ゴールデンウィークまで、あと2週間!
今回は、前回お伝えしたように、
GW初日の祝日である「昭和の日」に代表される日本の “元号” について
お話していきたいと思います。
2.「昭和の日」に代表される日本の “元号” とは?
▼そもそも元号とは?
元号は、古代中国で君主が時(暦)をも支配するという思想のもと、紀元前140年、前漢(ぜんかん)の武帝(ぶてい)の時代に誕生した制度。
現在でも使用されているのは日本だけで、本家中国では約2千年後の清(しん)を最後に消滅、西暦が使われています。
▼日本初の元号は「大化(たいか)」
645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智(てんじ)天皇と中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原鎌足(ふじわらのかまたり)らによる「大化の改新」で天皇中心の中央集権的な国家づくりが始まったころに定められました。
▼元号の数は248
7世紀頃に一時の中断期があったのを除いて、「大化」から「令和(れいわ)」まで、その数248にのぼります。
▼最多文字数元号は?
日本の元号は伝統的に二文字が多いのですが、文字数の制限は明確にはないそうです。
従って過去、正確には聖武(しょうむ) ~ 称徳(しょうとく)天皇時代の約四半世紀に最多の四文字の元号が5つありました。
749年「天平感宝(てんぴょうかんぽう)」:
陸奥国(むつのくに・現在の東北地方)から金が献上されたことを祝して、聖武天皇が改元した日本の元号(749年4月14日〜7月2日)。東大寺大仏の鍍金(めっき)に不可欠な金を得た喜びと、神仏・三宝に感謝する意味が込められている。
749年「天平勝宝(てんぴょうしょうほう)」:
奈良時代の749年から757年まで孝謙(こうけん)天皇の代に使われた元号。「天平感宝」の次元号であり、東大寺大仏の完成や鑑真(がんじん)の来日など、天平文化が成熟した宝のような時代を指す。
757年「天平宝字(てんぴょうほうじ)」:
757年から765年まで使用された奈良時代の元号。孝謙・淳仁(じゅんにん)・称徳の三天皇期。蚕の卵に「宝」の文字が浮かび上がるという「祥瑞(しょうずい)」を根拠に改元され、天下太平や宝のような文字「瑞兆(ずいちょう)」の現れを意味する。藤原仲麻呂(なかまろ)が実権を握った時期である。
765年「天平神護(てんぴょうじんご)」:
765年から767年まで続いた奈良時代の称徳天皇の時の元号。天平宝字の後、神護景雲の前にあたる時期で、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱や凶作などを背景に、天意による災異の沈静化を願って改元されたという歴史的な背景がある。
767年「神護景雲(じんごけいうん)」:
奈良時代の767年から770年にかけて称徳天皇の代に使われた元号。前代の「天平神護」に続き、めでたい兆しとされる「景雲(慶雲)」が現れたこと「祥瑞」により改元されたもので、最後の四文字元号として知られる。
▼改元ペースは平均5年半に1度
「明治(めいじ)」以降、改元は天皇の即位に伴う「代始(だいはじめ)改元」となり、天皇一代に一つの元号が定められる「一世一元」が確立されました。
が、日本史上、改元はもっと頻繁に行われており、「大化」元年(645年)から「平成」31年(2019年)までに使われた元号は247で、平均すると、5年半に1度のペースで改元されたことになるそうです。
▼改元理由として
① 世の中におめでたい出来事(瑞兆)が現れたことによる「祥瑞改元」
650年「白雉(はくち)」・・・珍しい白キジが天皇に献上されたのを祝って改元
701年「大宝(たいほう)」・・・天皇に黄金が献上されたことを祝って改元
717年「養老(ようろう)」・・・体を癒やす泉が見つかったことを祝って改元
【祥瑞・瑞兆・吉兆の違い】
「良いことが起こる前触れ」を指す言葉だが、使われる文脈やニュアンスに違いあり。
祥瑞: 中国の思想に基づき、帝王の徳が高い時に天が示す良い兆しを指し、天地異変のようなめでたい現象、珍獣の発見、宗教・歴史的儀式、茶道具や焼き物の様式など
瑞兆: 彩雲(さいうん)など、神秘的で天意を感じる自然現象や天体現象を指す
吉兆: 日常の幸運など、良い夢、縁起物、幸運な予感を指す
