最近常々思う。

頭が良くなりたいと。

大学で学んでいるがテストでは上手くいかないことも多々ある。進級できるかどうか怪しいこともある。

その度に思う。頭が良くなりたいと。短期記憶が強いわけでもなく、長期記憶が得意なわけでもない。

どうしたらいいか日々悩んでいる。努力すればいいと言う人もいるがその努力ってなに?勉強すること?当たり前にしている。

方法が間違っているという人もいるが、勉強に方法は無いんじゃないかと思う。東大に行った人が特別な勉強法を知っている訳では無い。

日々の積み重ねなのは事実だと思う。

死ぬまで学び後悔するそれの繰り返しが人生なのかもしれない。

頭が良くなりたいものである。

心配して満たされるのは心配される側では無い。
満たされるのは心配した側である、心配することで善人となり、自身の心が満たされる。
それが性欲と同様に快感に感じるためであろう。
結局は自分自身なのである。
他人の人生に口を出すのは「私のおかげで人生良くなったでしょ?」って思えるからである。そう思えば「私はあの人にいい事をしたんだ」って。だが、これを指摘されると、そうじゃないと言う人もいる。なぜか、それを事実と認めると自分は偽善者であると気づくからである。心配してそいつのことを思ってと言うのなら、口を出すのではなく見守るのがベストなのではなかろうか。
親は別の話である。
親は子に投資をしている、だから心配するのは当たり前である。
赤の他人が心配するのはエゴと快楽。
この2つは人を人たらしめる要素である。