息子が小学校の宿題で、教科書の「三年とうげ」という話を音読してくれました。
ある所に、三年とうげとよばれるとうげがありました。あまり高くない、なだらかなとうげでした。
春には、すみれ、たんぽぽ、ふでりんどう。とうげからふもとまでさきみだれました。
れんげつつじのさくころは、だれだってため息の出るほど、よいながめでした。
秋には、かえで、がまずみ、ぬるでの葉。とうげからふもとまで美しく色づきました。白いすすきの光るころは、だれだってため息の出るほど、よいながめでした。
三年とうげには、昔から、こんな言いつたえがありました。
「三年とうげで 転ぶでない。
三年とうげで 転んだならば、
三年きりしか 生きられぬ。
長生きしたけりゃ、
転ぶでないぞ。
三年とうげで 転んだならば、
長生きしたくも 生きられぬ。」
ですから、三年とうげをこえるときは、みんな、転ばないように、おそるおそる歩きました。
ある秋の日のことでした。一人のおじいさんが、となり村へ、反物(たんもの)を売りに行きました。
そして、帰り道、三年とうげにさしかかりました。白いすすきの光るころでした。おじいさんは、こしを下ろしてひと息入れながら、美しいながめにうっとりしていました。しばらくして、
「こうしちゃおれぬ。日がくれる。」
おじいさんは、あわてて立ち上がると、
「三年とうげで 転ぶでないぞ。
三年とうげで 転んだならば、
三年きりしか 生きられぬ。」
と、足を急がせました。
お日さまが西にかたむき、夕やけ空がだんだん暗くなりました。
ところがたいへん。あんなに気をつけて歩いていたのに、おじいさんは、石につまずいて転んでしまいました。おじいさんは真っ青になり、がたがたふるえました。
家にすっとんでいき、おばあさんにしがみつき、おいおいなきました。
「ああ、どうしよう、どうしよう。わしのじゅみょうは、あと三年じゃ。三年しか生きられぬのじゃあ。」
その日から、おじいさんは、ごはんも食べずに、ふとんにもぐりこみ、とうとう病気になってしまいました。お医者をよぶやら、薬を飲ませるやら、おばあさんはつきっきりでかん病しました。けれども、おじいさんの病気はどんどん重くなるばかり。村の人たちもみんな心配しました。
そんなある日のこと、水車屋のトルトリが、みまいに来ました。
「おいらの言うとおりにすれば、おじいさんの病気はきっとなおるよ。」
「どうすればなおるんじゃ。」
おじいさんは、ふとんから顔を出しました。
「なおるとも。三年とうげで、もう一度転ぶんだよ。」
「ばかな。わしに、もっと早く死ねと言うのか。」
「そうじゃないんだよ。一度転ぶと、三年生きるんだろ。二度転べば六年、三度転べば九年、四度転べば十二年。このように、何度も転べば、ううんと長生きできるはずだよ。」
おじいさんは、しばらく考えていましたが、うなずきました。
「うん、なるほど、なるほど。」
そして、ふとんからはね起きると、三年とうげに行き、わざとひっくり返り、転びました。
このときです。ぬるでの木のかげから、おもしろい歌が聞こえてきました。
「えいやら えいやら えいやらや。
一ぺん転べば 三年で、
十ぺん転べば 三十年、
百ぺん転べば 三百年。
こけて 転んで ひざついて、 しりもちついて でんぐり返り、
長生きするとは、こりゃ めでたい。」
おじいさんは、すっかりうれしくなりました。
ころりん、ころりん、すってんころり、ぺったんころりん、ひょいころ、ころりんと、転びました。あんまりうれしくなったので、しまいに、とうげからふもとまで、ころころころりんと、転がり落ちてしまいました。そして、けろけろけろっとした顔をして、
「もう、わしの病気はなおった。百年も、二百年も、長生きができるわい。」
と、にこにこわらいました。
こうして、おじいさんは、すっかり元気になり、おばあさんと二人なかよく、幸せに、長生きしたということです。
朝鮮半島の昔話だそうです。考え方を帰るだけで、結果が180度変わるところが面白いですね~

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