本日より、ゴールデンウィークがスタート!
皆さん、いかがお過ごしですか!!
今回は、GW最後の祝日である5月5日の「こどもの日」、特にそのお飾りについて、お話したいと思いますm(__)m
3.GW最後の祝日「こどもの日」のお飾りに関するお話
「こどもの日」に関しては、前回お伝えしたように、
「こどもたちの成長を祝うのと同時に、人格を重んじ、幸福をはかるとともに、お父さんお母さんにも感謝する日」 といわれています。
元々は五節句の一つ、“端午(たんご)の節句”で、その由来は奈良時代の宮廷にて、中国からきた季節の変わり目に行う “厄除け行事” でした。貴族の間で菖蒲の葉を軒先に飾ったり、宮中の臣下の人達は菖蒲を冠(かずら)にしたり、菖蒲酒にして飲んだりして邪気を払ったりしていました。
また、中国の風習にならい、米を真菰(まこも)の葉で包んで蒸した「ちまき」を食べる習慣がこの頃に伝わりました。
これが鎌倉時代になると、武家が政権を握るようになり、節句の性格が「薬草による邪気払い」から「武士の精神」へとシフトし始めました。
菖蒲が「尚武(=武道や武勇を重んじること)」または「勝負」の響きに似ていることから、武家社会を中心に男子の出生や成長など、無病息災や立身出世を願ってお祝いをする日に変化しました。
端午の節句に入る “菖蒲湯(風呂)” も、この時代から武士の間で始まり、江戸時代には一般庶民の間に定着されたとされています。
江戸時代になると、“端午の節句” は幕府において重要な式典が行われる日として重んじられるようになりました。大名や旗本が武将姿で江戸城に参内し、将軍にお祝いの品物を贈呈したとされています。
また、将軍家に男の子が生まれると、城内に旗指物(はたさしもの)や幟(のぼり)、模造の兜や鎧、槍、薙刀などを立てて、盛大に祝う風習が根付いていきます。
江戸の庶民もこれにならい、紙で作った大きな鎧兜や人形、鯉のぼりなどを人目に付きやすい屋外に飾るようになり、“端午の節句” は武家のみならず町人の間にも浸透し、次第に「男の子の誕生を祝い、成長を願う日」といった意味合いが強まっていきます。
▼旗指物・幟とは?
―戦場を彩った旗―
端午の節句に幟を立てる背景には、戦場で使われた「旗」の文化があります。
平安時代以降、戦では旗が敵味方を見分ける重要な役割を果たしていました。
これを旗印(はたじるし)といいます。
―種類豊富な旗印と意味―
戦国時代から江戸時代にかけての合戦で使用された旗印は、主に「味方と敵の区別」「部隊の所在確認」「武将の権威誇示」という目的で使い分けられていました。
それぞれの主な違いは以下の通りです。
① 馬印(うまじるし)
用途: 大将(武将)の所在を示す。
特徴: 織田信長の「金唐傘(きんからかさ)」や豊臣秀吉の「金の(千成)瓢箪」、徳川家康の「金の扇」や「金の※ふくべに金の※切裂」などの立体的な造形物が一般的。
役割: 敵味方に対して大将がどこにいるかを強調し、戦意を鼓舞する。戦国中期以降に派手になった。
※ふくべ(瓢)・・・夕顔の果実、またはその乾燥体の呼称。丸みを帯びた大型の実で観賞や加工用で炭入れや花器などをつくる。瓢箪はその変種で、酒器などの容器として作られる。
※切裂(きりさき)・・・主に旗や幟の縁に切り目を多く入れ、風になびきやすくした旗の一種で「きっさき」とも呼ぶ。
徳川家康の馬印(右)と幟旗(左)
② 流れ旗
用途: 平安時代以降、戦場で自軍の戦力を示し、敵味方を識別するために使われた。
特徴: 細長い布を竿の先端に吊り下げて風になびかせる旗で、その後の幟旗の起源とされる。
役割: 主に風でなびくことで、自軍の存在、戦力の誇示や士気を示す、視覚的なアピールや目印として使用された。
