいて、同期に兄の三浦泰年がいました。今挙げた名前の選手は、その後全員Jリーグで活躍しています。このような選手層の厚さから、その当時静岡県で優勝するのは、全国で優勝するよりも難しいと言われていました。
◆印象に残る恩師はいらしゃいますか。
静岡学岡高校の井田勝通監督です。身体が小さくても試合に出られる、という希望を私に与えてくださいました。体格の良い選手を使うのが一般的なのに、監督は、サッカーは体格ではないということを教えてくれました。努力して技術を身につければ、小さい人でも活躍できると。そして、その言葉の通り、私を試合に出してくれました。
監督は、サッカーをやる姿勢として「教わるのではなく、自分で学べ」ということをよくいわれていました。選手一人ひとりのことをよく考え、朝練から夜遅くの練習まで毎日練習に付き合い、その情熱は並大抵のものではありませんでした。
大切にしたいのは、人間性、特徴・・・
◆その後、大学から実業団、そしてJリーグと活躍の舞台を移されていきます。第一線にいた経験から、一流の選手になる条件についてお話をお聞かせください。
一流の基準はいろいろあると思いますが、まず人間性が良いということか挙げられます。川峙フロンターレに中村憲剛という選手がいます。彼は無名で入ってぎましたが、その後日本代表に選ばれるまでの選手になりました。彼は、有名になっても、全く態度は変わりません。謙虚です。人の話をきちんと聞き、よく考えてしっかり応える。だから、後輩からも信頼されています。あの判断のよいプレーには、人間性が現れていると思います。
一流選手は、自己管理がよくできています。怪我をしないように、試合にベストの体調で出られるように自分の生活を律しています。我慢すべきものは我慢して、自分をコントロールする態度が大切だと思います。
一流選手は、特徴を持っています。なんでもできる選手よりも、このプレーならだれにも負けないという強みをもつ選手が、一流として長く活躍しています。
一流選手は、自分がどんな人間なのか、自分はどんなサッカーをするのか、ということを理解しています。私は、子どもの頃、常に父から。「お前は小さいから、人と同じことをしていても駄目だ」と言われていました。このように父から言われたこともありますか、自分でも他の選手と比べてみて、自分はどんな選手かを知ろうとしていました。小学校高学年のときには、自分の性格や自分のプレーの仕方を理解していたと思います。自分を知ることで、自分の足りないところを補うことかできました。身体が小さいけれど、スピードとテクニックを生かしたサッカーに取り組むことができました。
一流選手は、直ぐに行動に移します。どこか直さなければならないと思うことがあったら、直ぐに練習して修正する。その行動力が必要です。
私もそのことは心がけていました。試合でシュートか決まらなかった。明日の練習では、シュート練習に取り組もう、これが普通の発想です。しかし、私は、必ずその日の内に練習しました。スタミナがないなあ、と思ったらその日の内に走っている。好きなサッカーに対しては、それができました。
最後に、一流選手は、サポーターを大切にします。プロは、お客さんがいなかったら意味がありません。どこか痛いところがあっても、気持も乗らない時でも、お客さんがいる限り、常に全力でプレーする態度が必要です。自分がゴールを決めることで、お客さんが喜んでくれて、感動して、幸せな気持ちになってくれる。自分のためというより、わざわざ足を運んでくれたお客さんのために良いプレーを見せるという意識が、一流の選手には必要だと思います。
そのことにおいて人の心を動かすことのできる人が一流といえるのかもしれません。
◆現在、スカウトの仕事をされていますが、どういう選手をとろうとされているのですか。
まずはフロンターレというチームのカラーに合った選手を連れてきたいと思っています。フロンターレは、もともと無名の選手をクラプ内で育てて試合に出るようにしていくスタイルのチームでした。トップチームからスター選手を移籍させて強くするチームづく...りをしていない。勝手な選手が来て、チームの和を乱すようでは駄目だと思っています。
私がフロンターレに移ったときは、元日本代表クラスの選手が入ってきて、影響力を及ぼす。何となくチームがぎくしゃくしているときでした。
それから少しずつ改善されていきました。中村憲剛選手に代表きれるように無名の選手が入ってきて、クラブ内で努力して成長する選手の姿が見られるようになってきました。
