(前回のつづき)
友だちのある言葉によって、私は家族に対して少し温かい気持ちを持てるようになった気がする。
今回は友だちの言葉で気付いたことと、これからの自分について書いていこうと思う。
友だちからの言葉。
それは、得意なことや自分にしかできないことをもっと大切に、というメッセージだった。
転職で地元を離れる友だちに、今までたくさんごちそうになったお礼として、私はちょっと高額なプレゼントを考えていた。
しかし友だちにリクエストを聞くと、はっきりと「買えない」プレゼントがほしいと言われた。
友だちはお金ではなく、私にしかプレゼントできないものを期待していた。
この言葉で、私が最近いかにお金がないことに劣等感を感じ、自分に足りないものやできないことばかりに目を向けていたか気付くことができた。
私は無職で貯金もなく、人に頼らないと生きていけない。
学生時代同じスタートラインに立っていたはずの友だちとこんなにも差がついてしまった。
せめて自分が稼いだお金で、友だちと同じごはんを食べたり一緒に旅行に行ったりしたい。
そんな気持ちから今は、自分の自活能力や社会的価値の低さを克服しようと、姉の家を出て一人暮らしを始めようとしているところだ。
自分が今お金を稼ぐことにこだわっている中で、友だちは私の中の何か「買えない」ものに私と友だちでいる理由を持っているのだと思った。
私は自活能力や社会的価値は低いが、(誰もがそうであるように)得意なこともある。
その得意なこととは、簡単に言うと「人を喜ばせること」だ。
その人の感情の細かい部分に気付いたり、その人がどうしてほしいかが分かったりすることがある。
それを行動に移すと喜ばれる。
それは私が優しいからという訳ではなく、ただ気付き期待されるからしているだけだ。
そしてその行動は、とてもエネルギーを消耗する。
その結果、調子を崩したり面倒なことが重なったりとあまりいいことがない。
昔は自己肯定感が弱く、貢献感がほしくて進んで人を喜ばせようとしていた。
しかし自分ができることが増えてからは、こういう時間がもったいなく面倒だと考えるようになっていた。
そして期待されていると分かってもしないことが増えた。
自分が調子を崩すからとか、これ以上私が介入すると依存されるからといった理由を付けて。
それに「人を喜ばせること」は簡単にお金を生まないと思っていた。
その結果、人間関係が変わったり冷たくなったなどと言われるようになった。
最終的には、自分自身孤独を感じたりするようにもなっていった。
しかし友だちの言葉は、私の存在価値がどこにあるかを思い出させてくれた。
「人を喜ばせること」は、私にしかできないことだ。
そして「人を喜ばせること」が得意であるなら、
好き嫌いに関わらず積極的にする方がいい。少しのエネルギーでも効果が出やすいからだ。
例えば両親の会話の通訳も、イヤで面倒でも得意ならやればいいのだ。
力を抑えつつ、メンタルがやられない程度でやればいい。
それは私にしかできないことだ。
そして得意なこと自分にしかできないことをすることで一番大切なこと。
それは私自身、必要とされる場所で必要な役割を果たすことで、自分の価値を見出すことができるということだ。
自分の不得意な部分である自活能力や社会的価値の低さを卑下して、自分の価値を貶めるのは愚かだ。
人を喜ばせる行動がお金を生まなくても、時間がかかっても、時には調子を崩すことになっても、私にしかできないことをすることは人生レベルで大切なことだ。
そういうことは頭で分かってきたはずなのに、友だちからの言葉で改めて気付いた。
その一方で、一人暮らしやお金を稼ぐ努力は続けたい。
いつまでも自分の可能性を信じるだけで、行動に移さない自分がイヤになったからだ。
ただそれは私の得意なことではないかもしれない。
本気でやってみて、できるかできないか。
それを判断するための一人暮らしでもある。
一人暮らしを始める前に、友だちに得意なことや自分にしかできないことをもっと大切にというとてもメッセージをもらった。
純粋に友だちの言葉がうれしかった。
そして得意でない自活をして、上手くいかなくても自分を全否定しなくて大丈夫だという気持ちにもなれた。
これからは、好きか嫌いか、面倒か簡単か、お金を生むか生まないかに関係なく自分の得意なことはどんどん活かしていきたい。
そんな簡単なことなのだ。
でもそのことを忘れ、思い出した今、自分の姿がよりはっきり捉えられるようになった。
お金とか社会的価値とか、そういったものの先にある自立やそれ以上の人生そのものに必要なことが見えてきたような気がする。