2024年11月11日、

愛知県の大きな神事に行ってきた。

 

日本国の危機的な状況を憂い、

北斗七星の星からのエネルギーを降ろし、

神々と共に日本国を守るための神事。

 

良いお天気で、穏やかに神事を終えて、

日帰りで帰ってきた。

 

それはそれで終わったと思っていたのだけれど...

 

11月11日は月曜日。

仕事は代休をいただいて行ってきた。

 

そして日常に戻ってからのこと。
立て続けにこんなメッセージがやってきている。

 

毎日聖書の箇所を目にするのだけれど、

今週は毎日ドキッとしてしまう。

 

===

 

◆11月12日(火)

 

「もし、だれかが私のもとに来るとしても、

 父、母、妻、子供、兄妹、姉妹を、

 更に自分の命であろうとも、

 これを憎まないなら、

 わたしの弟子でありえない。」

 (ルカ14:26)

「憎まない」のギリシャ語の意味を司祭が伝えてくれた。

 どうやら「選ばない」という意味らしい。

 

 つまり、人間関係をすべて捨てて、

 イエスの弟子になるという意味。

 

 ちょっとだけドキっ。

 

◆11月13日(水)

 

 「わたしの父は今もなお働いておられる。

 だから、私も働くのだ。

 (ヨハネ5:17)

  

   聖歌532番 ジュピターのメロディー

 

◆11月13日(水)

 

 「わたしは、『わたしはある』という者である。」

 ”I AM THAT I AM”

 (出エジプト記 3:14) 

 

 モーセが神からイスラエルの民を連れてエジプトから出ろと言われるところ。

 モーセは断るが、神が共にいるから、と諭す。

 

◆11月14日(木)

 

 「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。

 いなくなっていたのに見つかったのだ。

 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」

 (ルカ15:32)

 

 有名な放蕩息子のたとえ。

 司祭によれば、父が神だとすれば、

 本当の放蕩息子は、ずっと父に従っていた兄の方なのではないか。

 そうなのかもしれない。

 

 私にはこの例えが、この世とあの世の話だと思った。

 

 神の元から離れてこの物理次元に降りてきた。

 

 放蕩の限りを尽くし、神の存在も忘れ、

 財産を食い潰し、何もかも失って初めて、

 父である神のもとに帰ろうとする。

 

 そうやってすべてを捨てて初めて神のもとに帰れるのだ、と。

 

◆11月14日(木)

 

 これらのことを書き留めておこうと思って

 書きながら思い出した。

 

 「この貧しいやもめは、

 賽銭箱に入れている人の中で、

 だれよりもたくさん入れた。

 

 皆は有り余る中から入れたが、

 この人は、乏しい中から、

 自分の持っている物をすべて、

 生活費を全部入れたからである。」

 (マルコ12:43-44)

 

 そして、この福音書について、

 「奉献」について語ってくれた。

 

 お金だけでなく、心も魂も捧げること。

 

===

 

あぁ、なんてことだろう。

 

神事に行く前に、家族とのやり取りの中で、

もう家族のことも気にかけずに、

必要ならば、神事に関わろう、

と思ったところだったのだ。

 

こんなに何重にも言われるなんてね...

それだけ、時は近し、ということなのだろう。

 

この地球上のすべてのカルマを超えて、

地球が希望の星となるために、

どうやら覚悟させられたとしか思えない。

これからだれも信じられないようなことが起きる。

 

その瞬間、瞬間、私は天からの声に従うだけ。

天命をまっとうするだけ。

 

珍しく、書き記しておこうと思った。

 

それだけ重要なのだろう。

 

いつも共に。

祝福を。

 

2024.11.14  YOKO