松下幸之助 /実践経営哲学
パナソニックの創始者であり、経営の神といえる松下幸之助の経営に関しての見方を述べた本。しかしながら、読んでいて感じることは、ミクロなことではなくマクロなことであり、かつそれは人として正しく生きるといった、基本原則であることです。
様々な経営活動の本質を求めていくと、理念というところへたどり着きます。理念をもとつということは、売上を上げることを第一に何をするべきか考えることではなく、判断を迫られたときに、判断という次元ではなく、自身の本質を見定め、それに合った選択肢を選ぶという次元にするためのものです。その理念というものは、会社ごとに異なるものですが、その本質は企業の存在目的を明確化するところから始まります。
会社の存在理由という観点から考えると、何よりも社会に貢献することが前提になります。そのうえで、社会の使命を遂行するもの・国家社会への税金・株主への還元、この3つが大きな要因になります。
経営とは、一つの芸術であると、述べています。一つ一つの経営活動には、その人々の
思いが込められているから。人としての大原則に立ち、物事の本質を見極め、経営を行っていくこと、理念を遂行していくこと、それこそ本来の経営の在り方といえる。
何事も、物事の本質を見極めていくことが大切だと思います。どんなことに関しても、その本質を見極めるところから始まり、ミクロの部分へ進んでいく。本質を見極める心構え、そのスタンスをしっかりと持ちたいと思います。
<phrase>
自分の範囲で経営を伸ばしていくというのは、いわば“カメの歩み”のごときものだといえよう。一歩一歩進んでいくその歩みは、一見遅いように思われるかもしれない。しかし、それは極めて着実な歩みであり、とどまることも、後退することもない。遅いようでも、いつか気がついてみたら、ウサギに勝っていたというようなもので、結局成功、発展の一番の近道であるといえよう。(P107)
本田健 / ユダヤ人大富豪の教え
自由か不自由か。この二つの境目を、僕たちは気づいているのだろうか。自由とはいったい何なのか。今まで僕は好きな仕事をして、それで楽しい生活だと思っていました。
しかし、この本との出会いは大きく見方を変えました。
そもそも、時間を支払って、対価として金銭をもらうということは自由ではないということ。真の自由とは、自分の好きなことを好きなだけできること。かつ、それができるだけの金銭が手元に張ってくる仕組みを作り上げ、利用すること。
そのためには、お金に関する・ビジネスに関する正しい知識を身につけなくてはいけない。いままで、読んできた本の中で唯一この本だけがそれを教えてくれました。
・幸せに成功するためには、好きなことを仕事にする。そのことが好きであるというだけで、意識は集中しやすいし、得られるものも多い。俗に天才といわれる領域である。
・人脈の大切さ。人は同じレベルの人と群れる傾向がある。少し上のレベルの人と付き合っていれば自ずと自身のレベルも上がってくる。
・お金は川の流れのようなもの。所有できるものではない。いかに流れをポジティブな方向へと持っていくか。
・自分自身のビジネスを持つとき考えなくてはいけないこと。人は人を喜ばせた分だけお金を受け取れる。問題はどの立場に立つのかということ。
・過去の目標について考えてみる。達成できたものは自身の喜びになり、達成できなかったものは自身の成長につながる。そのことを踏まえて、わくわくする目標を立ててみる。
・セルフイメージをよくする。
・即断即決を大切にする。失敗はチャレンジした証拠。いかにカムバックするかが大切であり、本当の失敗は、あきらめたことを指す。その上でのスタンスは、人生に身をゆだねること。
