世の中、「 運 」と言われることがある。
この運たるもの、何かと言えば、
自然の中の 道理 に相違ない・・・と
想われる。
自然界の神様が、人間のために
創り申した、法則のようです。
命 ひとつ取り上げても、
宿命たる 終わりが ある。
その時間の中で、
人と人が調和するために
定めし、時間の配分
、
もしくは、
損得の法則に不可欠な要素として、
調和の配分が出来ているのでは、ないか・・・?
『 6 分 』・・・天運 (天裕)てんゆう
『 4 分 』・・・人の運
自然の中、偉大なるエネルギー
人間の社会の作り出すエネルギー
この配分に、人間社会の調和たる、
平和のキーワードが
ある気がしてならない。
だからこそ、心ある人が
存在してる。
自然と共振する想いと
人としての
成長がその、調和を保つと
真じている。
人間社会にお金が作られた時点に
いまの、アンバランスが
生まれたと・・・?想う。
よき調和を育むべき
時代であろう。・・・・・・
そのときが・・・今。
私だけだろうか・・・こんなこと考えるのは?
戦争のなき世界を願う。
自然が教えてくれる
人の世のあり方を・・・
喜びを与えるべき人になれ・・・と。
<p>ある人が、社会から離れました。
つい、最近まで「 枠 」の中に、はまり
知らず知らずに、その「 枠 」の中で、の
習慣になれてしまい、その生活観が
当たり前の日常でした。
離れた途端に、自からの心身に
違和感を感じる様になりました。
いつの間にか、形成された習慣から
外れることが出来ない自分に
嫌悪の念を抱くことに成りました。
数々の体験も経験も、多だありながら
それらに対応することが、なぜか
出来ない自分・・・?
新しい事象に対応できない自分・・・?
悲しい、淋しい、「もののふ」の姿が
そこにありました。
人、人間、の役割が、できない姿。
自信のない毎日を過ごす姿。
「素の自分」を、表現できない
「 枠 」と言う自分を外せない、
有りとあらゆることに目を向けられない
元にもどれない・・・?
同じ人生でも、様々な
生きざまがあります。
目的、 希望、 生きての時間
の生きがいを持たない限り、
自分の人生のピリオドを表現できない。
大切な命への冒涜に成りかねない。
元気な心身ある 内に
人生の終わりへのシュミレーションまでも
創造出来るよう精進です。
与えれし命の時間を
有意義に、使いまわす
春の兆が見え始める
今日 この頃
人生の悲哀を
感じ、まして候。
