社伝によってよば、大同元年(806年)の草創期されました。以後、平地域の総鎮守であったが、慶長6年(1602年)に磐城平城が築城された後は放置され、荒廃・所在不明になったが、文政9年(1826年)に桜町にあった稻荷小社を平藩主・内藤氏が子鍬倉神社に比定し、現在地で表示しました。明治6年( 1873年)3月に県社に列定しました。
御朱印
危険な所に行くことを、改めて認識しました。
God bless you
前回の、福島第一原子力発電所の記事の続きです。
福島第一原子力発電所を見学に行く前に、
東京電力廃炉資料館(以下、廃炉資料館)
旧エネルギー館(福島県双葉郡富岡町)で
廃炉の状況の説明を受けました。
その後、大型バスで10名ほどの見学者を乗せて、福島第一原子力発電所に行きました。
福島第一原子力発電所見学会の資料
バスは、富岡町の警察署の前を通り、国道6号線を北上しました。福島第一原子力発電所まで、約12km位ありました。国道沿いには、お店や民家がありました。この地域は、帰還困難地区のため、原発が爆発して以来ずっと、時間止まったいる感じがしました。家々の入口には、バリケードをしてあり、敷地の中に入れないようになっていました。どの家やお店もススキが生えていました。
途中の田畑もススキが生えていました。
放射線量が多いためか、木々の生育に支障がでるのでしょうか。この辺りの放射線量は、2〜3μSv/hあります。
福島第一原子力発電所の近くに行くと、数箇所の検問所を通ります。警察も検問所にいました。
バスで、福島第一原子力発電所の敷地内に着いたら、入退館管理棟に行きました。
入退館管理棟では、事前に入館登録をしてあるので、本人確認をして入れます。
入館したら、食堂に案内されランチを食べました。
ランチは、定食2種類、麺類、丼物、カレーがありました。私は、お魚フライ定食を食べました。
定食は、美味しかったです。
ランチの値段は、どれを選んでも380円でした。
原子力発電所内で、働いている人と同じ食堂で食べました。
ランチを食べ終わったら、バスで福島第一原子力発電所の敷地内を見学しました。
ほとんど全て施設を、バスに乗り見学しました。
施設内の放射線量は、2〜7μSv/h位ありました
。福島第一原子力発電所の2号機と3号機の間もパスで見学した時、放射線量は、281μSv/h位ありました。放射線量が、物凄く高い数値でしたが、バスで移動しているので、瞬間的に低い数値に戻りました。バスでの移動見学は、約1時間でした。
見学が終わった後で、入退館管理棟前で記念撮影しました。記念撮影での注意事項がありました。
撮影中に、決して地面を触っていけません。
理由は、当たり前ですが、敷地内の放射線量が高いからです。今回の見学は、私が生きている間、今回の機会を逃すと、二度と見学出来ないと思い参加しました。感想は、とても感慨深い状況を、側で見ることが出来た事です。取り返しのつかない、大惨事である事を肌で感じました。
また、機会があったら見学したいです。
See you again