艦砲射撃が釜石を襲った。

嬉石の消防団だった祖父は疎開先の住田から釜石に向かった。

そこで祖父は爆撃に会い亡くなった。

祖母が死んだとき祖父の死亡証明書?が出てきた。死因は「爆死」となっていた。



地震後直ぐに釜石に駆け付けたい気持ちになった。

もしかしたら、60数年前の祖父の気持ちも同じだったのかと思った。

また、今すぐに行くと祖父と同じ様に…と思ったりした。

震災から約2ヶ月経って釜石に行ってきた。

まずは、祖父も見ただろう瓦礫だらけの嬉石を見た。

一体何を考え、誰を助けようとしたか考え付くことは出来ないが、

生まれて一番祖父の事を考えた時間だった。


色々な人に会ったが、皆それぞれ被災のレベルが一位出はなく、

現在置かれている状況、必要な物も違う様に感じた。

釜石の復興を考えると、被災前の釜石に戻しても意味はなく、

日々の積み重ねが発展、成長に結び付く様な青写真が必要であろう。


復興のビジョン、それを実現させるロードマップを早く示して欲しい物です。

最短で最良な復興を祈ります。

我妻