神様が望む、正しい事に気付き、正しい行いをするとは、


その時々の自分の望みを叶える事が、幸せな事ではなくて、


自分の人生に、苦しむ事、悲しむ事など、自分が嫌と思う事が無い事が、
本当の幸せなんだと言う事に、気付くことです。
そして、自分の中に苦を作らない、他人に苦を与えない行いをする事です。


そうする事で、苦しみも悲しみも無く、
平和に、心安らかに暮らす事が出来るからです。


神様の望みは、皆が助け合い、楽しく心安らかに暮らす事なのです。
その為の規則が、神様の教えなのです。



世界遺産に認定されたら、その遺産と成るものを守る為に、色々な規則がある様に、


苦の無い、平和な世界を守る為には、それなりの規則が必要なのです。
その規則が、神様の教えなのです。


人が、苦を作らないで、平和に暮らす為には、
人は、どの様な望みや考えを持ち、どんな行いをしなくてはいけないのかを、理論に基づき教えているのです。


神様が、苦の無い、安心して暮らせる生活が永遠に続く、神様の国を、創る為に考えた方法が、神様の教えであり、


その神様の国へ、行きたいと望む人が、
神様の国へ、行ける人に成る為の方法を教えるものなのです。



神様の教え


1) 世間の判断に惑わされずに、本当の事に目を向けて、正しい思いやりを与えてあげること。


2) 世間の判断に惑わされずに、他人の行う全ての行動には、それぞれの考えがある言うこと。


3) 罪の無い生き物を苦しめてはいけない。


4) 他人の物を盗んではいけない。


5) 男女の関係を淫らにもってはいけない。


6) 他人を騙す様な言葉を使ってはいけない。


7) 他人が理解出来ない様な言葉を使ってはいけない。


8) 他人が傷付く事を言ってはいけない。


9) その場に応じて無責任な事を言ってはいけない。


10) 自分の事だけを考えてはいけない。


11) 他人の事に文句を言ってはいけない。


12) 自分を中心に物事を考えてはいけない。


13) お金や品物だけでなく、言葉や体の力の限りを使って、他人の為に尽くすこと。


14) バランスの良い食事をとり、健康に注意して、命を大切にすること。



布施


1) 恩を返してもらおうと思ってはいけない。


2) 慳貧な人を喜ばす為に行ってはいけない。


3) 天の果報を得る為に行ってはいけない。


4) 名誉の為に行ってはいけない。


5) 己を勝れている事を示す為に行ってはいけない。


6) 乱費する者に行ってはいけない。


7) 多くを有する者に行ってはいけない。


8) 無用の施しを行ってはいけない。


9) 親しいからと言って行ってはいけない。


10) 真に人を愛する心で行うこと。


11) 他人に安楽を与えるよう行うこと。


12) 慈善の心を起こす為に行うこと。



この世で起きる全ての物事は、神様の試しであって、その人自身の運命を決める為のものに、過ぎないのです。

だから、一つの判断や、考えなしの言動が、自分の人生を狂わすものと、成ってしまうのです。


人生は、自分自身が、知識ある正しい判断の出来る、素直で謙虚な人に成る為のものなのです。

それ以外の目的は無いのです。
神様は、このブログを、神様を信じ従う者が、

神様を信じない自分勝手な人が、自分勝手な自分の望みを叶える為の物事や、気遣いの出来ない言動などによって、作られる物事に巻き込まれて、
苦を作る人に成る事の無い様にと、
神様は、皆さん、一人一人の事を思ってこのブログを書きました。


