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 古来日本に住んでいた知識人で、日本に元々文字は無かったと偽った人には、古くは 斎部広成(いむべひろなり)がいます。それが『上古の世 未だ文字有らず』の記述です。

しかし、その反面、『日文伝』の「神代像字伝」のなかで、『斎部・橘両家之口伝極秘なり他見許さず』と記し、神代文字の護符を示しながら『斎卜部両家の秘符なり。その職を成すといへども、秘事を伝え難し。これ、面授口決の大事なり。能く受け、能く学び、能く慎みて、これを受けよ』と伝えています。

 

 ここから察するに、斎部広成は、表面上は時の権力に融通をきかせて、表向きは「神代文字など存在していない」と発表しながら、一族間ではこっそり先祖伝来の神代文字をしっかり口伝していることが解ります。

その証拠に、その孫の斎部正通(いむべまさみち)は、代々伝わる神代文字「イムベ文字」を世に発表しています。

 ここに一本筋ではいけない複雑な思いとストーリーを感じます。このことからも、その時代的背景や人物を理解してその心の中を察してみると、この時代の日本の神道かんながらの歴史的事実を必死に破壊しようとした当時の外国勢力の働きかけを感じます。

 また、近代において神代文字の実在を抹殺した人物に山田孝雄 元皇學館学長が挙げられます。『太古、日本の王は世界を治めた!』(高橋良典著、徳間書店、1994年)のなかで著者の高橋良典さんは、次のように記しています。

 平安時代以前に日本固有の古代文字があった、漢字や仮名以外の文字が依然として存在した、という結論は、これまで日本の古代史について書かれてきた何万という書物の基礎を揺るがし、日本古代史の根本的な書きかえを迫る、ゆゆしい結論だ。


  このことを重視した神宮皇學館☆こうがくかん☆の元学長・山田孝雄博士(故人)は、私のような研究者がこの問題に立ち入ることを封じるために、早速、一九五三年の『芸林』誌上で「所謂☆いわゆる☆神代文字の論」(二月・四月・六月号)を発表し、先手を打った。

  彼はまず、これらの奉納文を"調査"した結果、「その紙質、墨色を見るに明治の初年頃を下るものであろうが、それを上ることのないのは明らかである」として、それらは書写年代が新しいから偽作物だと断定している。

  彼の論法に従えば、江戸時代の初めに名古屋の真福寺で見つかった『古事記』の写本も、奈良時代の原本そのものではないからニセモノだということになる。  

 奉納文の紙質や墨色がたとえ明治初年のものだとしても、そこに書かれた内容が原本と同じであれば、千古不易の価値をもつ道理がまったく無視されることになる。


 また彼は、「これらは何を基にして写したのかも分からぬ。とにかくこれらは神宮教院で製したもので……」と述べ、まるで伊勢神宮の神宮教院がこれらの奉納文を贋作☆がんさく☆したかのような書き方をしている。

  しかし、神宮教院といえば、それは明治五年に維新政府の政令によって設置された大教院をさしている(神宮司庁発行『神宮百年史』参照)。大教院の教主は、皇族の久邇宮☆くにのみや☆朝彦親王殿下だ。そのような権威ある神宮教院が、国民を煽☆だま☆すために、わざわざ時代も書体も変えて、九九点にのぼる煩雑きわまりない大かかりな贋作作業を実行した、などということが本当にありうるだろうか。

 山田博士の論文は、過去千数百年にわたって日本の伝統と文化遺産を守り続けてきた伊勢神宮が、あたかも私たちを顔すためにこれらの奉納文をでっちあげたかもしれない、という憶測を生みだすもので、このような人物が神宮文庫の館長を兼任していたこと自体が信じられないくらいだ。

その後の日本の歴史学界は右のような山田博士の結論を踏襲して、相変わらず古代の日本には漢字以外の文字がなかったことを国民に教育し続けている。

そして伊勢神宮の奉納文が伝世の写本であることを口実に、日本古代文字の存在を否定し続けているが、はたしてそのような確信は、いつまで揺るがずにもちこたえられるだろうか。

  これまでのところ、日本の古代史学者の大部分は、平安時代以前の遺跡から出土した遺物にこれらの奉納文の文字と同じ古代文字が見つからないところから、山田博士の見解をうのみにしているが、もしも、その気になって古墳から出土した鏡の文字を調べてみれば、そこには明らかに漢字や仮名と異なった文字、さきの奉納文に使われた文字が刻まれていることがわかるだろう。 

 日本の古代文字は「見つかっていない」のではなく、「見つけようとしない」から、これまで存在しないことになっていたのだ。

また、『異端から学ぶ古代史』(沢田洋太郎著、彩流社、1994年)には、神代文字否定論者の見解とさらにその反論がまとめられています。

こうした「神代文字」というものは、ほんとうに太古の日本列島で用いられていたのであろうか? この問に対しては、国文学者は「問題外である」と真っ向から否定している。

 その理由として、これらの「神代文字」はすべて五十音図に即していることがあげらている。それというのは、一九〇九年、橋本進吉博士が『万葉集』や『古事記』の文字使用法を調べたところ、当時はイ・エ・オの発音には甲乙の二種があり上代日本語の母音は八個でありキ・ケ・コ(ゴ)・ソ・(ゾ)・ト(ド)・ノ・ヒ・ミ・モ・ヨ・ロの表記は甲・乙二様に厳格に区別されていたということを発見したからである。

