共産党の部分は無視するとして、この考え方は、評価する側の考え方なんだよね。
読書感想文とかって、自由に書いてもいいの。
でもね、それが「自分だけがあとで見返すもの」という前提を噛ませているならばね。
「学校、授業で提出する」という前提の下に読書感想文っていうのがあるのならば、それは評価の対象であって、評価するにはそれなりのルールがある。そのルールに乗ってくれないと評価のしようがないの。
極論すれば、どんな本を読もうが関係なくて、教える側が求めている答えに合致しているかってこと。
なので、
個人的な感性を重視している組合にとっては、なんてひどい教育なんだ!ってなる。
集団生活の中での評価を重視している組合にとっては、とても素晴らしい教育だ!ってなる。
ただそれだけの話。
物事を見る際には、まず中庸で。
その後自分の考え方を当てはめてみればいいのにね。
って、夏休み中なのに、職場に行かなければならず、さらに、本来目的以外の仕事に巻き込まれたとこによる浪費感を払拭するため、普段は2本までやめている缶ビールを今日は既に4本目を飲み干し、さらにまだ何かアルコールを摂取してやろうと画策してるうちにこうなった件。
むー。