このブログを読む一人一人が、正しい事に気付いて、自分の間違いに気付いて、正しい行いの出来る素直で謙虚な人に、成る事を望んでいるからです。


正しい行いの出来る素直で謙虚な人の行いは、
神様に、苦を感じさせる事がないからです。


神様は、苦を感じなかったら、人を苦しめる様な物事を起こさないのです。


人が大勢死亡する様な、自然災害も起きる事が無くなるのです。


人は、この世では、自由に自分の好きな事を行い、自分の望みを叶える事が出来ます。

行う事は自由に出来ても、その結果と成る事は、
神様の考えと、その物事で神様が感じる感情によって、起きる物事が作られるのです。


人が、科学などで、この世の出来事を解明した事が正しく、
自然界で起きる事も、自然による原因があるから、それだけの事で起きると思っています。


でも、その自然の原因こそが、神様の考えや神様の感じる感情で、起きている事なのです。
だから、自然災害は防ぐ事が出来るのです。


人が皆、正しい考えを持ち、素直で謙虚な人に成る事が出来たら、
大きな災害に苦しむ事も無くなるのです。


大きな災害が起きて、今まで努力し得たものを全て失い、愛するものを失い、生きる希望を失い悩み苦しむ。


その様な災害の起きる、本当の原因を知ろうとしないで、
その場だけを、「皆で、頑張って乗り越えれば、大丈夫」と思っているのです。


ただの自然災害で、仕方のない事と思っているのです。
でもそれでは、また同じ事を繰り返す原因を作るだけなのです。



人間は、自分の力を過信しないで、自分達の無力な事に気付く事です。
そして、自分が、神様によって生かされている事を、自覚する事です。


たった一人の、無知で自分勝手な人の言動が、大勢の人を苦しめる事と成るからです。


無知で自分勝手な人は、自分は、この世の全てを知り尽くしたかの様に、謙虚さを失い、自分の愚かな考えや行いを、正しいと思い込んでいるのです。


自分の、その正しいと思い込んでいる考えや行いが、大勢の人を苦しめる物事を、起こしている事にも気付かずにです。


そして、自分に都合の悪い事が起きると、
「神様は、酷い事をする」と、神様を恨み、
自分の望みを叶えたい時は、「神様、お願いします。」と、神様に助けを求めるのです。


神様が、望む事は何もする事なく、神様が、何を望んでいるのかも知ろうともしないでです。



神様を信じる事が、愚かな人のやる事と思い、自分勝手に生きているのです。
自分自身の、愚かさに気付く事も出来ずにです。


例えれば、会社に勤めて、社長が誰かも知らないで、
また、知ろうともしないで、社長の前で、社長の悪口を言う様なものなのです。


と言っても、人は、目に見えないものや、自分の持っている知識に無い事は、理解の出来ない事と思い、信じる事も出来ないと思います。信じるのも、信じないのもその人の自由です。


なぜなら、自分のやった事は、自分で責任を取る事に成るからです。


でも、その神様を信じない人は、起きる物事を自分の思い通りに、起こす事が出来るのですか。


産まれて来る時に、自分で親を選び、体を選ぶ事が出来るのですか。

地震を起こし、大雨や大雪を降らす事が出来るのですか。

人が、科学で正しいと思っている事は、今までのデーターの集計に過ぎないのです。人が知り尽くしたと思っている事は、ほんの一部の事でしかないのです。

人間が、幾ら自分達の事を優れていると思っていても、神様の力を越える事は出来ないのです。


なぜならば、人も、この世も、神様が創り、神様が支配しているからです。

人間が、努力し、研究し、自分で発見した、解明した、気付いたと思う事は、神様によって気付かされた事であり、教えられた事でしかないのです。



自分の好きな事を自由に出来るからと、それぞれの人が、何の規則も無く生きていたら、

自分の子供や、子孫に何も教え伝える事も出来なくなり、教えてもらえない者は、物事の良し悪しも知る事が無くなり、
いずれは、人間である意味が無くなるのです。


習性だけで生きる、野生動物と同じに成ってしまうからです。
そう成ってしまったのでは、喜びを感じる事も無く、ただ生きるだけの生き物に成ってしまうのです。


神様は、そう成るのが嫌だから、皆が、人間として喜びを感じ、生きる希望や目標を無くさないで、人間として生きる事が、何よりの喜びと感じ、永遠に生き続けられる様に、

その為の方法として、神様の国の規律を守る為の、規則を創り、皆に教えているのです。
次々に、教え伝え守れる様にです。

絶対に、守らなくてはいけない規則として、教えているのです。
いつまでも、人間として生きられる様にです。



今の時代を見てみてください。

人は、自由、自由と言って、自分の好きな事だけをして、人より勝る事が偉いと思い込み、他人がしない様な服装をして、自分が気に入らなかったら簡単に人を殺し、親まで殺してしまう。

性欲の為にだけ男女が付き合い、自分の子供に物事の良し悪しも教える事が出来ず、気楽に生きたいと結婚もせず、老後は助け合う人も居なく、病気に苦しみ、物事が自分の思い通りに成らないと嘆き、自分の間違いに気付く事無く、都合の悪い事は全て人のせいにして人を責めるのです。
これが、今の時代です。

