仏教で、ゆうところの、欲界、色界、無色界を、三界 と、ゆうけれど、空(くう)=仮想現実 の、観点から、考えてみる。
まずは、欲界。
物質世界、仮想現実を、現実と誤認している、映画を見ているのに、現実だと、思っている、顕在意識領域。
次は色界。
サマディの世界、夢見の世界、感覚、感情など全般を、生み出す、量子的、欲界=物質世界 を、現実と誤認する原因=因果の 因 の部分、無意識領域=潜在意識領域?。
最後に無色界。
仮想現実の世界、理(ことわり)=プログラム の世界、色=色界 と、形=物質世界 は、空(くう)=仮想現実と、異ならない、理(ことわり)=プログラム に、よって成り立っている。
これら、三界の関係性 と、しては、物質世界に、感覚、感情が無いなら、それは、直ぐに、仮想現実で
あると、観想出来る、夢見でも、感覚、感情が、無ければ、これは、夢見だと、気づく。
夢見に、感覚、感情が、伴うと、現実だと、誤認する=現実だと、想うものは、実は、感覚、感情の伴う夢見、物質世界とは、本来、感覚、感情の伴わない夢見と、同じ 理(ことわり)=プログラム なのだけれど、色(しき)と、重なっている?為に、現実とゆう認識になる。
その 色(しき) も、また、空(くう)=仮想現実 と、見極める事が、できれば、一切 空(くう) 夢見も、現実も、同じ と、ゆう認識に、到達する。
・・・感覚、感情が、在るのに、これが、仮想現実だなんて?=死んでも、感覚、感情が、在るので、死んだと、理解出来ない、みたいな=成仏出来ない?
・・・死んでも、感覚、感情があると、生きている間に、理解する=サマディや、明晰夢見の体験によって理解する。
・・・そして、生きている=現実 では、なく、仮想現実の中で、永遠に、生きる が、解脱=生きる、死ぬ 感覚がある、感覚がない、と、ゆうのが、同じ仮想現実の中で、理(ことわり)=プログラム に、よって、出来ている、と、理解する?