me)「神とひとつになること」を読んでいます。この本は今まで僕が読んだ本の中で一番凄い本だと思っています。僕が過去に道場で学んできた真理と全く違和感がないだけでなく、さらに深い真理が語られているのです。この本に出会ったことに感謝しています。

この1章は「必要性という幻想」というテーマで書かれており、人間が持っている最も本質的な幻想について、説明されています。

 

====「必要性という幻想」p37/『神とひとつになること』(ニール・ドナルド・ウォルシュ著、サンマーク出版)=====

 

 ● 第1の幻想・・・・必要性が存在する

 これは最初の幻想というだけでなく、最大の幻想でもある。この幻想のうえに、ほかのすべての幻想が成り立っている。

 いまのあなたの人生体験のすべて、刻々と感じる思いのすべての根は、この考え方と、これについてのあなたの考えにある。

 宇宙には、必要性は存在しない。何かが必要になるのは、特定の結果を求めるときだけだ。宇宙は特定の結果を求めはしない。宇宙そのものが結果だから。

 神の思いには必要性は存在しない。神が何かを必要とすれば、それは神が特定の結果を求めるときだけだ。神は特定の結果を求めはしない。すべての結果を生み出すのは神だから。

 神がある結果を生み出すためには何かが必要だとすれば、神とはいったい何なのか? 神のほかに存在するものは何もない。神は存在するすべてであり、存在したすべてであり、これから存在するすべてである。神でないものは何もない。

 

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me)ここに書かれた『宇宙には、必要性は存在しない』という文章の意味が、今ひとつしっくりと理解できないのです。例えば、『宇宙は特定の結果を求めはしない。宇宙そのものが結果だから。』と書かれているのですが、「宇宙そのものが結果だから」という意味が、何を指すのかが明確にわからないのです。僕の解釈では、「結果」というのは、「原因結果の法則(因果の法則)」で現れた、「現象的映像としての結果」とように解釈してしまうのです。

 

meの神)それでいいのではないかな。宇宙は結果に過ぎないのだから、宇宙自体に必要性がないのは当然だね。

 

me)それでは、次の『神の思いには必要性は存在しない。神が何かを必要とすれば、それは神が特定の結果を求めるときだけだ。神は特定の結果を求めはしない。すべての結果を生み出すのは神だから。』に書かれている「神の思いには必要性は存在しない」というのは、どういうことなんですか?

 

meの神)神はすべてのすべてだから、必要性は存在しないと、ニールさんの神は言っているよ。つまり、神様も必要性もなければ、宇宙にも必要性はないと言っている。

 

me)ではなぜ人間は「必要性を感じている」のでしょうか?

 

meの神)そこが問題だろうね。神にも宇宙にも「必要性はない」のに、なぜ人間にだけ「必要性を感じている」のかということだね。あなたはなぜだと思う? それが分かれば、この本はマスターしたことになるのではないかな。

 

me)何かヒントを出してくださいよ。

 

meの神)ヒントねぇ、そうだなぁ・・・。

「宇宙そのものが結果だから」と書いてあったね。それでは、その宇宙を造った原因はどこにあるのかな? 

 

me)それは神様の意図と、人間の再創造だと思います。

 

meの神)そうだね。人間の本質は神であり、宇宙万物と一体だという基本を認めるとすれば、結局この宇宙を再創造したのは、広義の意味における人間(神我一体の霊的人間)だと言ってもいいことになるね。その「神の自覚を持っている人間」が、宇宙を再創造しているのであれば、それは「神」であり、「必要性はない」と知っているのだから、人間が「必要性を感じている」というのは、おかしいと思わないかね。

 

me)確かにそうですね。なぜ本質的に神である人間が、「必要性を感じている」のでしょうか? おかしいですよね。

 

meの神)そのカラクリをあなたはどう解明するだろうか? 自分で答えを出してみたらどうだね。

 

me)はい、やってみます。

まぁ、人間の本質は、神であることは間違いないですよね。つまり、その内在の神とは、魂のことだと理解しています。ですから、人間の魂は神ですから、「必要性はない」のだと思います。ただ、現在意識、つまり精神や理性のレベルの人間は、現象世界の因果の法則に支配されていると思っていますので、どうしても「何かの結果を得る」ためには、「何かを必要とする」と信じているのだと思います。

そういうことでしょうか?

 

meの神)自分でちゃんと答えを出せるじゃないか。あなたはよく整理されているね。

わたしの出番はもうなさそうだね。それでいいんだよ。そうでなくてはねぇ。

 

me)いえいえ、神様が引き出してくださったのですよ。ですから、僕にとっては神様は必要なんですよ。

だから、ここに居てくださいよ。

 

meの神)あなたは今、自分で答えただろう。『人間の魂は神ですから、「必要性はない」』と言ったではないか。前言取り消しかな?

『僕にとっては神様は必要なんですよ。』というのは、おかしいと思わないか?

