今年も我が家の「定家カズラ」の花が咲き始めました。家の裏に回れば「ドクダミ」の花も咲き出しています。今朝は湿っぽく梅雨入り真近を知らせています。先週土用日に慶応大学日吉キャンパスに行った時は土手に茂った「定家カズラ」の花は未だ咲いて居ませんでした。この一週間で季節も進んで夏に近づいたのです。

我が家の庭先ジャスミンが終えてクレマチスも散り始めると白い定家カズラの番が来ました

「定家カズラ」は白いスクリューの様な形をしています

「定家カズラ」は夾竹桃科の野生植物です。ですから有毒です。美しいので見惚れて雫が目に入ると失明の恐れがあります。私の生活圏でも「定家カズラ」は多く自生してります。明月院道や浄智寺の裏山や海蔵寺の境内等にも自生して、他の植物を圧倒して生育しています。白樫の梢から垂れ下がって芳香を漂わせる「定家カズラ」を見上げると梅雨に濡れた花から有毒の雫が目に入る危険を感じます。「虚空より定家葛の花香る」

これは白い花の夾竹桃です、「定家カズラ」も同じ科です。

「定家カズラ」の名前の由来には諸説あるが、広く流布しているのは鎌倉時代の歌人藤原定家に因むという説。雨宿りしていた旅の僧の前に1人の女性が現れ、定家が愛していた式子内親王(後白河上皇の皇女)の墓前に案内される。そこで女性は内親王の没後も忘れられない定家の情念がツタとなって墓に絡みつき成仏できないので読経してほしいとお願いする。その女性は実は内親王の亡霊だった(謡曲「定家」金春禅竹作。以来、そのツタは「定家葛」と呼ばれるようになった。と云った説です。

謡曲「定家」の舞台、式子内親王の亡霊が定家の愛欲の為に成仏出来ないと訴えます

 テイカカズラは付着根を出して周りの木や石垣などによじ登ります。式子内親王の墓標に定家カズラの根っこが付着して息苦しい様と花の美しさがそんな推測を呼び覚ましたのでしょう。定家は新古今和歌集の選者であり、百人一首の選者でもあり日本文学史上の大人物です。そんな歌聖であっても式子内親王への愛欲は断ち切れなかったのでしょう。常識的には式子内親王は後白河上皇の皇女です。加えて11歳で賀茂斎王になっています。賀茂斎王は伊勢神宮に仕えた斎宮(伊勢斎王)と同様、天皇家の未婚女性の中から選ばれました。其々鴨神社や伊勢神宮に仕える巫女ですから、世俗的な愛欲は禁じられていまあした。京都の葵祭は定家カズラの咲き出す季節に営れます。

今年は5月15日に開催された「葵祭」ヒロインは斎王代です

葵祭のヒロインは斎王代です式子内親王は斎王でした。上の写真の様に衣裳唐衣(いつつぎぬものからぎぬ)をまとい、腰輿およよ)という輿に乗って登場する斎王で葵祭のヒロインでした平安時代には内親王が「斎王」として祭に奉仕していましたが、鎌倉時代に途絶えていました。昭和31(1956)年、葵祭を盛り上げようと市民から斎王代が選ばれ、女人列が復活しました。愛子様の卒論のテーマは「式子内親王」であったと伺っています。屹度「学習院大学」での学友が平和教育を受けて「自由・平等」の恩恵を享受して育っておられるのでしょう。処が愛子内親王様には自由も平等も無関係です。式子内親王の生き様の共感を得られた事は自然な事です。                             【了】