徳川家康の流れ旗(左)と幟旗(右)
③ 幟旗(のぼりばた)
用途: 陣地の目印や、遠くからの視認性を高める。
特徴: 竿の最上部と側面に※ちちという布を固定して垂直に掲げる長い布で、武田信玄の「風林火山」や上杉謙信の「毘」の旗など、文字や家紋を染め抜いた旗。
役割: 旗印の一種で、部隊の標準的なシンボル。馬印よりは小さく、陣幕よりは戦場を移動する。
※ちち(乳)・・・旗を竿に固定するための白い輪っか状の布(紐)のこと。通常、上辺と左右どちらかの辺に複数取り付けられ、竿に通して固定、なびかせる重要な部材。軍旗の「乳付旗(ちつきばた)」に由来し、見た目が乳に似ているため名付けられる。
④ 旗指物
用途: 個々の武士(兵)の所在を示す。
特徴: 武士が背中に指す、小さめの旗。個人の家紋やマークが描かれる。
役割: 合戦中に誰がどこにいるか、功績は誰のものかを明確にするための装備。戦国時代に普及した。
⑤ 陣幕(じんまく)
用途: 陣地を囲む。
特徴: 武将の家紋が入った長い幕。陣地の周囲に張り巡らせる。
役割: 敵の侵入を防ぐ(簡易的な防御)と同時に、そこが重要な武将の陣であることを示す。
参考画像:関ヶ原合戦屏風より
以上、
旗とは単なる識別ではなく、
・権威
・信仰(信念)
・存在(誇り)
の可視化なのです。
▼鯉のぼりとは?
江戸時代から始まったもので、前述の武家社会で、
① 鯉のぼりの起源~武者絵幟(むしゃえのぼり)から生まれた「鯉のぼり」~
端午の節句といえば、今では「鯉のぼり」
しかし、江戸時代において節句の外飾りの主役は、
武者絵幟は、武将や英雄の姿を大きく描いた幟で、
江戸時代の資料を見ると、現在の鯉のぼりは、
鯉のぼりは、元々幟の上部につけられていた※招き旗や※吹き流しと呼ばれる飾りが変化したものといわれています。
やがてそこに鯉の意匠が取り入れられ、立体的な形となり、
※招き旗・・・「まねき」とも呼ぶ。武者絵幟の竿の頂上付近に、横木を取り付けて掲げられる小さな旗のこと。神様を「招く」依代(よりしろ)であり、男児の誕生を神に伝える意味を持つ。江戸時代の武家の節句飾りや、武者絵のぼりの上に付けられていた。
※吹き流し・・・鯉のぼりの竿の最も高い位置に取り付けられる、細長い筒状の布のこと。魔除けや、子供の成長を願う意味が込められている。古代中国の陰陽五行説に由来する青・赤・黄・白・黒の五色が多い。昭和以降に真鯉・緋鯉とセットで飾られることが一般的になった。
参考画像:いわきの絵のぼり吉田より
② 登竜門~鯉のぼりの象徴~
鯉のぼりの由来としてよく知られるのが「登竜門」の故事です。
中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、
このことから鯉は
・出世
・立身
・成長
の象徴とされました。
参考画像:いわきの絵のぼり吉田より
江戸時代の節句幟にも、「鯉が滝を登る図(登竜門図)」が多く描かれており、
このような節句幟は、
参考画像:葛飾北斎作「鍾馗図絵幟」
③ 鯉のぼりの風習~鯉のぼりは町人文化だった~
江戸時代の五月節句の中心は、
一方、鯉のぼりは主に町人層の間で広まった風習でした。
当初の鯉のぼりは
・黒い真鯉一匹
だけを掲げるのが基本でした。
参考画像:いわきの絵のぼり吉田より
その後
・緋鯉
・子鯉
が加わり、家族を表すようになります。
現在のようなカラフルな鯉のぼりが一般化するのは、
「鯉のぼり」は本来、「鯉幟」と書きます。
この漢字が示す通り、鯉のぼりは元々幟文化の一種なのです。
“鯉のぼり” には、
明治時代に入ると、新政府の方針により、
そして、昭和23(1948)年に国民の祝日となり、“
▼五月人形とは?