 このことは、七・八世紀の日本語には、五十音ではなく八十七音あったことを意味しており、そういう区別がされていない「神代文字」は発音の習慣が五母音に変わった平安時代以後に偽造されたものであるというわけである。


この説を説く人たちは、日本語はもともとウラル・アルタイ系の言語であり、かつては「母音調和」という法則に従っていたと考えている。

 しかし、この主張は、近年、若手の研究家によってあまり説得力のないものであると論じられるようになっている。それというのは、『万葉集』や『古事記』を書いた人は、ウラル・アルタイ系の発音の癖を有する百済系の渡来者から漢字を学び、文字の使い分けの法則を守っていたのに対して、列島住民はもとより、当時でも圧倒的多数の者は、五母音による五十音式の発音をしていたのであり、甲・乙二類の表記分けとは無縁の生活をしていたとするのが当たっているというのである。


つまり九世紀以後の日本語が何の抵抗もなく急速に五十音に変化していることは、一時は大陸の影響を受けていた上代日本語が、本来の五母音に収斂されていったのであると考えたほうが理解しやすいというのである。

したがって、「神代文字」の存在を一笑に付して否定するための根拠は失われたことになる。それと同時に「古史・古伝」についても頭から偽造された文書として拒絶して済ますわけにはいかなくなってくる。


 また、抹殺された神代文字について、その決定的だった事件を、『日本の真相』(林信二郎著、商工毎日新聞社、1978年)中で次のように述べています。

ユダヤ系秦始皇は、ヤマト朝第7代孝霊天皇からアジア王に任命され、孝霊44(BC247)天皇へ答礼に来て、天皇製作のテン字象形の神字を、シナの漢字に制定、全シナに漢文の石碑を刻み、漢字を発達させた。

  今から2070年前(BC 95)漢武帝軍はヤマト第10代崇神天皇の三輪皇居占領、日本の神代文字を焚書、日本語50音を、漢字973字であて字に用い、漢字で支配した。  

 武帝軍は、九州からの大和進軍を、神武東征とだまし、秦・漢のアト、随も唐と交代した。唐高宗の妻則天武后は、唐の藤原不比等に、日暦を唐暦にかえさせ、古事記など古典3巻の漢文や漢文マガイを作り、1400年間日本人全部をダマシつづけた。

~中略~ 百済の王仁は、論語と漢字千字文を、第16代応神天皇にささげた。  

漢字の読めない万民は、ドレイ部落の奴にされた。数百年後、日本人も、論語や般若心経で、漢字を学び初めた。漢人の唐(藤原)は、天皇の公家に君臨、漢字で万民をアゴで使い、明治までの1400年間たくみに日本を支配した。

 日本人は第11代垂仁天皇の『吏読音訓』で、漢字のヨミカタ研究。日本人の官吏は、論語などで漢字を勉強、唐人のウソを知った。鎌倉と平安朝の、(神代)神字発見者は全部葬られ、愛国者と明治維新の、勤皇志土の血涙で、神武カタカナ復活第1歩をフミダス。

時代の見解は少し異なりますが、次の図書でも太古日本の神代文字は大陸系の勢力により改革させられたという説を記しています。

「幸運を招く言霊姓名判断」(坂口光男著、ロングセラーズ、1994年)

イ)今から千三百五十年ほど前、大化の改新(645年)白村江の戦い(663年)の時代に、日本固有の文字と文化、先住有力氏族の記録がすべて消滅させられた(王家のものも)。

この主犯者は、白村江の戦いで日本海周辺を占領した唐(中国)の軍隊と首謀者である。この中国の占領支配は、『日本書紀』天智天皇関係記事に証明されている。(669年には2000人の中国占領隊が活動)。

ロ)
以後、これらの恐るべき力が日本の古代文字を抹殺し、奈良時代以前の歴史を封印した。いわゆる漢字の呪縛が開始された。(イ・ロ=高橋良典・漢字文化に消された事実/歴史読本91・3を筆者が補足す)

ハ)
奈良以前に固有古文字があった証拠として、高橋良典氏は『日本書紀』欽明天皇二月三月の条を、学会が見落としていることを指摘している。 帝王本紀に、多に古き字あり。撰集の人しばし遷り易はること経たり。後の人習いて読むに、意を以て刊り改む(故意に修正せざる得なかったの意)。伝へ写すこと既に多にして、遂にたがひまよふこと致せり(筆写伝授しているうちに混乱を招き、元の形体がそこなわれた)。

とある一定の時代において、神代文字の存在自体を消してしまおうとい外国勢力の力が度々働いたわけですね。  

 しかし、似たような事は戦時中の大日本帝国でも他国に向けて行われていましたし、近代の中国が支配対象の少数民族におこなったことでもあります。そしてアジアだけではなく歴史上、世界中で戦争とともに繰り返されてきたことです。まあ、それらも全てこの世のシナリオだったと今は思うしかありませんね。  


そして、これからの時代のシナリオはどうなのでしょう?

 

インターネットの発達により、誰もが発言出来る様になってきたのと共に、これからは今までは隠蔽されてきた歴史の理解が明らかにされていく時代に突入したのかもしれません。  


これからを歩んでいくためにも、己の正しいと信ずるところに意識を切り替えていくことが必要なのでしょう。そして、自国と他国の相互の文化・歴史を正しく理解して、その違いを楽しみ称えたいと私は思います。


我々は、日本人でありつつも、国境という概念すら越えた地球人である事を、忘れてはいけないのかもしれません。