自分勝手な人間が、作り上げた世の中なのです。

これから先の時代、この様な考えの人が子供を産み育て、更に、物事の意味も、物事の良し悪しも、人が生きる意味も無いものとしてしまうのです。


真実を、自分勝手な人の考えや、都合によって、変えられたり、無いものに成ってはいけないのです。


人は、無いものは、その存在に気付く事も、知る事も出来ないのです。

また、人は、知らない事は、教えられないと気付く事も、知る事も出来ないのです。

だから、神様は、物事を起こして、人に「こうゆう事があるのだと、」「こう成ってしまうのだと」言う事を、その人自身に体験させて教えているのです。


だから、皆さん、気付いてください。
そして、今のままの考えでは、いずれ人間は人間として、生きる事が出来なく成る事を知ってください。



人間が、人間として、喜びを感じ永遠に生きる為に、自分自身が、正しい事に気付き、教え伝えていかなくてはいけないと言う事を知って下さい。


その為の、神様の教えだと言う事を知って下さい。


神様は、人の目には見えないけれど、皆さん一人一人の事を思い、
皆さんが、その思いに気付いてくれる事を願っているのです。


人が、自分の好きな人や、愛する人に、自分の思いや考えを伝えたいと思うのと同じ様に、


神様も、皆さんの事を思い、その思いを伝えたいと思っているからです。
この世では、誰もが自由に物事を作る事が出来ます。

自由に物事を作れると言う事は、失敗しても、それを元に戻す事や、やり直す事が出来ると言う事です。

失敗しても、その事に拘らずに、自分の行いを反省して、知識として、新たな事を行う事が出来る。

それが、神様が、与えてくれる見返りであり、楽なのです。

反省する事なく、自分の都合だけを考えて、物事を新たに行っても、
また同じ失敗を繰り返す事と成るのです。

前回よりも、大きな失敗や苦ととしてです。

何故かと言うと、
それは、神様が、与えたものではないからです。
物事は、その人の間違いを気付かす為に、神様が起こしているのです。

だから、自分の間違いに気付き、その事を反省しなければ、自分の間違いに気付けない事が、間違った行いとなり、
神様は、その人に、その事を気付かす為の物事を作るのです。

それが、何度も繰り返される失敗や苦を感じる物事なのです。
だから、自分の間違いに気付き、その間違いを正す為に、素直な心でなくてはいけないのです。



人に尽くし、目に見える見返りが無くても、
心が安らかでいられる事が、一番の見返りなのです。

お金や財産があれば、それを狙って、家族で争いが起きる。
お金は、必要な時に必要なだけあるのが幸せな事なのです。



物事を行う時に、心に少しの油断や傲りがあると、必ずと言ってよいほど、物事は自分の望む結果とは成らないと思います。

これは、物事と言うものは、その人自身が、絶対に、そうしょうと思い、そう成る全ての事をしなければ、望む事には成らないと言う事なのです。

心の油断や傲りは、そのしなくてはいけない事を欠けさしてしまうのです。

絶対と言う事は、油断や傲りは有っては成らない、許されない事なんだと言う事を教えているのです。

何故なら、苦を感じる物事は、少しの油断と傲りで作られるからです。

神様の創る、苦の無い国は、絶対に苦を作ってはいけないのです。
だから、その人自身が、苦を作らない知識を持ち、
絶対に、苦を作らない事をする人でなくてはいけないのです。
絶対と言う事の、意味を知らなくてはいけないのです。



自分の考えや望みに関係なく、
神様の望む事を、神様の指示に従い行う事で、
神様は、苦を感じないので、私達に苦を与えないのです。
だから、困った事が起きないのです。
苦が無い事が幸せな事なのです。
一般的な、普通の生活が出来るのです。
それが、人間として一番幸せな事なのです。
神様の指示に従い行う事で、神様の望む、苦の無い国を創る事が出来るのです。

皆が、神様に従う事で、神様の望みが叶うのです。
神様の望みを叶える事で、神様は、私達の望みを叶えてくれるのです。


全ては、神様の計画のとおりに物事を行う事が、その人が、苦を作らない人に成り、幸せに暮らす事が出来る、一番良い方法なのです。

何故なら、神様は、その人を苦を作らない人にする為に、全ての事を計画的に決めてあるからです。「この物事を体験させて、この事を教えて」とか、「あの人に会わせて、この事を教えてもらってとか、あれを与えてもらおう」などと言う様に、全ての事を考えて決めてあるのです。

その通りに行う事が、困った事も起こらないで、その人に間違いを気付かし、正しい行いの出来る人にする事が出来るのです。

その人が、神様の指示に従わないで、自分勝手な事をすると言う事は、神様の計画に無い、余計な物事が起こり、神様の思い通りにならなく、その人を助ける事も、正しい事を教える事も出来なく成ると言う事なのです。


この世で、今起きている事は、神様が、苦の無い神様の国を創る為に、立てた計画通りに起きている事なのです。

そんな事ある訳ないと、思う人も居ると思います。
今、私達が、この世で体験している事は、神様を信じる人を、苦を作らない人にすると言う目的と、神様を信じない人に、後で、「そんな事知らない」と言われない為に、知るチャンスを自由に与える為であり、全ての人を納得させる為なのです。