当時の人々にとって、珍しい現象は「天が今の治世を認めている」というサインであり、それを元号に反映させることで国家の安泰を願ったのです。
② 災害、干ばつ、疫病流行、彗星の出現、大火災、大水害等を鎮めるための「災異(さいい)改元」
上記の天変地異が起きた際に、その凶事の影響を断ち切り、運勢をリセット(一新)するために、時の天皇が元号を改めること。
「災異改元」の詳細と特徴
背景・思想: 「災異」は天の誡め(天意のあらわれ)と捉えられ、災いが続くと陰陽道に基づいて、元号を替えることで災厄を断ち切る思想があった。
代表的な事例:
承平(じょうへい)から天慶(てんぎょう): 938-947年、地震や疫病などが相次いだことにより改元
寛文(かんぶん)から延宝(えんぽう): 1661-1681年、江戸時代、京都の大火を受けて改元
文政(ぶんせい)から天保(てんぽう): 1818-1844年、大地震を受けて改元
安政(あんせい)から万延(まんえん): 1854-1860年、桜田門外の変、安政の大地震やコレラの流行、江戸城の焼失などが理由
③ 歴史的背景
奈良時代までは、吉兆を示す「祥瑞改元」が多かったが、平安時代以降は災いを払う「災異改元」が主流となり、特に鎌倉時代は改元の約6割がこれに該当した。
④ 現代との違い
明治以降は「一世一元」の制度が定着し、現在では皇位継承(代始改元)の時にのみ改元されるため、「祥瑞改元」や「災異改元」は行われない。
このように、昔は吉兆や天災が起きると元号を替えて世の中を明るくしようとする試みが行われていました。
▼最長元号ベスト3
第一位 「昭和」・・・62年
第二位「明治」・・・43年9か月
第三位「応永(おうえい)」・・・33年10か月
※第四位「平成」・・・30年3か月
▼最短元号ベスト3
第一位 「暦仁(りゃくにん)」・・・2か月14日
1238年11月23日~1239年2月7日と短期間で終わった理由は、その読みが「略人(りゃくにん = 人が死ぬ、略奪される)」を連想させ、縁起が悪いという風評(百錬抄/ひゃくれんしょう)などが流れたため、緊急的に改元された。
1238年11月に制定されたが、災異を背景としたゲン直しの改元だったにもかかわらず、かえって縁起が悪いと避忌された。
第二位「天平感宝」・・・3か月15日
非常に短かった理由は、主に「金の献上」という特定の吉兆(慶事)を祝うためだけに作られた「祥瑞元号」であり、その後すぐに孝謙天皇の即位(749年7月)という大きな政治的転換が重なったため。
第三位「元仁(げんにん)」・・・5か月
鎌倉時代の元号(1224年〜1225年)。短い理由の直接的な記録はなく、幕府の権力が強く、朝廷での災異や縁起を重視して頻繁に改元(災異改元)が行われた時代であり、「元仁」もそうした背景の中で幕府や朝廷の意向で短い期間で変更されたと考えられる。
▼使用される漢字ランキング
「日本年号史大事典」などによれば、「大化」から「令和」まで、248の年号に使用されている漢字の合計は73
第一位「永」・・・29回
第二位「元」と「天」・・・27回
第四位「治」・・・21回
第五位「応」と「和」・・・20回
※「令和」の「令」は初選出
▼元号名の出典元ランキング
「平成」までの出典は77種で全て漢籍。大部分は唐(とう)以前の古典で、『四書五経(ししょごきょう)』と呼ばれる儒教の経書や古代中国の歴史書が多いそうです。
「令和」で初めて和書である『万葉集(まんようしゅう)』を出典されたとのこと。
第一位「書経(しょきょう)」・・・36回
中国の伝説上の聖王(堯/ぎょう・舜/しゅん)から夏・殷・周(か・いん・しゅう)王朝までの政治的訓戒や言行をまとめた、中国最古の歴史書・文書集。儒教の経典「五経」の一つに数えられ、「尚書(しょうしょ)」とも呼ばれます。
古代の政治理念やリーダーの心得を伝えており、東アジアの政治・倫理思想に大きな影響を与えました。
第二位「易経(えききょう)」・・・27回
約3000年前の中国で生まれた世界最古の書物であり、宇宙や人間社会の森羅万象を陰陽の符号(卦/け)で説明する「変化の書」である。
儒教の経典(※五経の首位)であると同時に、占いの「易占(えきせん)」の原典でもあり、運命の指針や哲学的な知恵として現代でも活用されている書物である。
※五経の首位・・・群経の首(ぐんけいのしゅ)とも呼ぶ。諸々の経典のトップの意味。
