あれからちょうど100カ日。大槌町東日本大震災犠牲者合同慰霊祭。
2011年6月18日、開始時刻午後1時50分。大槌中学校校庭。
ずいぶん中途半端な開始時間だなあと思いながら参列。

779名の死亡者全員の名前が読み上げられる時間の長さがたくさんのことを物語っている。
...
最後の犠牲者の名前が告げられた直後、町内に大きなサイレンが鳴り響いた。
その時刻2時46分。
長い黙とう。100日前のこの時間、この町で何があったのか。

思うだけで心が張り裂けそうになった。

小学生の男の子と女の子が、最後の追悼の辞。
「これまでの歴史の中で大槌はその都度、津波被害から復興を
遂げてきた。また美しい大槌を取り戻すために頑張っていきたい」。

参列した遺族は家をなくした方が多く、県外から来ても泊る所もなく、
シャトル便の出発時刻に呼ばれ、またすぐ町を去っていく。自分の町なのにね。

現在、死亡者779名、行方不明者827名。避難者7137名。
役場の職員の多くは、100日間休んでいない。
高校生の7割は卒業後も大槌に残りたいと答えている。

震災以来初めて会った本家のおばちゃんは、旦那と家をなくし、
「死にたい」と言っていた。

大槌湾の海は昔と変わらず、おだやかでキラキラ光っていた。
とても美しかった。 石井

$~Kamaishi Support Project~