 

me)・・・・(・ω・;)。

そんなこと言わないでくださいよ。意地悪だなぁ。

確かに、変ですね。『僕にとっては神様は必要なんですよ。』と自分で言っていて、なんだか変だと思いましたよ。

 

meの神)わたしは、あなたと離れることなどできる訳がないから安心すればいい。一体の存在が、どうしたら分離できるのか、わたしの方で教えてもらいたいものだよ。それはともかくとして、問題は、人間が「必要性を感じている」、その理由だね。あなたが今、不意に『僕にとっては神様は必要なんですよ。』と口に出したのは、あなたの潜在意識と現在意識が、「自分には神が必要だ」と思っていたことを、証明している。ということはつまりだね、現在意識と潜在意識のレベルでは、「自分は神ではない」と自分で宣言していることを意味していることになる。

本来、あなたは神そのものであり、天地万物と一体、すなわち、「すべてのすべて」にもかかわらず、そのことを忘れていたということになる。あなたの魂はその真実を知っているが、あなたの現在意識と潜在意識はまだ、「別の存在だ」と信じていたということになる。

それと同じことで、多くの人類の現在意識と潜在意識のレベルでは、「神と自分は別だ」と信じているから、「必要性を感じている」ことになる。

 

me)そういうことなんですか。「必要性」というのはとても根強いもののようですね。

 

meの神)だから、この本には、『これは最初の幻想というだけでなく、最大の幻想でもある。この幻想のうえに、ほかのすべての幻想が成り立っている。いまのあなたの人生体験のすべて、刻々と感じる思いのすべての根は、この考え方と、これについてのあなたの考えにある。』と書いてある。あなたも『僕にとっては神様は必要なんですよ。』という認識が、「幻想」だと気づいた時に、幻想から離れて、「久遠の今」が今ここに実現していることを宣言すれば、「必要性はない」世界を体験することができるだろう。「必要性はない」世界とは、あなたがたの内にある「久遠の今」の世界のことだよ。そこに、すべてのすべてが実在している。

つまり、「必要性を感じている」出来事を「幻想」だと理解し、神の本質(久遠の今)を思い出し再創造する(宣言する)ことによって、神は神を体験的に知ることができることになる。それが、「幻想」として現れたことの素晴らしさだということになる。

 

me)なるほど、そういうことだったんですか。

そういうことであれば、神が神を体験的に知るためには、「幻想」はとても役立っているわけですね。

 

meの神)その通りだよ。この世界に無駄なものは一つもない。あなたがたに与えられるすべての体験は、幻想であるがそれらは完璧なプレゼントだ。

 

me)現象世界が存在する意味、幻想が存在する意味が、わかってきましたよ。

是非僕も、「必要性はない」という心境になりたいですよ。

 

meの神)そうなりたいとあなたが思うのであれば、そうなれるよ。自分がしたいか、したくないかだけの問題だよ。そうなりたいと思ったということは、魂の世界(久遠の今の世界)で既にそうなっている証拠だよ。そして、あなたが、「必要性がない」という心境を体験した時、あなたの体験を通して、わたしは私自身の「必要性はない」世界を体験的に知ることができるのだよ。それはあなたにとっても素晴らしい体験であると同時に、わたしにとっても素晴らしい体験になる。

 

me)人類も「必要性はない」と理解し体験できるでしょうか?

 

meの神)あなたはどう思う?

 

me)人類にとって最も根本的な幻想の問題だということですから、是非ともそうなってほしいものですね。

 

meの神)人類も全てわたしであり、あなただよ。人類一人一人の魂は神だよ。だから、既に「必要性はない」ことを全人類も知っている。魂レベルの人類においては、一度たりとも、「必要性を感じている」人類はいなかったのだ。人類の魂は久遠の今、「必要性はない」ことを知っている。

ただ、神が神を体験するためには、一時的に精神レベルにおいて、そのことを忘れていたに過ぎない。神でない存在(仮存在・幻想)がなければ、神を客観的に体験することはできない。光を体験的に知るためには、光の不在(闇)を一時的に表すことによって、光を体験的に知ることが可能となる。それが相対世界(客観世界・現象世界)の存在意義だ。「鏡」がなければ、自分の顔を客観的に見れないのと同じだね。

精神が描き出した現象世界は「心の鏡」であって、全て「虚像」であり「幻想」だ。その「幻想」はないのだから、あなたはその幻想が真に存在していると思わなければいい。もし、「鏡に映った虚像」にふくれっ面の顔が見えたとすれば、その「幻想(虚像)」とは反対の「ニコニコした顔」を再創造すればいいだけではないかな。そうすれば、即座に「ニコニコした顔」が鏡に映し出されるだろう。それが、鏡の役割だよ。人間は皆鏡で自分の顔を見ている。見ることで、自分の美しさや朗らかさや、格好良さを自分自身で再創造して楽しんでいる。人類は、無意識の内に、鏡を使って、この宇宙の「幻想」の最も本質的な使い方を、習得しているのだよ。それと同じことをすればいいだけだよ。

人類が、「必要性を感じている」という「幻想」を持っていると感じたのであれば、人類全員が、「必要性はない」と理解している姿を自分で再創造すればいいのだよ。そして、人類の魂の完璧さを祝福讃嘆していればいい。人類は神だから、一人一人の自由選択によって、幻想を利用して、「神の世界」を再創造しているのだよ。あなたと同じように。