5月22日東京国立博物館に「法然と極楽浄土」展を観に出かけました。朝から夏の日差しで博物館迄歩くと喉が渇きました。其処で博物館の池を囲んだベンチに座ってお茶を飲みました。

梅雨入り前の快晴の日に上野公園は緑陰で休憩する修学旅行生がめだちました

東京国立博物館前の「百合の木」東向き

東京国立博物館「表慶館前」の「百合の木」の緑陰で憩う人々

東京国立博物館前のベンチに腰かけて百合の木の梢を見上げれば10㎝程の百合の木の黄色い花が咲いていました。

百合の木の根を見れば逞しく大地を抱えていました。百合の木は人間でいえば40歳(不惑)でしょう。

背後には御室桜(数年前枯れたので、新しい苗を植えて3年目位になります)の生育を確認しました。前には池越に東博のシンボルツリーの「百合の木」が梢を四方に張って聳えています。ユリノキ(百合の木は、木蓮の仲間だそうです。デモ英名では「チューリップの木」だそうです。明治維新に我国に渡って来たチューリップの木を観て、当時の日本人は百合の花に似ていたので「百合の木」とネーミングしたのでしょう。もしもチューリップが日本人に馴染んでいたら英国と同じ「チューリップの木」と名付けられていたのでしょう。

今が盛りの百合の木の花、苞の木の花にも似ています

これは朴の木です山国では枯れ葉を使って「棒葉味噌」を食べたりします

東博はホームページでこの「百合の木」を樹齢140年樹高24mで自生経緯をる魏の様に説明しています。明治の初め渡来した30粒の種子から育った苗木から1本を、明治14年にこの地に植えたもので、それに因んで、この博物館は時に「ユリノキの博物館」等とも言われました。「東京国立博物館は「東博君」と「ゆりのきチャン」をユルキャラ(マスコット)にしています。現在は未だ樹齢は140年ですが、「百合の木」は長寿で樹高50mに及ぶ例もある様です。 

左が東博の「百合の木チャン」右が「東博君/埴輪」です

明治維新政府は「富国強兵」政策を優先し「民生や文化」には無頓着であった、学校では教えられましたが、上野公園に行くと寛永寺を北に追いやり上野広小路から桜並木を経て寛永寺の本堂と方丈の位置に博物館(当初は万博会場)を作って百年後を見定めて「百合の木」を植樹したのは賢明でした。                【了】