チームには、三十人ぐらいの選手がいますが、試合に出られるのは十一人です。三分の二の選手はベンチにいるわけです。その中でもしっかりと自分をコントロールし、チャンスがきたらしっかりと仕事ができる選手をスカウトしなければならないと思っています。試合に出られないからといって一年や二年で辞めてしまうような選手ではいけません。
最近は、ある程度技術をもっている上手な選手はいっばいます。今の日本の多くの指導者は、いろいろなことを教えたがります。これも必要、これも必要といろいろやるので確かに何でも平均的にできる選手が多い。しかし、何か一つでも飛び抜けている選手はなかなかいない。プロで活躍するには、飛び抜けた特徴をもっていなければなりません。
例えば、一対一になったら絶対に選手を抜くようなスピード、ゴール前で飛び出してゴールを決める力、サイドバックでしたら上下に動く運動量、センターバックならヘディングの強さなど、ほかの選手より勝っているものが必要です。 ’
スカウトとして、そういう特敵をもつ選手を探しています。
高杖生や大学生を見ていると、足りないところがどうしても見えてしまいます。しかし、ある程度のレベルがあれば、そういう欠点は見ないようにしています。その選手の良いところだけを見る。
足が速くてドリブルがすば抜けて巧いけど、ディフェンスをほとんどしない選手がいたとします。でも、おそらくチームに入って、監督や周りの遥手から言われたらやるだろうな、と思う選手だったら獲得します。ただ、ディフェンスをやるだけの能力があるかどうかを見た上での話ですが。身体的な能力さえあれば、あとは意識の問題ですから、チームに入ってからでも修正できるという考え方です。
私たちスカウトか獲得してきた選手が活躍して、お客さんに喜びや夢を与える。たくさんのお客さんが入ることで、入場料収入が入り、会社スタッフが生活できる。そう考えると、スカウトは、重要な仕事だと思います。しかし一方で、私たちが新しい選手を獲得してきたため出される選手がいる。その現実を受け止めながら、スカウトという仕事と向き合っています。
大切なのは試合後の選手の姿
◆選手を見極めるのに気をつけていることはありますか。
気になる選手がいたら、何回も見にいきます。例えば夜試合を見ると、スピードがあるように見えてしまいますので、必ず昼間も見るようにします。人工芝と天然芝のようなピッチのコンディションの違いで、選手のプレーは全く違います。何回も何回も見て、その選手の特徴をとらえるようにします。
そのとき、試合の勝ち負けはそれほど気になりません。スカウトしたい選手の技術や動きを見ているからです。
例えばフォワードの選手が裏をとるしていても、その動きを生かすパスがこなければゴールは生まれません。しかし、もしもうちの中村憲剛がそこにいたら、パスが出たかもしれません。フロンターレのチームを想定して、選手の動きを見ているのです。だから、スカウトとしては、注目する選手のチームの勝敗は、あまり関係ありません。
さらにスカウトとして大切なのは、試合が終わった後の選手の質です。プレーは十分でも、私生活の態度がよくなけれぱ、獲得するつもりはありません。自己管理ができているか、周囲の人との関係はどうか、挨拶一つがきちんとできているか、シューズなど大切に扱っているかを見ています。
川崎フロンターレは、今Jリーグでもトップを争うチームになっています。スカウトするときに、プレーだけでなく人間性を重視するのは、Jリーガーは、子どもたちの夢であり、憧れの存在にならなければいけないからです。
◆勝ち負けにこだわったり、競争したりすることについてどう思われますか。
サッカーはチームプレーですが、個を育てようとしたときは、勝ち負けにあまりこだわることは必要ないと思います。例え相手が強くて負けることがあったとしても、プロを目指すのであれば、しっかり我慢しでボールをつなぐなど、考えたプレーが必要です。逆に自分たち勝ったとしても、その内容が問題で、自分たちの目指すプレーをして勝たなければ将来活躍できる選手は育たず、本当の強さになりません。
競争についてですが、私は必要だと思います。最近は、自分らしくあればいい、という風潮があります。しかし、私はライバルと競争や比較をすることで、自分を知ることが大切だと思います。
◆今の子どもたちに伝えたいことはありますか。
その目その日に、100%のエネルギーを出して欲しいと思います。
