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目的アリ

 書きたいときは、書くしかないんだよ。
 無駄にTwitterなんかに書きこんでもかっこ悪くしかならない。正直カッコいいもカッコ悪いもどうだっていいんだけど、自己矛盾っての? 面倒くさくてやりきれなくて仕方がなくなったりする。
 平気な顔で充実してる奴を見ると羨ましくて仕方がない。なんでこうなったって思うこともある。でも自分の中には落ち度があって、ちゃんとハマるとこハマってるから、何のことはない。いきなり刺し殺したりなんてしないから。それでも羨ましいことに変わりはないんだ。
 羨むという感情は、あんまりいい感情ではない。他力本願的であるし、社会というものが成立してからやっと育った、いわば社会的感情でもある。社会なんて評価されるコミュニティがなけりゃ、羨むなんてことはしないんだ。
 ネタばらしというつもりじゃないけど、ある程度のヒントを書くなら(一つの世界を理解できるかもしれないいわば栞みたいなもんだ)、この羨むって感情だろうと思う。自分で言うんだからきっとそうだ。

 僕は小物ですよ。大物にはなれないって思ってるよ。そんな器じゃないことは、よく知ってるだろうけど。
 少しの問題で傾き、少しの問題で穴があき、少しの問題で割れてしまうし、少しの問題で震えてしまう。その程度のものですよ。安定感ってものがありゃしない。
 今だって不安定だから書いてる。むしろ、不安定じゃなきゃ書く気分にもなりゃしない。

 だから書くことは叫びだって思う。
 表現は、何かしらを必死で伝えたがってる人間の微かな抵抗のようなもの。
 何に抗ってるのかは知らないけど、伝えたいって想いは、自分だけの想いにしたくないからだろう?

 こうやってドヤ顔でヨサゲなことを言うことによって悦に入るんですよ、小物なんで。


 正直言って考えてなんてないよ。でも不安定は不安定だから不安定って書くわ。
 なんも楽しくないよ。何が起きても楽しくない。むしろ怖いよ。いろんなところから不可解な恐怖が立ち上がる。なんだよそれ、わけわからん。まるで勝つことの出来ないラスボスに永遠に挑み続けなきゃならん子供たちみたいだ。結果はわかってるのに、飛ばなきゃいけない。

 こうやって書くと、駄目なんだよ、してほしいことしか言えないから。
 それしか僕には訴えることがないから。

 それが自分なのか、定かではないし、そんなの首肯したくはない。子供より子供だ。赤ちゃんかよ。
 なんで恋人がほしいのかって、母親が欲しいからだよ。

 マザコンになりたいわけじゃないけど、母親が居ないなら人間は生まれないって話。父親しかいないと、こういう人間になっちゃうんだよ。
 あそこのママはきれいないい人。あそこのパパはかっこ良くてやさしい。なんでうちの父親は……。簡単に言うならこんな話。これはあくまで比喩であって(というか俺の文章は比喩表現だらけだから注意して欲しい)、実際にそう思ってた、とかとは違うよ。まあ、他の家庭を羨んでたことに変わりはないけど。

 ぶっちゃけると、最近信頼のおける人間ってそんなに居ないんだよ。家族だって単なる同居人だし、単なる経済共同体だし、弟に対して愛情みたいなものを感じたことはそんなにない。
 父親が死んだ時だってそんなに心動いたわけでもない。平常のまま、涙だけがずっと止まらなかった。心から泣いたことは一度だってない。きっと心から笑ったこともない。そもそも心からってどういう感情なのかもわからん。今は便宜上、身体全体から出る感情、みたいな体にしておくけれど。

 本当、してやってくれた。ここで止めとくけど。




 理解しなくたっていいんだよ。というか、興味を持ってくれるのは嬉しいけど、そうやってくれると期待してしまうんだよ。関係がおかしくなるんだよ。
 やめてとは言わないし(だって嬉しかったから)、もっとやれとも言わないけど、いつものままにして下さい。そうじゃないと不安になるから。
 だからきっと、踏み出すのが怖いんだよ。変わっていくのがわかるから。
 君らにはこうやって書いておく。

無目的

 どうせ何が起こるわけではないのです。
 きっと今だって人は死んでるし、悲惨な事件は起きてるし、硫化水素吸って死ぬ奴がいれば、放射能浴びて死ぬ魚もいる。どうせ何が起こるわけではないのです。
 事件なんていくらでも起こる。そうやって人は生きてる。
 人間の死亡率は100%なんです。それでも生きてるんです。
 生きてるんですよ、生きていますよ。
 まとまりなんてないと思う、そんなものに憧れたことは一度だってないから。

 自分が誰かとか誰かが誰かとか、そりゃあ知りたいけれど、それをさがすために考えたけれど、それ自体、僕が好きなことじゃないんだって気づくと、じゃあ、なんなんだ、という気分にもなる。
 僕は誰ですか? 僕は誰になろうとしてるんですか?
 そんなの自分じゃない誰かがわかるわけないんだって、思ってても思いたくなくて、ずっと甘えていた。

 自分ほど簡単な人間は居ないと思う。
 簡単だよ、意外とわがままだから。


 なんでこうなったのって、よくわからない間に、そういう事になってたんだから、仕方が無いよね。
 ほんともう、こりごりだよ。

8月6日

何故か今日は戦争に関連した出来事が多かった気がする。広島に原爆が落ちた日だからだろうか(タイトルに日にちを入れてから気付いた)。

例えば、それは「大人が本気で遊んだ」ケータイ捜査官7であったりする。

あれの場合、過去と現在が戦闘機の無線と携帯電話でつながるのだが、それにしてもよく大叔父様は耐えたものである。何に耐えたかというと、もちろん特攻機であるのに関わらずの帰還に対する罵倒である。

いや、考え直してみると特攻機であるなら帰ってこれるわけがないのだ。なぜなら、あの戦闘機は片道分の燃料しか乗っけていない。しかし、大叔父様は帰ってきて大叔母様の顔は別物になっているのである。

命は大事だから帰って来いというのは、戦時中の日本ではすごく愚かなことだと思う。それは敵国のために命を散らすことが名誉であった時代だからだ。それを否定する意味で命は大事だから帰って来いなんていうのは、狂っているとしか言いようが無い。もちろん、この番組はうちの弟が熱狂するぐらいのレベルだから、それでいいのだろうけど、結果的にそれが戦争否定につながるのである。

私はまだ若造だから、まっとうなことを言っていないのかもしれないし、単に戦争を否定していることを否定したいだけなのかもしれないが、ともあれ、私は第二次世界大戦時の日本を否定するつもりが無い。安易に戦争を否定してはいけないと思うのだ。なぜなら、日本の復興のきっかけとして朝鮮戦争があるのだし、アメリカによってもたらされたものも多々あるのだ。

私は第二次世界大戦を戦争とはみなしていない。あれはほとんど虐殺だったのだ。ナチスのユダヤ人迫害をはじめとして、日本を焦土に変えたB-29の爆撃も虐殺である。あれは純粋な戦争なんかではなかった。人の殺し合いなんかではなくて、虐殺のし合いだったのだ。

原爆が日本の敗北を決定したのではなくて、あれはソ連に対しての顕示だったのだと、私は疑わない。私の見方は、そういう感じだ。

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