もちろん、これが全てというわけではないけれど、この本によって、僕は大きく変えられましたね。今の僕にとっての自由とは「選択」ができること。今の仕事をしなくてはいけないで不自由。自分の時間を好きなこの仕事に割く。ちょっと無理のある部分もあるけど、このスタンスを持っていきたいものです。
<phrase>
君は必ずたくさん失敗する。でも、要はその失敗からどれだけのことを学んで、カムバックするかだ。自分でダウンを認めない限り、人生のゲームに負けはない。どんな失敗からも学ぶことのできる知性と、そこから立ち上がる勇気がある。何度倒されても、立ち上がりなさい。そして、自分の勇気ある態度を人生の一番の誇りにしなさい。きっとそんな君を見て、勇気づけられる人がたくさん出てくるだろう。そして、君が成功したら、今度は彼らを応援してあげなさい。(P260)
ラオスから帰ってきて
ラオスの日記の最後の回想のページをそのまま写そうと思う。
☆一人ではない旅
今回は二人旅。二人で行って良かったことは安心があるということ。だから大胆にもなれた。一方悪かったことは人との出会いを求めなくなってしまったこと。
人の生き物としての感情・心の動きを思い知った。生き物は不安ならば群れたがり、安心すると他を排絶する。人という生き物を知ろう。そのために自分の心の声を吐き出そう。
☆ラオスという国
この国は本当に時間がゆっくりと流れていく。日本人は何に生き急ぐのだろうか。
ラオスの人々は本当に働いているのかと思うくらいに感じる。売れるための努力もしていない。でも彼らは本当に幸せそうだった。楽しい事に笑いうれしい時に笑う。
彼らはお金に縛られてはいないように感じた。
日本は必ずお金が要る。だから、やらなくてはいけないことがある。そして、そのやらなくてはいけないことの理由付けが「喜び」という言葉かなと感じる。後付けの理由。だからスタンスが大切。
☆タイ・ラオス・カンボジア
この3つの国々を回って感じたこと。
タイはお金の存在を知り、時間も得ようと必死だ。
カンボジアはお金第一。とにかくお金。
ラオスは時間第一。お金の存在は知っているだろうが、そこまではこびていない。
タイは品物さえあれば売れる途上国。
カンボジアは子どもから物乞いがある。
ラオスはすべてが自然に流れる。
☆バックパッカーに対する価値観
この旅で出会ったやつとの気付き。
大きな子供。長期旅行に行く人々を彼はそう思う。なぜなら、自分の欲求のみでうごくから。だから、社会に貢献するのが第一という彼の見方とはズレる。
一方、俺は自分に、いや素直に、自由なことをしている人に憧れるから素晴らしいと感じる。常に世を引っ張るカリスマはしていることが凄いのではなく、その手段が多くの人の尊敬を得る。
そんな2つの相反する見方。
否定も肯定もしない。
こう言う新たな見方を知り、世界が広がる。こんないい事はない。
そして、新たな世界ではそのレベルの人々と出会え、また広がる。このスパイラル、良い。
人の心は磁石だ。同じ志の人々を集める。でもよく考えてみると違う。自分と出会う人々は環境が全てだ。心が、その環境を良しとするかだ。
出会う人が変わる。広がる世界のベクトルが変わる。これは自分の心が変わってきた証拠なのかもしれない。
以上
これにて
この旅の全てを
書き終える。
さぁ、日本に戻って
目覚めよう。
2011年3月2日 水曜日 日本時刻27:50 タイ時刻25:50
タイ国際空港にて ペンを置く
マザー・テレサ / マザー・テレサ 愛の言葉
ノーベル平和賞を受賞した誰しもが名前を聞いたことのあるマザー・テレサの言葉を、日本語に置き換え、彼女の心を垣間見てみるというものです。
