『因果の法則』とか

『感謝のメソッド』とか

『運を貯める』とか、

 

こんな行いをすれば、結果自分が幸せになれる。

良い事が起きる、夢が叶う、裕福になれる、、

 

などなど、ありますよね。

 

 

そこで、だれしも一度はギモンに思うのが、

 

『自分が幸せになりたいから、人に親切にする、ってどーなの!?』

という思いだと思います。

 

感謝のメソッドなら、意識しないと忘れている有難いことを

片っ端から思い出して、心の中で感謝感謝…

 

感謝を続ければ、いずれ周りが世界があなたに優しくなり、

素晴らしいことが起きる…。。

これも

 

『自分が幸せになりたいから、感謝を意識する、ってどーなの!?』

 

と思うことがあるのではないのでしょうか。

 

 

 

 

 

本日のメインの答えはもう、タイトルそのままです。

 

 

ずばり、すべては自分のため、

自分が幸せになりたいから、が動機でも

 

まったく問題ありません!!!

 

 

例えば道を歩いていて、重そうな荷物をもったおばあさんを見かけたとしましょう。

 

一瞬、「大変そうだな、大丈夫かな?」

という思いがわきましたが、

「まぁでもわざわざ手を貸すほどでもないか…」と思ったり、

「ああ見えておばあさん力持ちなのかも?」

「他人が余計なことしない方がいいのでは」

 

等、おばあさんが少し気になるものの、手を貸さないで済む理由を考え始めます。

 

 

こんな時、

『積極的に助けよう!そうすれば私の運もたまる!』とか

『善い行いをすれば、それが私に返ってくるんだ!』

など、そんな“下ごごろ”じゃないですが、

 

そんな気持ちで、

要は“自分のために”人助けや、良い行いをしてもよいのか、

というギモンなんですが、

 

 

まったく問題ありません。

あなたの心理にどんな“自分のため”があったとしても

その行為自体はとても清く、愛の思いやりに他なりません。

 

 

 

 

例えば、そのおばあさんに声をかけ、坂の上までその荷物を変わりに背負って登ってやることにしたとして、、

そこで内心『なんだよ、このばーさんの荷物えらい重たいなー!!もってやってんだからさっさと後ろついてこいよ、何モタモタしてんだ、ったく…!』

 

というような思いがあるのでは当然ダメです。

 

 

『相手を純粋に助けたい』という思いやりの上で成り立つ

『思いやりの循環で私も幸せになれる♪』という思考は、良いのです。

 

困っている人はいないか、いつも気にかけたり、ボランティアに参加したり、青年海外協力隊に行ったり、これも、この二つの思いが両立しているならば問題ありません。

 

 

 

 

たとえば、親切心でしたことが仇となって返ってくる、なんてこともたまにはあるでしょう。

 

迷子の子供を交番に連れていこうとしたら、逆に変な人と疑われた、財布を届けたら自分がカードを抜いたのではと調べられた、会社の新人をよく世話してやったら、逆に上司に自分が不利になるような事を告げ口された、、、などなど

 

こんな時、『親切心でやってやって損した!』

『もう二度と他人の事には首を突っ込まない!』

『親切心で人と関わると痛い目をみる!』

 

などと、決して思わないでください。

 

そんな時、どう受け止められるかがとても重要なのです。

『恩を仇で返されるような目』に遭っても、

そこには特別な意味があり、

 

それすらも神様からの“学びのギフト”に他ならないのです。

 

 

例えば上記の例3つ目

『会社の新人をよく世話してやったら、逆に上司に自分が不利になるような事を告げ口された』

 

この場合、具体的にどのような“ギフト”として受け取ることができるか練習として考えてみてください。

 

 

 

 

 

………(二つか三つ考えてみましょう!)………

 

 

 

 

 

 

さて、いかがでしょうか。

 

 

決まった「正解」はありません。

 

 

解答例を挙げると

 

〇その新人がどうしてそのような行動をとったのか、彼はこれまでどんな経験をしどのような人生を送ってきたのか、何が彼をそうさせるのか、相手の行動の背景を考える力がつく。

 

〇私は親切に世話を焼いてきたつもりでも、無意識に彼を傷つけたり嫌な思いをさせたことがなかったか、自分を謙虚に顧みるということができた。

 

〇彼にどんな事を告げ口されようとも、自分さえ、自信をもってこの会社で仕事をしていればいいだけの話だ。今回の事で上司からの評価に敏感になりすぎ自信を失っている自分に気づけた。

 

〇もしかしたら、彼は悪意ではなく、正義感や規律を守りたいというきちんとした性格からそうしたのかもしれない。まるっきりデタラメなことを言われたわけではないので、むしろ真摯に反省すべきなのは自分ではないか。

 

〇親切心で助けても、100%の人がそれ善意として受け取ってくれるわけではない、そのことに彼は気づかせてくれた。

 

〇恩を仇で返されても、学びのギフトとして受け止める練習のチャンスをくれた。

 

 

 

このように、「現状」を「ギフト」として受け入れることができます。

 

 

 

その新人、個人に憎しみをぶつけるのではなく、

その新人くんは神様が私に与えた学びのシチュエーションに必要うだったから登場したキャラクター、その役をかって出ていてくれている、神様から手配されて、登場したと思えたら、なお素晴らしいでしょう。

 

その彼(新人くん)に注目せず、彼を配置して、与えられた「ギフト」にだけ注目するのです。

 

 

 

 

 

さて、人間は幸せを追求する生き物です。

 

だれだって幸せになりたいし、叶えたい願いがあります。

 

 

 

「引き寄せの法則」や「鏡の法則」、「潜在意識」や「感謝のメソッド」などなど、スピリチュアルな法則を知っている私たちはすでにとても幸運です。

 

またこれまで辛く苦しいことがあったからこそ、これらを知るきっかけになった、という人も多いでしょう。

 

 

心の中の「被害者意識」「愛が失われる恐れ」に、気づき、手放し、

ますます「愛」と「感謝」と「思いやり」で心を満たしていきましょう。

 

 

 

 

あなたが、受け取れる恵みがどこまでも無限に増幅していきますように。

愛で輝きだしますように。

 

 

愛をこめて。