昨日⁽7月19日⁾は予て申し込んでいた横浜シルク博物館に行って蚕の卵(蚕種)の配布を受けて来ました。実は我が家の庭に何時の間にか桑の木が育ってきて、薔薇の邪魔をしていました。妻は鍬の木を伐採する事を主張したのですが、私は孫と一緒に蚕を飼育して繭を取ろうと考えていたのでした。我が家の近隣は桑の木が野生で育っています。明治時代迄は養蚕業が盛んだったのです。野鳥が桑の木の種を運んで我庭にも自生させたのでしょう。
いつの間にか庭に自生していた桑の木
シルクホテルは英一番館(明治時代の迎賓館)跡地に出来て、シルクホテル解散後は現在のシルク博物館を中核にオフィスビルになっていて入口にはシルクの姫の銅像が建っていて周囲は桑の木が育てられています。
シルク博物館で配布された蚕の卵(蚕種)20粒はシャーレ―に入れられていました(500円)
蚕の飼育マニュアルと蚕の一生を印刷したクリアファイル等も添付されていました
シルク博物館では新設なお姉さんに飼育の要点を教わり、「当博物館でも蚕を飼育していますので見て帰って下さい!」言われまあした。今貰った蚕種の他1齢虫と四齢虫が展示され活発に桑の葉を食べていました。
上が蚕種(卵)で下が孵化したての一齢四
これは大きく育った四齢虫で五齢虫になると蛹になります蛹が自身の体を守る為に繭を作って中に納まります。繭を解いて生糸を紡ぎます
繭と着物の展示コーナー着物一反に必要な繭は3千個だそうです。美しい着物は蚕の命を奪って出来ているのです
シルク博物館の学芸員は親切で良く教えてくれました。そのお礼に私の体験を話しました。生家の庭には大きな百日紅が生育していて、山蚕(ヤママユガ)が生育していた事、山蚕(ヤママユガ)がの繭から釣糸(テグス)を取った事、山形の鶴岡の致道博物館に釣好きなお殿様が居て釣道具を展示している事釣棹は「庄内棹」でありテグスも様々に活用されていた事
シルク博物館の蚕の仲間総て「山蚕/ヤママユガ」ですが、絹を取る蚕だけが桑だけを食べる偏食で人が5千年をかけて良い絹を取る為に偏食にしてしまったのでした。
これが山蚕(ヤママユガ)の成虫です
鶴岡の致道博物館の釣道具の展示、庄内棹の他釣り糸(テグス)も活用されていました藤沢 周平ワールドです
妻や娘には孫の情操教育である事で協力を求め乍ら、実態は私の少年時代の復活が目的で屹度蚕の飼育が長生きの生活習慣を導いてくれるでしょう。TVでは「黄金繭」と称して叔母さんの皺だらけの皮膚を若若しく甦らしてくれるそうです。爺さんのハートも若返らしてくれそうです 【了】