彼女の言葉で多く出てくるものが、貧しい人こそ神である、という言葉です。そういった人々にこそ尊厳を持って接するべきであるとテレサは言っています。稲盛和夫さんの言葉に「神は人に、良い方向へ進む原則と自由を与えた」と言っています。貧しい人々は、自分自身が貧しいにもかかわらず、恵まれた場面に出会った時、その喜びを、自分自身ですべて受けても満足にはならないであろう喜びを、普通に他人と共有します。一方裕福な人は、自由を選び自身だけが富む方向へと進んでいきます。
テレサがこのことを思って、貧しい人こそ神であるといったかは分かりませんが、テレサの認識に相違はありません。神に対して悪いものをささげるのかと考えれば、そんなことはしない。テレサ自身は自分のしてきたことに対して当然のことと考えています。
マザー・テレサの生き方を見て、多くの人が感銘を受けたことを考えてみます。日本人の持っていない強い宗教観、その観念の中において当然のことをマザー・テレサはしただけでした。本人の愚直な宗教心に感心すると同時に、宗教の本質が生き方にあるというところを改めて感じました。
テレサは言います。「聖人になることは一つの決意でしかない。最も恐ろしい事は聖人となっていないことだ。」
稲盛和夫 / 稲盛和夫の哲学
言わずとも知れた大経営者、稲盛和夫さんの哲学、人生をどう生きてきたかについて書かれています。読んでいくと分かりますが、不明確な部分がまずない。すべての心境に対して、彼なりの答えがあり、それがあるからこそどんな状況が起きようとも迷うことがないのでしょう。
彼の根本となっていく考え方は、輪廻転生と言えるでしょう。そこから、生きるということに対しての考え方が生まれてきます。
人はなぜ生まれた、このことを探すためには反対のことを見なくてはいけない。つまり、人は死ぬために生まれた。死ぬということはどういうことか。それは次の肉体を探し始めるということ。だから、私たちが生きている意味というのは、死ぬまでに少しでも魂を磨き上げる事。
魂を磨き上げるためには、人として正しく生きていくことです。そのためには煩悩など、人が生きていく上で自然に生じる、自身を揺るがす状況とどう向き合うかということが大切になってきます。
気になった部分について抜粋します。
【第一章】
人の生きる価値を考える。そのためには人は「たまたま生まれた」と考えてはいけない。「必然」で生まれた。そう考えた時、初めて魂の価値を高めようと思える。
【第四章】
神について。宇宙が成立した時から始まり、宇宙を支配する法則があるという時点で、神は存在していると認められるだろう。その神は私たちを支配しているのか?否。神は「より良くなる」という法則と自由を与えた。
【第八章】
善悪について。神は、「良い方子を進む」法則と自由を与えた。自由を過度に尊重し、他人の自由を侵害し始めた時、それは悪になる。
【第十一章】
人生の目的。それは財産や名誉ではなく、生きているときにどれだけ善い事をしたのか。
【第十二章】
運命はある。因果の法則もある。若干、因果の法則の方が強い。
【第十五章】
逆境について。逆境を乗り越えるためには人間を磨くことだ。そのためには「知識・見識・胆識」が必要。調べて得られ知識、それに信念が加わった見識、更に胆力が加わった胆識。胆力とは大義によって生じる一種の勇気のようなものである。大義とは利他のためにあるもので、利己を目的とした志とは異なる。
【第十八章】
宗教について。自然界に対する脅威にさらされる中で、人を救うものとして成り立ったのが宗教。今、自然界の脅威が薄らいできた中で、何が残っているのか?それらの行いの本質を見ること。
<Phrase>
意識体というものは自分だけで終わるのではなく、次に自分が生まれ変わるものに移っていきます。したがって、自分の心、品格、人格を高めていくことは、たんに自分一個だけの問題ではなく、次の代に対する責任もあるのです。(P65)