元々漢代などの古い時代には、孔子(こうし)が学んだ順序に従って『詩経(しきょう)』を筆頭とする並びもあったが、後世(後漢以降)には、陰陽の原理を用いて、宇宙の動態や世界の成り立ちを説明するため、他の経典の基礎となる「根本原理」を含んでいると考えられ、『易経』を筆頭に置くのが通例となった。
五経の構成と順序
① 易経: 占いの書であり、宇宙の変化や万物の理を説く
② 書経: 古代の政治的演説や歴史的記録
③ 詩経: 最古の詩集で、民衆の感情や祭祀を歌う
④ 礼記(らいき): 社会生活の規範や儀礼の体系
⑤ 春秋(しゅんじゅう): 孔子の故郷、魯(ろ)の年代記
第三位「文選(もんぜん)」・・・25回
中国の梁(りょう)の昭明(しょうめい)太子である蕭統(しょうとう)が6世紀前半に編纂した、周から梁に至る約千年間の優れた詩文(約800編、130人超)を集めた総合的な詞華集(アンソロジー)。
37の文体に分類され、磨き抜かれた表現である駢文(べんぶん)、対句(ついく)が特徴で、後世の文学や日本(日本書紀など)に大きな影響を与えた漢詩文の古典的な手本。
第四位「後漢書(ごかんじょ)」・・・24回
25年から220年まで続いた中国の王朝「後漢」の歴史を記した、紀伝体(きでんたい)の歴史書(正史)であり、特に倭国(日本)との交流が記された「東夷伝(とういでん)」が有名。南朝の宋(そう)の范曄(はんよう)によって5世紀に編纂された。
第五位「漢書(かんじょ)」・・・21回
中国の後漢時代に班固(はんこ)らが編纂した、前漢(高祖/こうそ〜王莽/おうもう)の歴史を記した紀伝体の歴史書。全100巻から成り、二十四史の1つとして評価され、後の歴史書の模範となった「正史」の代表的著作。
▼「令和」という元号の意味は?
由来は、日本最古の歌集である『万葉集(まんようしゅう)』です。
① 出典の一節
万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文にある、以下の文言が引用されました。
「初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」
(意訳:初春の素晴らしい月に、空気は清らかで風は穏やかに吹き、梅は鏡の前の白粉のように白く咲き、蘭は飾りの香りのように薫っている)
② 込められた意味
令: うるわしい、素晴らしい、良い
和: おだやか、なごやか、調和
政府の公式見解によると、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められています。
③ どこで詠まれたのか?
この一節が詠まれたのは、現在の福岡県太宰府市にある大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で開催された「梅花の宴」とされています。
▼「昭和の日」の「昭和(しょうわ)」という元号の意味は?
由来は、中国の歴史書『書経』です。
① 出典の一節
「百姓昭明、協和萬邦(ひゃくせいしょうめいにして、ばんぽうをきょうわす)」から引用されました。
② 込められた意味
百姓昭明: 国内の平安
協和萬邦: 諸外国との平和的な協調
つまり、
「国民の平和、そして世界各国の共存繁栄を願う」意味が込められているそうです。
また、「昭」と「和」には
昭: 明らか、明るい、照らす
和: やわらぐ、なごむ、調和
という意味があります。
③ 考案者
漢学者の吉田増蔵(ますぞう)氏だそうです。
1926年(大正15年/昭和元年)12月25日に制定され、前々元号「明治」に続く、62年という日本史上最も長く続いた元号(1926〜1989年)です。
▼元号がつく日本史の出来事
645年「大化」 『大化の改新』
中大兄皇子や中臣鎌足らが、蘇我(そが)氏を滅ぼした「乙巳(いっし)の変」を契機に始めた、天皇中心の国家体制(律令国家)への転換を目指した政治改革。土地・人民の公有化(公地公民)や税制整備を行い、唐の制度を導入して日本の統治機構を確立した。
701年「大宝」 『大宝律令(りつりょう)』
701年(大宝元年)に文武(もんむ)天皇の命により制定された、日本で最初の本格的な法典。律(刑法)と令(行政法)を整備し、天皇を中心とした中央集権的な「律令国家」の基礎を確立した。
刑部(おさかべ)親王や藤原不比等(ふひと)らが唐の制度を参考に日本独自の実情に合わせて作成した。
708年「和同(わどう)」 『和同開珎(かいちん)鋳造』
