「森を見ながら木を見る:全体性から見たカラダと主体性の在り方について。」
小関勲 × 林久仁則
 
下記より引用

◯特別講座の企画に際して〜 定例講師の林より

 

2013年11月頃、小関先生のヒモトレが著書として紹介されています。初学の方向けの導入本はこちら。以下の文章は、「身体に巻くことと動きへの影響について」です。

まず、身体にゆるく巻くことでの皮膚感覚、意識(無意識で)の変化、そうした微妙な作用が身体の全体に作用を与え、力発揮のし易さが変わるということの捉え方です。そもそも、なぜゆるく巻くのか? コルセットの様なイメージを先に持ってしまうと、ここに違和感が生じます。

 

これに対する説明は明確で、下図にあるように、

当人の主体的な在り方を邪魔しない、あるかないかの存在感が良いとされています。過緊張(力み)は程よくゆるめ、ゆるめ過ぎ(過脱力)には程よく張りを出していく。

 

ヒモをきつくぎゅっと結んでしまうと、逆に身体の中での主張や存在感が出過ぎてしまい、動きのぎこちなさ(パフォーマンスの悪化、からだ全体のまとまりが消失)が目立ちます。

 この効果は衣服の上からヒモを巻いても効果がでます。直接肌にまとわずとも、ただそこにあるという意識(あるいは身体上の認知変化)の影響が想像以上に大きく作用するのです。

 

ヒモトレのサイトより引用


ヒモトレの効果を知った多様な方が、その魅力に基づき各々の現場で検証をしているのですが、特に、四肢に機能障害のある方に目を見張る効果(可動域の改善、歩容の改善)が出ること、老若男女問わず再現性があることが興味深いです。

(理解のしていない)子どもでも効果ははっきり出てきます。

事前情報がなくても変化が出ることから、プラセボの一種などではないと考えられます。また、昔の体を使う職業人(修験者、強力(ゴウリキ)、武士や農民)にも脚絆(きゃはん)や膝蓋骨の下に紐を巻く行為が記録され、日本と距離のあるインド・東南アジアの諸国にある武術には今でも上腕や頭への鉢巻き(タイのムエタイ)、日本では相撲の廻 まわし(ふんどし):まわしには下帯という別称あり。が伝統的に続けられていて、身体への効果を実体験の中から仕事の中に活かしていたことが推測されます。
   
(左:鉢巻、ふんどし、草鞋を身にまとう飛脚)
(中央:昔の火消し(消防)のたすき掛け、足袋、草鞋)
(右:腰に巻く帯状のものの着用)
(下:タイのムエタイの着用品 鉢巻、上腕、腰紐)

 

 

 

 

 

 

身体に巻く行為と、その時の自分の身体との距離感を大切にするのも特徴の一つです。

ヒモトレの小関先生は「ゆるく巻く。それをそのままにしておく」ことを大切にします。身体で明確に意識できるほどの変化が生じない微差のため、当人としてみれば物足りなく疑問も出てきます。

全体性が変化するということの特徴とのことです。ですので、同じ条件で力の出し方を比べて初めてその変化に自覚できるような具合です。再現性は高い特徴を有します。
※注意 力士のまわしは人によりますがキツく締めています:付き人2~3人がかりで絹の廻しを霧吹きの水をかけながらきつく締める。締めた後に下腹から力が湧き出る感じが明確にあるとのこと(舞の海さんより)※ 

こうした身に付けるものの卑近な例として、舞台に立つ方の化粧の効果も聞きます。付けまつ毛、まつ毛そのものを根本から上げると、目周辺の筋-感覚的な変化が作用し、視覚の働きの差異や気持ちの変化が実感できる様です(化粧が意識と身体感覚に与える影響の一部)。


これらに共通するのは、装飾による見た目の変化以上に、その当人が内的に知覚する世界が(身体上の認知を含め)変化するという、身体性に委ねた枠組みの方が変化している、ということを仮定しています。私自身、和装の絹の肌触り、身に纏った柔らかさ、ゆったりとした感覚は、身にまとって実感して初めてその良さが分かります。

 

呉服屋に勤務し長年袴(はかま)を履いている男性店長は、通常のズボンでは下半身に何も着ていない様なスースーする感じで物足りなく、結果的に袴(はかま)に戻ってしまうとのこと。

袴の帯や、下腹に意識の届く装いの効果は、剣道や武道に親しむ方には理解頂けるのではと考えます。

 

 

もう少し単純な解釈も直感的に働くと予想されます。例えば気のせいではないか?ということも。

 

思索を進める取っ掛かりのために、生理学的にこうした感覚刺激の入力(皮膚感覚や体性感覚)が運動の制御や脳内での感覚と運動の統合処理過程に影響を与える研究が報告されていますので参照になさってみて下さい

 

(和坂先生は大学院の研究室の先輩で、キネシオテープなどの効果も

張力による触覚情報も無意識的に重要な働きしているのではとコメント頂いております)

和坂俊昭先生:https://www.jstage.jst.go.jp/article/isciesci/61/11/61_453/_pdf/-char/ja
運動遂行時の運動情報と感覚情報の脳内統合過程 (2017)

東北大学の研究:①自分の身体に気づくための2つの処理過程を発見
~リハビリテーションなど身体認知のメカニズム理解へ~(2019)

東北大学の研究:②約 100 年信じられてきた身体概念を修正
〜運動するときの「心の中の身体」は一つではない〜(2022)

これらが科学的に(客観的に)再現ができる実験として確認されている報告となります。
ご自宅などで身近に感じるためには、以下の身体を用いた体感が有効です。
カラダラボの山口先生より教えて頂いた内容です。

ある程度の重さのある、棒状のもの、ゴルフクラブ程度の長さのものを両手に構えてゆっくり素振りをします。この棒の重みを体感した後、握る位置を変えずに、その両手の周辺に(棒の付け根のあたりに)、軽くて重みの実感が湧かないスカーフなどをふんわりと巻きます(極薄のビニル袋でも代用可)。そうすると、その視覚情報とスカーフの柔らかい重さのない視認と触覚情報が統合され、持っている棒が非常に軽く振れるようになります。

これは、身体を練って稽古して素振りが軽くなる身体操作とはまた別の、人間の認知や認識、感覚情報を統合するプロセスに働きかけた一種の錯覚的なものと予想できます。ただ、そうした身体上の認知が動きや重みの知覚に影響を実際に与えているのを実感できます。

体感をもって理解することで、ヒモの効果をどう捉えるか?についても、ただストレッチ的な延長と捉えるのか、身体で実感をもてる全体性の在り方を具現化するきっかけとして捉えるのかによって、その後の身体との向き合い方に大きな差が出てくると思います。
“主体性のある身体の変化”、このテーマを特別講座では扱い、掘り下げて、身体の理解を少しでも深めていこうと試みております。

 

 

 

下記より引用