自分がやりたいことに対して、エネルギーを余すことなく力いっぱいに取り組む。運動でも勉強でも何でもそうです。何かに夢中になって取り組むこと、チャレンジすることに、本来子どもは長けているはずです。子ども時代に、そういう過ごし方ができたらいいなと思います。 ’
そして、もう一つは、継続することです。自分の好きなことでもいいし、楽しいことでもいい。長くやることが大切だと思います。長くやることで、専門性が高まるだけでなく、失敗があったり、発見があったりする。継続により、そのような経験をして欲しいと思います。
私の場合は、サッカーをとったら自分には何も残らないという思いでしたので、サッカーにのめり込み、夢中になることができました。でも、私が子ともの頃は、まだサッカーのプロリーグはありませんでしたので、サッカーをやっていて将来に具体的な夢を描くことができませんでした。でも、そのときは分からなくても、長くやっていれば、やがて何かが見つかる可能性は高いと思います。だから、継続してほしいのです。
◆親に対するメッセージはありますか。
私も子をもつ親ですので、偉そうなことは言えませんが、まずは子どもを信頼し、どんなことがあっても子どもの味方であってほしいと思います。私自身、親の協力なしにサッカーを続けることはできなかったので両親に本当に感謝しています。親の無償の愛が子どもを支え、子どもを育てるのだと思います。
それと、親は仕事で忙しいと思いますが、できるだけ子どもと一緒に遊ぶ時間を確保してほしいですね。子どもはあっという間に大きくなりますから、今を大事にして、もっともっと子どもに関わってほしいと感じています。
◇プロのスカウトが語る期待の選手像は、意外にも「人間性」と「特徴をもつこと」「試合後の姿」だった。巧いだけではプロで生きてはいけない。十四年もの間、第一線で活耀された向島さんの言葉は、まさに真実である。
まずはフロンターレというチームのカラーに合った選手を連れてきたいと思っています。フロンターレは、もともと無名の選手をクラプ内で育てて試合に出るようにしていくスタイルのチームでした。トップチームからスター選手を移籍させて強くするチームづく...りをしていない。勝手な選手が来て、チームの和を乱すようでは駄目だと思っています。
私がフロンターレに移ったときは、元日本代表クラスの選手が入ってきて、影響力を及ぼす。何となくチームがぎくしゃくしているときでした。
それから少しずつ改善されていきました。中村憲剛選手に代表きれるように無名の選手が入ってきて、クラブ内で努力して成長する選手の姿が見られるようになってきました。
チームには、三十人ぐらいの選手がいますが、試合に出られるのは十一人です。三分の二の選手はベンチにいるわけです。その中でもしっかりと自分をコントロールし、チャンスがきたらしっかりと仕事ができる選手をスカウトしなければならないと思っています。試合に出られないからといって一年や二年で辞めてしまうような選手ではいけません。
最近は、ある程度技術をもっている上手な選手はいっばいます。今の日本の多くの指導者は、いろいろなことを教えたがります。これも必要、これも必要といろいろやるので確かに何でも平均的にできる選手が多い。しかし、何か一つでも飛び抜けている選手はなかなかいない。プロで活躍するには、飛び抜けた特徴をもっていなければなりません。
例えば、一対一になったら絶対に選手を抜くようなスピード、ゴール前で飛び出してゴールを決める力、サイドバックでしたら上下に動く運動量、センターバックならヘディングの強さなど、ほかの選手より勝っているものが必要です。 ’
スカウトとして、そういう特敵をもつ選手を探しています。
高杖生や大学生を見ていると、足りないところがどうしても見えてしまいます。しかし、ある程度のレベルがあれば、そういう欠点は見ないようにしています。その選手の良いところだけを見る。
足が速くてドリブルがすば抜けて巧いけど、ディフェンスをほとんどしない選手がいたとします。でも、おそらくチームに入って、監督や周りの遥手から言われたらやるだろうな、と思う選手だったら獲得します。ただ、ディフェンスをやるだけの能力があるかどうかを見た上での話ですが。身体的な能力さえあれば、あとは意識の問題ですから、チームに入ってからでも修正できるという考え方です。