奈良時代の708年に朝廷が発行した、日本で最初の大規模な「流通」鋳造貨幣。唐の開元通宝(かいげんつうほう)を模した円形方孔の銅銭で、武蔵国(現在の埼玉県)から銅が献上されたことを機に、平城京造営などの財政難を解消するために作られた。
788年「延暦(えんりゃく)」 『比叡山延暦寺創建』
788年に最澄が開創した天台宗の総本山であり、滋賀・京都の県境に位置する日本仏教の母山。約1,200年の歴史を持ち、平安京の守護を担うとともに、法然(ほうねん)や親鸞(しんらん)など多くの名僧を輩出した学問と修行の道場である。その文化的価値からユネスコ世界文化遺産に登録されている。
864年「貞観(じょうがん)」 『貞観(富士山)大噴火』
平安時代の864年(貞観6年)から約2年間にわたり富士山で起きた、歴史上最大規模の大規模溶岩噴火。大量の溶岩が山麓を覆い、北側の広大な湖「せの海」を埋め立てて現在の西湖・精進湖を形成し、後に青木ヶ原樹海となる溶岩大地を生み出した。
869年「貞観」 『貞観地震』
869年(貞観11年)7月に三陸沖で発生したM8.3規模の海溝型巨大地震。『日本三代実録』に記録され、東北地方を襲った大津波により多賀城(宮城県)などで約1,000人の溺死者を出した。2011年の東日本大震災と類似する「再来」と言われる地震である。
1156年「保元(ほうげん)」 『保元の乱』
保元の乱(1156年)は、平安時代末期に後白河(ごしらかわ)天皇と崇徳(すとく)上皇の皇位継承争いに、藤原摂関家の内紛や源平の武士の対立が絡み合った、京都で勃発した武力衝突。
平清盛(たいらのきよもり)や源義朝(みなもとのよしとも)ら武士の力を借りた天皇方が勝利し、貴族社会が衰退、武士が実力を示して武家政権へつながる契機となった。
1159年「平治(へいじ)」 『平治の乱』
1159年(平治元年)に京都で起きた、平清盛(平氏)と源義朝(源氏)による武力衝突です。保元の乱(1156年)の勝者同士が対立し、平清盛が源義朝を破って、平氏が政権を握るきっかけとなった。
1221年「承久(じょうきゅう)」 『承久の乱』
後鳥羽(ごとば)上皇が鎌倉幕府の執権(しっけん)北条義時(ほうじょうよしとき)を倒そうと挙兵し、逆に幕府軍に鎮圧された日本史上初の朝廷vs武家政権の武力衝突です。幕府が圧勝し、朝廷の力が弱まって鎌倉幕府の優位が確定した歴史的転換点である。
1274年「文永(ぶんえい)」 『文永の役(えき)』
1274年(文永11年)に元(げん)・モンゴル帝国が、高麗(こうらい)の兵とともに日本へ侵攻した事件「元寇(げんこう)」の1回目。
鎌倉幕府8代執権 北条時宗(ときむね)の時代、元軍は対馬・壱岐を経て博多湾へ上陸し、集団戦法や火薬武器(てつはう)で日本軍を苦しめたが、暴風雨などの影響で撤退した。
1281年「弘安(こうあん)」 『弘安の役』
1281年(弘安4年)に元が日本へ行った2回目の襲来。約14万人の大軍で九州に攻め寄せたが、鎌倉幕府が築いた防塁と、暴風雨「神風(かみかぜ)」の発生により、元軍は壊滅的な打撃を受けて敗退した。
1333年「建武(けんむ)」 『建武の新政』
鎌倉幕府を倒した後醍醐(ごだいご)天皇が、公家(貴族)中心の政治を取り戻そうとした、わずか2年あまりの短期間(1334〜1336年)の親政。天皇がすべての権力を握る「公家一統」を目指したが、実務への不慣れや武士の冷遇により足利尊氏(あしかがたかうじ)に反発され、失敗に終わった。
1467年「応仁(おうにん)」 『応仁の乱』
室町幕府8代将軍・足利義政(よしまさ)の跡継ぎ問題に、管領(かんれい)細川勝元(ほそかわかつもと)と有力守護(しゅご)山名宗全(やまなそうぜん)の家督争いが絡んで勃発した、約11年続く京都を中心とした内乱。東軍と西軍に分かれた争いは全国に拡大、京都は焦土化し、将軍の権威失墜で戦国時代へと突入するきっかけとなった。
1688年「元禄(げんろく)」 『元禄文化』
17世紀末〜18世紀初頭、江戸時代の前期に上方(京都・大坂)の裕福な町人を中心に栄えた、華やかで明るい文化。松尾芭蕉(まつおばしょう)や近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)らが活躍し、出版や歌舞伎など庶民の娯楽が花開いた、活気ある時代。
1701年「宝永(ほうえい)」 『宝永地震・宝永(富士山)大噴火』
