いろんな趣向があって

とことん、徹底的に輪をかけて、(表面的に?)限界を何重にも越えて『味わいきって』、ようやく慣れてフラットな意識状態になる


小手先の逃げは無意味で、別の形で再現し、元の木阿弥


だから逃げなくて


でも確かに、その場かぎりの「有効な」手法は存在する


だから、無意味に被害者になる必要も無く


主権を自らに完全に置いて、主体的に進む事が出来る


でもって、全てに対して味わいきらなくても良くて


一回、ひとつの事を「最後まで」到達して、


自らのエッセンスに到達すると


あとは、事務的に単純に対処できるようになる


このエッセンスに繋がる事がポイントであって

そこへの道を難しくも出来るし、簡単にも出来る

どれが正しいとか間違っているとかは無くて

どれを選ぶかだけ


しかしながら、本当は、自分自身で、そこへの道を知っている

道は自分自身が持っている

他に右往左往せずに、自ら歩んでいける

それが、自分自身を信じるメリット


周りの提言は素晴らしく聞こえるものだ

だがしかし、主体的な行動から逸脱する事になるのならば、その提言は、まさに毒である


薬は、用量用法を守るから薬なのであり、健康な人が飲めば、毒でしかない


でも、「毒だ毒だ」と毒ずくことも無意味で、

ある人にとっては薬になっている


それ以前に、そう感じている時、自らを客観的に見て

自らが自分自身から離れて、中心からズレている事を認識する方が、ずっと良いと思われる

内側から湧き上がる情熱を


雑念ではなく、芯から湧き上がる想いを


ありのまま表現する事


未来や過去ではなく


今、ここで