“端午の節句” であり、“こどもの日” に飾る人形のことで、3月3日の “桃の節句”である “ひな祭り” に飾る雛人形同様、こどもの健康と成長を願い、
また、誕生のお祝いや、
五月人形の習慣が広まったのは江戸時代からで、
―“こどもの日” に飾る五月人形として―
① 兜飾り
名前の通り兜のみの飾り。コンパクトなので、
② 鎧飾り
兜と鎧がセットになっていて、五月人形の中でも、
③ 子供大将(武者人形)飾り
“子供大将飾り” は子どもの武者姿を飾る五月人形。有名なものとして、“金太郎” “桃太郎” など、昔話に登場する子供が主役の人形があり、どちらも「
一方の武者人形は、「
昔から有名なものとして、鍾馗(しょうき)、源義経(牛若丸)、
④ 吊るし飾り
着物の布などを解いて作った細工物を紐で繋げ、
また、吊るし飾りのキャラクターに1つ1つに意味があり
這い子人形・・・子供が健やかに育つように
猿・・・厄除け
亀・・・長生きするように
だるま・・・福を招く
最後に、その五月人形の中でも、昨今何かと話題になっている日本の “鎧兜” について深掘りして終わりたいと思いますm(__)m
2023年3月に行われた、第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、日本代表の “侍ジャパン” が14年ぶり3度目の世界一に輝き、また同大会でMVPとなった大谷翔平選手が、当時所属していたロサンゼルス・エンゼルス のホームランパフォーマンスに、鹿児島県薩摩川内市にある「丸武」社製の “日本の兜” が採用され、大谷選手が兜をかぶる姿は世界の野球ファンに強烈なインパクトを与えました。
また、翌2024年から2025年にかけて、俳優の真田広之さん主演兼プロデューサーを務めたアメリカのドラマ「SHOGUN将軍」が、
・2024年エミー賞で史上最多の18部門受賞
・2025年ゴールデングローブ賞で4部門受賞
その他、2025年全米映画俳優組合賞、クリティクス・チョイス・アワードで最多4冠受賞、英国アカデミー賞でテレビ部門国際賞受賞と、
“侍” “(日本の)鎧兜” にまつわる話題で盛り上がったのことは記憶に新しいかと・・・
▼日本の “鎧兜”
―日本の “鎧兜” の歴史と進化―
① 古代(奈良時代)~集団の装備~
ユーラシア大陸における戦争において、ローマ帝国や中華王朝などの大国は、基本的に歩兵中心の集団戦で、兵士は国家に属し、装備は官給で統一されました。同一の甲冑(かっちゅう)を身につけた集団こそが、戦力であり威圧でした。
日本も奈良時代には同様で、徴兵制のもと、甲冑は官給品で、
・短甲(たんこう)・・・鉄板をつないだ簡素な鎧
・挂甲(けいこう)・・・※小札(こざね)を紐で綴ったもの
といった統一装備で、歩兵中心の集団戦に適した防具を用いられてました。
※小札・・・甲冑(鎧兜)を構成する最小単位の部品で、鉄や革で作られた長さ5〜7cm程度の小さな短冊状の板のこと。数百から数千枚の小札を紐でつなぎ合わせ、平安時代以降、漆で塗り固めて鎧の主要部分(胴、袖など)が作られる。
参考画像:刀剣ワールドより
② 平安時代~武士の誕生と「個の存続」~
しかし平安時代、社会構造が大きく変化します。墾田の発達により私有地が拡大し、
それを守るために武装した農民たちが現れます。これが武士(侍)です。
彼らは国家の兵ではない「自らの土地を守る存在」だったのです。
この感覚は「一所懸命」という言葉に残っています。この時点で戦いは、国家のためではなく、個の存続のための戦いへと変質します。
また、この時代の戦いは騎馬戦・弓戦が中心で、そこで生まれたのが
・※大鎧(おおよろい)
・※胴丸(どうまる)
・鉢(はち)・・・頭部を守る兜の帽子部分。
