いってらっしゃい ほほえんで、
おかえりなさい ほほえんで、
昼下がりには 年寄りに
夕ぐれどきは 子供らに
やさしく笑顔をなげている。
道路のスミに
太陽ひとつ。
『雲になりたい』 神岡学著 ダイヤモンド社刊
以前、子どもが生まれるよりももっと前、某漫画家のエッセイで
「母親力が強すぎる」という話を読んだ。
子どもの帰りが少しでも遅くなろうものなら、
事故にあったんじゃないか
誘拐されたんじゃないか
などなど、最悪の想像をして、心配で心配で、
居ても立っても居られないという内容だった。
当時のワタクシは、結婚前でもちろん子供もなく
「母親力が強かったら、逆にどーんと構えてられるんじゃないの?」
などと軽く考えていた記憶がある。
時は流れ、2人の子どもを育てている現在
まさに、そんな人となってしまっている。
すなわち、決まった時間に帰ってこない子ども達が
心配で心配でたまらないのだ。
小5の次男はまだしも、高校生となった長男は
もうそこまで心配しなくてもいいとは思うのだけど
コレが、なかなか止められない。
事故にあったんじゃないか
友達ともめてるんじゃないか
通り魔にでも襲われて、今頃救急車に乗ってるんじゃないか
はたまた、痴漢のえん罪で捕まって(あくまでもえん罪で)
駅員さんに泣きついてるんじゃないか。
呼び出しが来たら、飛んで行かなくちゃ。
なんて言ってかばおうか。
どういう抗議が効き目があるだろう。
想像が想像を呼んで、妄想が膨らむ膨らむ。
心配性の特性で、その想像が楽しいものに変わる事はめったにない。
そわそわと落ち着かなくメールを待つワタクシに、
夫君は余裕でこう言うのだ。
「そのうち帰ってくるだろ」
ハイ、ご名答。それはそうなんだけどね。
親の心子知らずで、長男はたいてい、ご機嫌でご帰還である。
空のお弁当箱を出しながら「メシなに?」
ワタクシの一番好きな言葉は
「ただいま」である。
「いってきます」と出かけて行った家族が何事もなく帰ってくる日常。
コレが一番のシアワセでなくて何だろう。
夫君の「父親力」を少し分けてもらって、平穏な心で待ちたいものである。