南海トラフ巨大地震(M8.6)の49日後に富士山が記録史上最大規模の噴火を起こした連動災害。東海から四国の広域に大津波被害をもたらした後、江戸まで多量の火山灰を降らせ、現在の山梨・静岡・神奈川県側に「宝永山」を形成した。
1736年「享保(きょうほう)」 『享保の改革』
江戸幕府8代将軍 徳川吉宗(よしむね)が1716年から約29年間行った、財政再建と幕府の立て直し施策。米の収穫増とする、新田開発、「定免法」(じょうめんほう)と徹底した倹約令で米価安定を図り、「米将軍」と称され財政を黒字化させた。
1793年「寛政(かんせい)」 『寛政の改革』
江戸幕府の老中・松平定信(まつだいらさだのぶ)が、前代の田沼意次(たぬまおきつぐ)による商業重視・賄賂政治の弊害を是正し、将軍吉宗の享保の改革を見習って行った政治・財政の立て直し施策。質素倹約、飢饉対策、朱子学の振興を柱としたが、あまりに厳しく景気が沈滞し、短期間で失脚した。
1841年「天保」 『天保の改革』
1841年から2年間、老中(ろうじゅう)水野忠邦(みずのただくに)が行った江戸幕府の政治・経済の立て直し策(三大改革の最後)。
飢饉や乱で揺らぐ幕府の権威を戻そうと、厳しい倹約令(贅沢禁止)と農村の安定、株仲間解散による物価抑制を断行。しかし、時代に逆行する内容や強引な改革で庶民や大名の反発を招き、わずか2年で失脚し失敗に終わった。
1858年「安政」 『安政の大獄』
江戸幕府の大老(たいろう)井伊直弼(いいなおすけ)が、自身が進めた開国政策や将軍継嗣問題に反対する尊王攘夷派や一橋派の公家・大名・志士ら100人以上を厳しく処罰・弾圧した事件。代表的処罰者に吉田松陰(よしだしょういん)、橋本左内(はしもとさない)らがおり、幕府の権威回復を目指した強権政治。
1868年「明治」 『明治維新』
1868年(明治元年)前後に江戸幕府が倒れ、天皇中心の新しい国づくりが始まった歴史的な大改革。薩摩・長州藩(現在の鹿児島・山口県)を中心とした新政府が、欧米列強に対抗するため「富国強兵(ふこくきょうへい)」「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」「文明開化」を掲げ、封建的な社会から近代的な中央集権国家へと日本を大転換させた。
1910年「大正(たいしょう)」 『大正デモクラシー』
1910年代〜20年代、大正時代に盛んになった民主主義(民本主義)を求める政治・社会運動。藩閥(特権階級)主導の政治を批判し、吉野作造(よしのさくぞう)の「民本主義」を理論的支柱に、普通選挙の実現や議会・政党政治の確立、人権や社会的な自由を要求した。
1930〜31年 「昭和」 『昭和大恐慌』
1929年のアメリカの株価暴落に端を発した世界恐慌の波及と、日本政府の失敗した金解禁政策(強烈なデフレ)が重なり、日本経済が深刻な危機に陥った戦前最大の大不況。生糸価格の暴落による農村の飢饉、大量の企業倒産、金融不安、そして失業者の増大が連鎖した。
1990~2000年「平成」 『平成の大不況』
1990年代初頭のバブル崩壊後、日本を襲った長期的な経済低迷の通称。不動産や株価の暴落により金融機関が大量の不良債権を抱え、企業倒産や雇用の悪化が続き、デフレ(物価下落)が定着した1990年代の約10年間を指す。
一般的に1991年(平成3年)3月のバブル経済崩壊から始まり、2002年1月頃までの長期低迷期を指すが、第1次から第3次まで続き、1997年の消費増税や金融危機を経て、デフレ・スパイラルや「失われた10年」と呼ばれる深刻な経済停滞をもたらした。
2024年 「令和」 『令和の米騒動』
2024年(令和6年)夏頃から日本全国で発生した、米の深刻な品薄と価格高騰。23年の猛暑による品質低下や、インバウンド需要の回復、南海トラフ地震の臨時情報による買いだめが重なり、5kgの価格が2,000円台から4,000円超へ急騰するなど、消費者や流通に混乱をもたらした現象。
以上、現在世界で唯一元号を使い続けているのは日本だけであり、単なる紀年法(年を数える方法)を超え、日本人の時代感覚、文化的な区切り、そして公的な事務手続きにも深く結びついており、今や「時代の色や空気感」を共有するための、生活に溶け込んだ文化遺産としての役割を担っているのかもしれませんね~。
カバー&挿し絵画像:いらすとや さんより