稲盛和夫・五木寛之 / 何のために生きるのか
人はなぜ生きているのか。その答えを人はなぜ生まれてきたのかというところに焦点を当ててみます。生まれることと因果関係にあるもの、それは死です。人は死ぬために生まれてきた。この考えの前提になっていることは輪廻転生であるということです。人は死と同時に生が始まる。魂は決して滅びることなく肉体という器を用い存在し続けるという見方です。
よって、人が生きる目的というのは、人が死ぬ目的であり、次の生命へのステップでなくてはなりません。そして、著者らは魂を磨くことであると述べています。
魂を磨くためには、修行をしていくことが大切です。修業とは、決して難しい事ではなく、人として正しい道で生きていくということ。魂をけがれた生き方に染めないということです。一般に修行が厳しいといわれているのは、本来あるべき姿を具現化した際に、本来の姿との相違が生まれてしまったからです。その本質を見るとことが大切です。
人生の正しき道を感じている二人の、違った人生観から語られる一冊です。この二人は、事なった人生観から生きる意味を説いていますが、なぜか重なる部分も多々あります。こう言ったことを感じると、正しい生き方の存在を信じるし、その道を歩みたいと思いますね。正直、今の僕には難しいというところです。
大切にしたい気持ち
1月29日、前のバイト先の飲み会にお呼ばれしたので行ってきました。その時のこんなお話。
前のバイト仲間は本当にいい人ばっかりなんです。でも、ある同い年の男の子との会話で久しぶりに目の前が開けました。そんなこんななことを書いた日記です。
たぶん、俺が就活を終わりにして気が楽になっているころ、そいつは教員採用の方に力を入れていたみたいで…でも無理かなって感じもしていて、少しやっていた就活もその程度っていう感じだったんです。その時にある一冊の本をわたしたんです。『自分は評価されていないと思ったら読む本』。リンクアンドモチべーションの社長か会長の著書です。
まぁ、もちろんタイトルがタイトルなので、最初は冗談交じりな本で、「おーい」とか言ってました。でも、その本の中のワンフレーズが伝えたくてその一冊を渡したんです。あの時、あいつに伝えたい言葉はこんな言葉だ!って思って、それに合う本を選んだら、この本だった。
時は経ちまして。その飲み会の時に、この本のおかげで乗り切ったよ、と。彼の中で何か琴線に触れた部分があって、それを言ったら期待の新人として内定が出たらしい。まぁ、あいつもやさしいやつなんで、話を盛っている可能性もあるけど…。
ちなみに彼の心に響いた言葉は、俺の意図していた言葉とは違ったんです。でも、彼を変えられるキッカケを作れたこと、それに対して本当に喜びを感じます。
仮に、俺の意図していた言葉が彼の心に響いて、彼を変えたのならこんな喜びはない。でも、人たるもの、感ずることは別。今回のように与えたモノのうち、意図していたものと違うところで、彼を変えたのなら、彼が成功を得たのなら。それだけもこの上ない喜びなんです。
俺はこれから、この気持ちを追い求めて仕事をしていくんだろうなって思いましたね。まずは、たくさんのことを学んで与えられる人間になりたい。与えて、そのうち何かが、その人を変えればいい。そして、自身も人として成長していき、最後には相手のキッカケとなるモノを的確に与えていけるようになりたい。
…仕事をしていく上で、この考えだけでは甘いのかもしれないけど。
そいつに対して思ったことは…おめでとう!でも、当然だと思っているから。だって、お前のこと信じるって決めてるし。そして、何よりありがとう。久しぶりに自分の気持ちがわかったよ。目の前の霧が開けたように。
でも、この出来事が今頑張る力になっているのは間違いない!
