法悦、愛、神懸かり、無我(夢中)、原初の境地、と、様々な呼び名がある、と、考えてみる。
エクスタシーとか、呼ぶ人もいるけれど、PC とかに、当てはめると、リセット みたいなもの?
PC とかだと、再起動=リセット の、際に、必要なデータは、保存して、それ以外は、再起動みたいな感じか?
そうしないと、保存しておきたい情報 まで、リセットされてしまう。
それを、無我 と、ゆうのは、必要な情報を、保存しておく術を、持ってない場合。
そして、神懸かりと、ゆうのは、無我の時に、審神者と、ゆう者が、聞き取り=神懸かり状態になっている者から聞き取り をする。
愛の状態と、ゆうのは、無我に、ならずに、意識を、保っていられる集中の状態?
で、その状態の、時に、病の癒やし や、人智を超えた叡智が、もたらされる?=インスピレーション? と、ゆう事。
密教なんかでは、儀式や祈りなんかで、依り代と、なる巫女とかを、その、状態へと、導いて、色々と聞き取りをしたり、あるいは、病の人を、その状態へと、導いて、病の癒やし、なんかを、したりした。
まあ、悟り とかは、そのリセットから、さらに踏み込んで、色界=感覚、感情を伴う仮想現実、また、無色界=感覚、感情の伴わない仮想現実=空(くう) へと、意識を保っていられる状態?
だから、無我=悟り とは、ちょっと、違う気がする=状態としてはそうだが、むしろ、悟り=愛 の、ほうが、近い。
・・・昔から、民族とか、宗教とかでも、それは、ある。
・・・だから、呼び名も、たくさんあるけれど、病の癒やしや、叡智を、もたらす、ところで、神 と、ゆう事になる。
・・・病んだりして、身体が思う様に動かなくなると、神頼み に、なったりするけれど、神が、望む 御魂は、磨けた御魂=愛の集中力を、養っている御魂=神懸かりになっても、無我にならず、意識を保っていられる御魂?
・・・愛の状態は、確かに良いものだけれど、そこに留まる事は、簡単ではない。