上海に暮らしたことがある私。
今から18年前のこと。
今日、上海での生活を思い出していたので、ふと記しておこうと思った。
元夫の仕事の関係で、家族で3年住みました。
当時3歳と5歳の息子を連れて。
上海行きが決まったとき、まずは中国語を勉強しておこうと思った。
私は常滑の隣町である半田(愛知県)にある某大学で、中国語を勉強しました。
中国人の先生です。
簡単な単語も文法も、なっかなか頭に入ってこない。
1年ぐらい勉強したかな。
しゃべりたかったから必死に勉強した。
しかし、語学の習得は険しかった💦
しゃべれるとは程遠い言語力で上海にいきました。
現地に行くと、家庭教師をつけて中国語を学ぶ日本人が多かった。
しかし、私は外の世界とつながりを持ちたかったのと、元来のあまのじゃくな性質で、一般的なことの反対のやり方を選んだ。
日本人向けの情報誌で、上海の地元の大学で、中国語が習えることを知った。
私はすぐに申し込んだ。
先生は師範学校の学生さん。日本でいう教育大学の学生。
生徒は私のような旦那さんの仕事の関係で上海にきた女性が多かった。
講義は英語。
先生は英語はペラペラ。
日本語はしゃべれない。
英語が多少できた私は、講義内容を聴くことは難しくなかった。
ほかの日本人生徒に向けて、「解説してあげて」と先生から通訳を頼まれることもたまにあった。
習うより慣れろ。
外国語を習得したいなら、住むのが一番。
これを実感した。
あんなに日本で必死に勉強したのに、住んでみたらちょっと勉強しただけで、うそのように中国語が自分の中にはいってきた。
中国にきてから、日本の大学で勉強したテキストをみたら、なんでこんな簡単なことわからなかったのだ?って思うぐらいだった。
数か月で私は、買い物やお出かけに困らないぐらいまで中国語ができるようにまでなった。
中国は漢字を使うので、筆談でもなんとかなる。
文字ならもっと、頭に入ってきた。
漢字だから、それだけでだいたい意味がわかった。
当時、食に興味のあった私は、現地の書店でレシピ本や中国茶の本、薬膳の本を買っては読んでいた。
数字が聞き取れて、身振り手振り、あとは筆談すれば、どこいってもなんとかなった。
大学での勉強は楽しかった。
トイレは衝撃の溝式トイレ!!
学食もまあまあなすごさ(笑)
講義が終わると、級友とランチしたり、お買い物したり。
大学生な生活してました。
級友も日本のあちこちから来てるから、それもおもしろかったなあ。
日本人ってだけで、つながれる。
大学まではバス通学してました。
路線バスにのって。
当時から中国の乗り物は電子マネーでしたね。
バスもタクシーも電車も地下鉄も、交通カードという共通カードがあり、ピッとやるだけでOKでした。
日常に困らない程度にはしゃべれるようになったので、私はバスや自転車であちこち出掛けた。
地元の人しか行かないようなお店にもいろいろ。
市場いったり、観光地にプチトリップしたり。
中国語は大学で1年ぐらい学んだのかな。
そのあと、語学学校にうつって。
文法や本を読みこなすことは、興味なかったので、ある程度しゃべれるようになったら、やめました。
使ってないからかなりい忘れましたが、英語か中国語だったら、とっさに出てくるのは中国語かな。
簡体字といって、漢字も画数多いものは簡略化されているので、いまもメモとるときは簡体字つかってます。
东 東
书 書
开 開
场 場
ってな具合に。
夢にも、たまに中国の風景が出てくる。
果てしなく広がる町の風景。
国土が広いから、夢でも果てしない場所となって出てきます。