ジェームズ・アレン / 「原因」と「結果」の法則
まず、何よりも、こんなにも心に響いた本は久しぶりです。
自身を成り立たせているモノはすべて自分の心から始まる因果の法則で成り立っています。
人格という次元では、それは当人の思いの総和であるといえます。良い考え方や心を持っている人は、どんな状況下にあろうと良い人格を持っています。
次に、環境という点ではそれは決して変えることのできないものではないということです。私たちの思いは、似たもの・共鳴するものを引き寄せるという不思議な力を持っています。そして、その引き寄せるための媒体が環境です。つまり、自身が得たいと思っていること、かつその次元に心がなっているとき、それを得られる環境が必然的にやってくるといえます。同時に、自分の心の持ち方次第では、環境も変わってくるということです。
目標という点では、人たるもの、達成できるという信念が人を動かします。単なる夢物語では、目標と偽っても信念がないので自分が動く力もなければ達成もできません。明確に目標を描き、そこまでの道筋を見出す事、本当の目標と言えるでしょう。また、そこに疑いや恐れは介入することもありますが、排除すべきです。これらは、けっして何も生むことはありません。
成功を得るということについて考えてみると、それも自分の心から始まります。成功の要因として、強くなるためには、求められる強さを見つけ得られる環境に入ればいいのです。ただ、忘れてはならないことは、強さを得たいと思うこと、つまり今は弱いということは、自身の欲望がそれを覆っているからです。清らかな心で、多くの人に認められる強さを得るには、成功を得るには自分の欲望の大半を捨てなくてはなりません。
ビジョンは大切です。今の世の中の原動力は、ある人々の清らかな心から発せられたビジョンが、目標として共有されているからです。心が求めたものが引き寄せられるように、自分のビジョンは必ず手に入ります。しかし、そのビジョンよりも大でもなく小でもなく、そのままのスケールで。
最後に、人はこう言った因果の法則を認めた瞬間、不平不満を言うことはなくなります。これこそ穏やかな心である、と述べています。
全体を通し、今までの考え方を変えさせられることが多かったです。言葉数は少ないのに、心にストレートに伝わるのは、ここに書かれていることは何の変哲もない因果の法則以外の何物でもないからでしょう。
「不可変な外的要因、可変な内的要因」こういった考え方で生きていましたが、読み終えて考えさせられています。しかしながら、因果関係に疑うことはできません。それを認めた時、世界は変わらないかもしれないですが、僕自身の心から始まり、環境を含むすべてのものが変わっていくと思います。
<Phrase>
私たちは、自分を環境の産物だと信じているかぎり、環境によって打ちのめされる運命にあります。しかし、「自分は創造のパワーそのものであり、環境をはぐくむための土壌と種(心と思い)を自由に管理できる」ということを認識した時から、自分自身の賢い主人として生きられるようになります。(P23)
あなたの手には、あなた自身の思いの結果が、そのままもたらされることになります。あなたはやがて、あなたが受け取るのにふさわしいもの(それ以上でも、それ以下でもないもの)を手にすることになるでしょう。いまの環境がどんなものであっても、あなたはやがて、あなたの思い、あなたのビジョンとともに、降下するか、同じ場所にとどまるか、上昇することになります。(P76)
田坂広志 / 仕事の報酬とは何か
仕事の対価は何か。何を追い求めていくべきなのか。
この答えは人それぞれ違うと思います。
自分はこの本にピッタリですね。だから、それを言葉にしてくださった田坂さんには感謝します。自身の考えもすっきりしました。
仕事に対する報酬とは、まず目に見えるものと見えないものとで分けられます。見えるものは地位や給料。見えないものは能力・仕事・成長。仕事をしていけばスキルが上がるのは当たり前だし、いい仕事をすることは喜びに繋がります。成長もしていきます。
次の分類は、自ら得る報酬と結果として得られる報酬の二つです。今の時代は、自ら得る報酬が給料や地位などのである事が多いです。なぜなら、人は目に見えるものにしか興味を示さないから。しかしながら、それでいいのか、ということです。結論は、自ら求める報酬は、目に見えないもので、目に見える報酬は結果的なものであるということです。
目に見えない報酬をどう得ていくのか。能力は仕事をしていく中で愚直さを忘れなければ付いてきます。
良い仕事をするためには、共感と志が必要です。共感は得るものと思いがちですが、するものです。そして得られるものです。志は野心ではありません。何を目指すかではなく、現在していることの先に何が見つめているかが志です。