人を、一般的に言われる、天国と地獄の様な国別に分けた時に、
全ては、自分自身で決めた事だと、分からす為なのです。

自分で行った事は、自分で責任を取る事に成ると言う事なのです。

だから、神様を信じないのも、神様を侮辱するのも、その人の自由です。

神様は、神様の望みを叶える努力をする人には、自分の全力を使い、その人を幸せにしようとします。

でも、神様の教えに反する事をする人には、容赦なくその人が苦しむ事をするのです。

望む全ての人に、平等に全ての事をお教えします。
自分が、何を選ぶかを判断するのは、あなた自身です。
自分が、何を行うかを決めるのも、あなた自身です。
正しい判断をされる事を、お祈りいたします。

人は、自分の意思で、物事を作る事が出来るのですが、神様は、人が正しい判断をしてくれるのを、祈るだけしか出来ないのです。

皆さん、同じ事を何度も言いますが、後で後悔しない様に、正しい事に気付き、正しい判断をしてください。


また、神様は、神様に従わないけれど、自分成りに考えを持って、苦を作らないで生きている人には、苦を与える事をしません。
間違いを起こさなければ、苦を作らなければ、苦は与えられないのです。
この様な人は、苦も与えられないけども、神様に、守ってもらう事も出来ないのです。


また、神様は、その人の事を考えて、その人に色々なものを与えているのです。

その事に気付かないで、与えられたのに使わないものや、粗末にするものは、失う様な物事を作るのです。

だから、今、自分が持っているものは、失わない様に意識して使い、失わない為の努力をすることです。



障害や病気になり、皆と同じ事がいかに幸せな事かを知る。
だから、人と違う、人以上の事を望まないで、人と同じ事を望み、それ以上の事を望まないことです。



物事は、結果が大切なのではないのです。
人を納得させられる行いが出来るかなのです。
自分が、今必要な事をその都度行い体験して、不具合を見つけて、その都度改善する。
そうする事で、無駄も無く、人にも納得してもらえるのです。



人のやる事、やってくれる事に、絶対に期待しない事。期待しない事で、そう成った時に喜びとなる。期待すると、自分勝手な想像をしてしまうからです。



無いものを、有るかの様に考えて行動する事で、苦を防ぐ事が出来る。経験と発想力、 知識と想像力。



今、苦しいと思う体験で得られる知識は、自分がこれからの人生で、人に喜びを与える為に必要な事なのです。
人に喜びを与えられない人は、人に喜びを与えて貰えないからです。



人は、物事を当たり前と思う事で、喜びを感じる事が出来なく成るのです。
だから、起きる物事が当たり前でない事を教えているのです。
人が、与えてくれている喜びに気付かす為にです。



人が行う事で、自分が不平等さを感じたとしたら、それは、人のどんな言葉や態度が、人に不平等と感じる思いをさせるのかを教えているのです。



苦を作らない方法は、お互いに理解し合い、思いやり、納得し合う事、そう出来る様に本音で話し合うことです。それ以外に方法はないのです。



一時的に強く引かれる、込み上げてくる様な感情を、人は愛してると言うけど、感情は、その時々の状況で変わるものなのです。

神様は、変わるものは、先々どうなるか解らないもの。
解らないものは無いものと決めているのです。

だから、人が幾ら、愛があるからと言っても信用しないのです。

神様は、人の中にある望むものによって行われる行いを、尊敬出来る事が、変わらない人の繋がりだと思っているのです。

人は、尊敬する人には、素直になり謙虚になる。
尊敬すると言う事は、同じ考えであり、共感出来ると言う事だから、お互いの行いを理解する事が出来ると言う事なのです。

そうすると、思いやる事も出来て、お互いに苦を与える事もないので、心が変わる事もないのです。だから、望みを変えない限り、人と人の繋がりは永遠に続くのです。



神様と同じ体験をして、同じ思いの人でないと、神様の考えを、理解する事は出来ないのです。



教えられる前に、自分で気付く事で、苦を回避する事が出来るのです。
楽を作らないと、生きている意味を失い、生きる事、学ぶ事をやめてしまうから、だから、神様は、楽の作り方を気付かし教えているのです。



自分の事や、自分の都合をその都度考えるのではなくて、
その時々に、相手の今おかれている状況を探って、その状況を理解して、その人の立場に成って、その人の事を考えて、思いやる事が出来たら、争いも起きる事がなく、人が傷付け合う事も無くなるのです。