こんにちはニコニコ

 

今日は、私自身が感じたことを書いてみます。

 

ボイジャータロットの中に、Oppressionというカードがあります。

日本語では「抑圧」と訳されています。

5番(Hierophant~教皇)の魂の側面であり、

ネガティブ(チャレンジ)カードです。

 

 

 

 

鉄格子のような縦のラインに、

縄でぐるぐる巻きになった目、

手錠なども描かれており、

今日の私は、とても自由があるような

印象を得られませんでした。

でも、馴染み深くも感じます。

 

なぜ、なじみ深いと思うのか。

 

実は私「~ねばならない」がとっても強いのです。

一時期に比べるとだいぶ緩んできたと思うのですが、

まだまだ強い自覚があります。

「~ねばならない」で、自分をがんじがらめに

してしまうことが多いのですよね。

私にとってはその状態がまさに

Opressionだと感じたのです。

(Opressionのように囲まれているからこそ、楽な時もあるのですが。)

 

渦中に「~ねばならない」にとらわれていると

気が付いて緩めることができる時もあるけれど、

なかなかその場では気が付かなくて、

あとで気が付いてしょんぼりということも多いです。

 

特にやっかいなのが、「頑張ろう」って思えた時。

身体に力が入りすぎて、

頑張りが空回りしちゃうことが多いのです。

 

まぁ、ずっと昔は、人に指摘されるまで気が付かなかった

(むしろ、指摘されても自覚できなかった)ので、

自分で気が付けるようになっただけ、

成長できた、と思っています。

 

なぜ、これを書いているかというと、

とても素敵な方と一緒の時間を過ごして、

そこで私が得たもの、気が付いたことを出したいと思ったから。

 

彼女と一緒に、

二人で出かけるなんてこれまでしたことなかったのに、

泣けるくらい素敵なプラネタリウムを観て、

原因はわかっているけれど、

具体的にどうしたら良いかわからなくなっていることを

支離滅裂なまま、話をさせてもらいました。

 

話していくうちに、自分の中でぼんやりしていた悩みが

くっきりと見えてくる感じがありました。

それはもう、隙間から見える世界のような感じ。

行きたい世界、自分の望む場所。

でもその世界は「外」の世界なんかではなくて、

すぐそこに、ただあるがままの世界。

だから頑張って覗こうとしなくても、

実はその世界はすでに見えている。

むしろ、頑張ろう、頑張らねばと必死になっていたから、

余計に見えなくなっていました。

動きたくても、自分で動きにくくしていました。

Oppressionの枠を作っていたのは自分だった、

そこに、気が付きました。

 

こうやって、誰かに話をしていくだけで気づいていけること、

本当はたくさんあると思います。

だけど、話す相手がいつでも話を聞いてくれる状態とは

限らないと思っています。

 

実際、私は最近、聞ける状態ではなかったなと

Oppressionを見て気が付きました。

マルシェの前に気が付いてよかった。

 

ぜひ、会いに来てください。

そして、あなたの話を聞かせてください。

今回は私が感じたOpressionを書きましたが、

あなたが感じるOpressionは違うもののはずです。

聞ける状態に整えて、お待ちしています。