釜石、そして釜石から約100KM離れた両親の避難所、花巻温泉...
先週末は家族、親戚、友人がいたから、みんなが揃ったからこそ笑顔で楽しい一時!!

花巻温泉といっても現在は避難所として機能...
食事は質素、でもあの大人数(県内各所から何百人と来ています)
食事の準備も毎回大変です、お布団は自分達で敷き、片付けます..
通常の温泉施設のサービスではありません、あくまで避難所としての機能です...

釜石では、前の記事でアップしたように
まだまだ、まだまだ瓦礫の山なのです....

東京の知人が、え-っまだ瓦礫があるんですかって??!!!

知らないなら何度でも...
はい!!そうです!! 

1つの県なら約20年以上分のごみの量に値する瓦礫の量です

釜石では民有地の瓦礫撤去もはじまりましたが
1年はかかるといわれています


なぜなら、1つ1つの瓦礫もご遺体も見つけ出しながらの作業になります...

義妹の知恵ちゃんのブログにも書いています
(前の記事でも紹介しました)以下、今日は抜粋します

余りにもみんなが優しくて、子供達は楽しそうに笑ってて、美味しい料理と
お酒とあたたかいお風呂…
現実を忘れて楽しみました。

ありがとう なんてコトバじゃ足りないくらい みなさんの優しさや思いやりに感謝をしています。

お別れしてから、ワタシとリリはぐっすり眠りました。
目が覚め、車の窓からガレキを見た時に 地獄に帰って来た気がしました。

ワタシ達のいる場所。
毎日 少しずつガレキが減ったって、まだまだ終わらない。
すぐそばでは今日も遺体が見つかりました。
毎日 愛しい子供達をスクールバスまで送る道のり。


今まで、身体を休めなかった。
身体を休めてストップしたら、きっと考えたって無駄なことまで考えてしまうし、不安と恐怖で押しつぶされてしまうから…。

だからね被災にあった人は、こう言うの。

住む家はないけど、無事に生きています…だから良かった。

津波で死んじゃったけど、遺体はみつかりました…だから良かった。

まだまだ大切な人を見つけられずにいる人も、ささいな良いことを見つけて
まだ、まだ良かったって無理やり自分を納得させている。

そうやって、わずかな光を見つめていなければ大切なものを失ったことや、
先の見えない不安に押しつぶされてしまうから。


帰りたい。
あの、お家。
スゴく好きだったの。
建築家が変な図面を書いてきたから、自分で間取りを考えた。
窓からは海がキレイで山は季節ごとに色を変えて楽しませてくれた。
私達はケンカしながらも毎日幸せだったのに、幸せだったことも あの頃ちゃんと気が付いてなかったかもしれない。

避難所が寒くて、身体が痛くて眠れなかった時、あのお家の大きなフカフカなベッドで、暖かい毛布と子供達に囲まれて眠っていたことが一番幸せなことだったと思った。
人はどうして幸せを感じながらも、何かと比べなければ痛感できないのだろう。

もうすぐ ゴールデンウィークだね。
いつもだったら、横浜に帰るのにワクワクしている頃だね。

ママやお姉ちゃん、あーちゃん
新メンバーのアメリ
お友達。
まだしばらく帰れそうにないよ。

軍曹(弟のこと)はね、帰って良いって言ってくれたんだ。

ワンコ連れのピクニック、毎日のお出掛け、パパのお墓参り、ママやお姉ちゃんの手料理、
カルタ大会、お友達と飲んだり…やりたいこといっぱいだね。

でもね、もし横浜に帰ったらワタシはキャマイシに帰るのが怖くなってしまう。

だから仮設住宅ができるまでは帰らないと決めたんだ。

ゴメンね。

ママはいつでも待っているから、それまで軍曹を支えて みんなで帰ってきてって言ってくれた。
顔見たくて心配してるのにゴメンね。

でも優しさに救われます。

やっぱり家がなくても、たくさんの人に優しくしてもらえる私達はシアワセ者達です。

ありがとう。



知恵ちゃんのブログ見て、泣けました!
仕方ない!!本当に...代わってやることも出来ない...

私達、親戚、友人と過ごした週末の楽しかったこと...

瓦礫の町に帰る心境は移った写真の笑顔、楽しさとは又正反対です!!

100KM離れた花巻で過ごした皆の笑顔と町並みは釜石のものではありません


被災地で暮らしを続けなくてはならない弟家族...

今は、仮設住宅が出来るまで、100KM離れた花巻の温泉施設で暮らす両親...

東京に戻らなくてはならない自分達...

その周辺にいる友人達...

家族の中で誰かを失ってしまった方々.....

家族皆なくなってしまい1人だけ生き残った方々....

いまだ行方不明の家族がいる方々.......

それぞれの心境.....

私自身も楽しく過ごした週末とその後の家族の心配、釜石の今後の心配....

毎日の中でも心境、感情がいろいろに変化...そのギャップが時折苦しい.....     

次の記事では、一緒に行ってくれた政平叔父さんのファミリーを紹介します   AYA