・錣(しころ)・・・鉢の左右から後方にかけて垂れ下がり、後頭部から首筋・肩を守る防具パーツ。
です。
※大鎧・・・平安時代中期から鎌倉時代にかけて、上級の武士が騎馬戦(馬上から弓を射る)を主として着用した、日本独自の甲冑。鉄や革の小板(小札)を紐で綴った構造で、防御力と重量感に優れ、華麗な装飾が特徴。重さは約15〜20kgにおよぶ。
※胴丸・・・平安時代中期に徒歩の下級武士向けに誕生した、軽量で動きやすい鎧。胴を丸く囲んで右脇で留める構造が特徴で、活動しやすいよう腰下を守る草摺(くさずり)が8枚に分かれている。室町時代以降は機動性の高さから、騎馬武者も好んで着用する主流の甲冑となる。
その特徴として、
・小札を漆で一枚一枚加工
・色とりどりの絹糸や革で※縅(おどし)で綴る
・華麗な装飾
です。
※縅・・・小さな板状の金属や革の小札を、組紐や革紐で綴じ合わせていく技法、またはその紐のこと。小札をつなぐことで鎧に柔軟性と強度を与え、色や紐の種類によって華やかな装飾性も兼ね備えた日本独自の伝統技術。
防御力を保ちつつ、可動性も確保する。「いかに強く、いかに軽く作るか」という
単なる防御だけでない「自己表現」です。戦場で名乗りをあげ、「自分は誰か」を示す行為でした。
文字の変化も、奈良時代までは「甲冑」でしたが、平安時代以降「鎧兜」と字が変わるほど様式が変わり、世界の武具文化から孤立するほど独自化されたのです。
また、武士は、所領への執着という現実を、「潔さ」という倫理へと昇華しました。
そしてその倫理は、さらに
・華麗な鎧兜
・変わり兜
・鮮やかな縅
という「造形」へと転化します。つまり、日本の鎧兜は、欲望→倫理→美という変換の産物なのです。
③ 戦国時代~実践と機動力~
鉄砲の登場で軽量化と実用性が重視されます。
・当世具足
・面頬
・簡略化された構造
しかし同時に、この時代に “変わり兜” が爆発的に増えます。実戦主義と自己表現が同時に極まるのがこの時代です。
―変わり兜 ~戦国武将たちは決死の覚悟で自己を語る~―
① 月の前立(まえだて)・・・ 伊達政宗
三日月は「欠けても満ちる」 → 不死身の象徴
② 「 愛」の前立・・・直江兼続
戦の神、愛染明王(あいぜんみょうおう)の「愛」の一字から
③ 鍬形(くわがた)・・・源義経
農耕具に由来 → 農民だった祖先への敬意
④ 鹿の角と六文銭(ろくもんせん)・・・真田幸村
鹿の角 → 鹿は神の使い → 神の力が宿る。険しい山道を颯爽と駆け抜ける
六文銭 → 三途の川の渡し賃 → 戦死する覚悟の意思表示
⑤ トンボ(勝虫)
トンボは前にしか進むことしかできない → 退かぬ覚悟
⑥ カマキリ
カマキリは雪が積もるであろう高さより上に卵を産むことから予測の力があるとされる → 戦で先を読むつまり戦に勝つという意味
―なぜ西洋で人気なのか?―
“侍” は既に世界的なブランドになった観があります。近年その象徴的な出来事が、前述した“WBC” 関連の野球や ドラマの “SHOGUN将軍” での兜姿が、再び世界に強烈なインパクトを与えました。
西洋の甲冑は集団戦を前提に統一されますが、日本の鎧兜は
・武士道という精神性
・機能美と装飾美の両立
・個性を誇るデザイン
個性を大事にする西洋の人にとって、そこに魅力があるのだとされます。
▼こどもの日の飾りに込められた願い
五月人形の鎧兜、鯉のぼり、これらはすべて、武士の文化から生まれていますが、戦を願うためではありません。
戦場で兜や旗指物が武士の覚悟を示したように、また、鯉が滝を登るように、自分を誇る潔さを願い、どんな困難にも負けず、自分らしく力強く生きてほしい。
それが、こどもの日に込められた想いなのかもしれません。
カバー&挿し絵画像:いらすとや さんより


