成長とは、言い換えてみると心の世界に処する事。それには感じる力と働きかける力であり、人と正対することで力を付けていきます。
これら、目に見えない報酬は、給料や地位を得るための手段です。最近では手段を問わず結果を得ようとするため、本質を分からず既存ツールを用いることが多くなっています。本質を見極めなければ、今の世界では生きていけるかもしれませんが発展はありえないでしょう。
仕事をする目的は、高貴で失うものではなく、喜びでありたい。それは、自ら追い求めるべき報酬、目に見えない成長という報酬です。成長をするためには、漠然と追い求めることはできなく、その先に何を見つめているか、つまり志が必要なのです。
<Phrase>
では、いかにして、その「人間としての成長」を得るか。いかにして、我々は、人間を高めていけるのでしょうか。そのための方法は、ただ一つです。それは、何か。「格闘」することです。「人間の心」と格闘することです。なぜなら、「人間の心」と格闘するとき、我々の心は、最も成長するからです。では、「格闘」とはなにか。「正対」することです。相手の心と正対し、相手の心を理解しようとすることです。そして、相手の心に伝えようとすることです。(P144)
「人間の心」と格闘しているときこそ、「心の世界に処する力」を身に付けているのです。「人間としての成長」を遂げているのです。だから、我々は、「人間の心」というものと、格闘しなければならない。もし、我々が、「成長」を求めるのならば、「人間の心」という難しいものと、どこまでも深く、格闘しなければならないのです。(P151)
田坂広志 / 仕事の思想
仕事というものに向き合う時、それをどう意味づけをしていくかが大きなポイントになってきます。今まで学生しかしてこなかった僕は、その時その時にしなくてはいけない最低限のこと、つまり授業に出るとか単位を取るということに対して、意味を持たせる必要がありませんでした。もちろん、何も考えなくても翌日の予定は決まっていたし、それに疑問を持つことはあっても、それを解消したり、自分にプラスになるようにと発想の転換をすることもありませんでした。しかし、仕事ではそんなことはなく、明日することも自身で決めなくてはいけない、何を求めるかも自由だし、得るものも人それぞれ。その中で、一人の人間としてこれから多くの時間を過ごしていくことになります。
そのためには、仕事に対してどう向き合うかが、これからの人生を変えていきます。同じものを得たとしても、それに対する見方・考え方が異なれば感じ方も違うし捉え方も違う。それが未来の原動力に繋がるかなどという事を考えなければ、生涯を通しての自身の付加価値の量や質にも大きな差が生まれてしまいます。
『思想・成長・目標・顧客・共感・格闘・地位・友人・仲間・未来』
この項目について、著者なりの意味づけが述べられています。そして多くの人に読まれ、バイブルと化しているということを踏まえると、みんなの持っている感情を言葉にしているといえます。
これらはなぜ描く必要があるのか。それは、明確にしておかなければ、自身を見失ってしまうから。決して自分は消えることはありません。ただ、流されてしまうのです。そして、現実という大海原において、自分の居場所・進むべき方向が分からなくなってしまう。
思想を持つには苦しみを超えなくてはいけない。自身の想いを言葉にする、言葉を生む苦しみがある。でも、明確にそれをもって、イカリのように自身をつなぎとめておかなければいけない。
今の僕は、仕事をしていないからどうしていくのかわかりません。でも、なりたい姿はある。そして、今がある。この二つの間に必ず道がある。その道が見えないから不安にもなる。だから、道を探すより、進んでもいい方向をそれ相応の次元で決めて進んでみようと思います。
<Phrase>
その彼の言葉は、『なぜ我々は働くのか』という問に対する、彼なりの答えを明確に表明したものでした。それは、おそらくは、「仕事の思想」とでも呼ぶべき、明確な『何か』だったのです。そして、おそらくは、彼は、そうした「仕事の思想」をこころに抱くことによって、それを「錨」にしようとしたのでしょう。彼とても、これから一艘の小舟で漕ぎ出さんとする実社会という海原の、荒波の厳しさも潮流の厳しさもわかっていたはずです。そして、それが分かっていたからこそ、その現実の荒波や潮流に流されてしまわないようにするための「錨」を求めたのでしょう。いかに厳しい荒波がやってこようとも、どれほど厳しい潮流がやってこようとも、決して流されてしまわないために、「仕事の思想」という重い「錨」を、心の深くにおろそうとしたのでしょう。(P29)