私たちスカウトか獲得してきた選手が活躍して、お客さんに喜びや夢を与える。たくさんのお客さんが入ることで、入場料収入が入り、会社スタッフが生活できる。そう考えると、スカウトは、重要な仕事だと思います。しかし一方で、私たちが新しい選手を獲得してきたため出される選手がいる。その現実を受け止めながら、スカウトという仕事と向き合っています。
大切なのは試合後の選手の姿
◆選手を見極めるのに気をつけていることはありますか。
気になる選手がいたら、何回も見にいきます。例えば夜試合を見ると、スピードがあるように見えてしまいますので、必ず昼間も見るようにします。人工芝と天然芝のようなピッチのコンディションの違いで、選手のプレーは全く違います。何回も何回も見て、その選手の特徴をとらえるようにします。
そのとき、試合の勝ち負けはそれほど気になりません。スカウトしたい選手の技術や動きを見ているからです。
例えばフォワードの選手が裏をとるしていても、その動きを生かすパスがこなければゴールは生まれません。しかし、もしもうちの中村憲剛がそこにいたら、パスが出たかもしれません。フロンターレのチームを想定して、選手の動きを見ているのです。だから、スカウトとしては、注目する選手のチームの勝敗は、あまり関係ありません。
さらにスカウトとして大切なのは、試合が終わった後の選手の質です。プレーは十分でも、私生活の態度がよくなけれぱ、獲得するつもりはありません。自己管理ができているか、周囲の人との関係はどうか、挨拶一つがきちんとできているか、シューズなど大切に扱っているかを見ています。
川崎フロンターレは、今Jリーグでもトップを争うチームになっています。スカウトするときに、プレーだけでなく人間性を重視するのは、Jリーガーは、子どもたちの夢であり、憧れの存在にならなければいけないからです。
◆勝ち負けにこだわったり、競争したりすることについてどう思われますか。
サッカーはチームプレーですが、個を育てようとしたときは、勝ち負けにあまりこだわることは必要ないと思います。例え相手が強くて負けることがあったとしても、プロを目指すのであれば、しっかり我慢しでボールをつなぐなど、考えたプレーが必要です。逆に自分たち勝ったとしても、その内容が問題で、自分たちの目指すプレーをして勝たなければ将来活躍できる選手は育たず、本当の強さになりません。
競争についてですが、私は必要だと思います。最近は、自分らしくあればいい、という風潮があります。しかし、私はライバルと競争や比較をすることで、自分を知ることが大切だと思います。
◆今の子どもたちに伝えたいことはありますか。
その目その日に、100%のエネルギーを出して欲しいと思います。
自分がやりたいことに対して、エネルギーを余すことなく力いっぱいに取り組む。運動でも勉強でも何でもそうです。何かに夢中になって取り組むこと、チャレンジすることに、本来子どもは長けているはずです。子ども時代に、そういう過ごし方ができたらいいなと思います。 ’
そして、もう一つは、継続することです。自分の好きなことでもいいし、楽しいことでもいい。長くやることが大切だと思います。長くやることで、専門性が高まるだけでなく、失敗があったり、発見があったりする。継続により、そのような経験をして欲しいと思います。
私の場合は、サッカーをとったら自分には何も残らないという思いでしたので、サッカーにのめり込み、夢中になることができました。でも、私が子ともの頃は、まだサッカーのプロリーグはありませんでしたので、サッカーをやっていて将来に具体的な夢を描くことができませんでした。でも、そのときは分からなくても、長くやっていれば、やがて何かが見つかる可能性は高いと思います。だから、継続してほしいのです。
◆親に対するメッセージはありますか。
私も子をもつ親ですので、偉そうなことは言えませんが、まずは子どもを信頼し、どんなことがあっても子どもの味方であってほしいと思います。私自身、親の協力なしにサッカーを続けることはできなかったので両親に本当に感謝しています。親の無償の愛が子どもを支え、子どもを育てるのだと思います。
それと、親は仕事で忙しいと思いますが、できるだけ子どもと一緒に遊ぶ時間を確保してほしいですね。子どもはあっという間に大きくなりますから、今を大事にして、もっともっと子どもに関わってほしいと感じています。
◇プロのスカウトが語る期待の選手像は、意外にも「人間性」と「特徴をもつこと」「試合後の姿」だった。巧いだけではプロで生きてはいけない。十四年もの間、第一線で活耀された向島さんの言葉は、まさに真実である。







