9月3日に釜石市鈴子町のシープラザ遊で日本を代表するギタリスト、野呂一生さんと天野清継さんのアコースティックギター・デュオライブが行われました。
昭和の歌謡曲やフォークソングなどを歌なしのギターのみで演奏。
当日は大雨が降る中、会場には市内外から約50人が訪れ、二人のスキルの高い演奏に大喜びでした。
改めて2人の経歴を紹介します。
野呂一生さんは、フュージョンバンド(ジャズをベースにロックや打ち込みなど様々な音楽を融合したインストルメンタルサウンド)・カシオペアのリーダーでギタリスト。
カシオペアの大半の曲を作曲しており、「ASAYAKE」「LOOKING UP」などの代表曲がある。
天野清継さんは、大学在学中からギタリストとして活躍。
ジャズサックスプレーヤー・渡辺貞夫のバンドにも参加。
1988年に渡米し、海外のミュージシャンとともに西海岸のライブハウスで定期的に演奏を行う。
矢沢永吉、阿川泰子、渡辺香津美、平井堅、夏川りみなど多数のミュージシャンのレコーディングやライブに参加する。
ここからは会場とライブの様子をリポートします。
午後1時過ぎ、会場のシープラザ遊のテント内に入ると、すでに2人がリハーサルを行っていた。
開始予定時刻は1時半だったが、1曲フルで演奏しており、早くも演奏を始めたのか?と勘違いするほど、気合の入った演奏だった。
同所は震災後、救援物資の倉庫として使われており、全国から多くの食料や飲料、衣服類が届けられた。
現在も一部スペースに救援物資が置かれているが、徐々に各種イベントが行われている。
開始時刻近くになると雨も止み始め、多くの観客が集まってきた。
年齢層はけっこう高め。
午後1時36分、ライブスタート。
赤いシャツを着た野呂さんと、茶のシャツを着た天野さんが特設ステージに上がると大きな拍手が送られる。
1曲目は「戦争を知らない子供たち」。
片方が歌メロ、もう片方がメロディーを奏でているが、曲の間にそれぞれギターソロを入れてくる。
それも原曲を崩さない範囲内でスキルの高い演奏をしていた。
2曲目は「恋の季節」。
リズムをスカアレンジに変え、テンポもアップ。
3曲目は「見上げてごらん夜の星を」。
原曲はビッグバンドアレンジだが、2人でしっとりと演奏。
4曲目は「TO-MO」。
同曲は野呂さんが震災後、自分に何か出来ることはないかと悩み、募る思いで書き上げ、マイナーコードを多用した切なげな曲。
「Song for Hope」というサイトにもアップされている。
岩手で演奏することが念願だったこともあり、気合の入った演奏を見せた。
本編最後の曲は「バン・バン・バン」。
アップテンポの曲ということもあり、観客から自然に手拍子が起こる。
2人も膝でリズムをとり、ギターで戦うかのようなソロ演奏を競い合う。
演奏が終了し、大きな拍手が送られる。
当然これで終わらず、アンコールへ。
「夕陽が泣いている」「君といつまでも」をしっとりと演奏し、午後2時18分終了。
いや~、いいライブだった。
ライブ終了後、2人のインタビューの詳細は次の通り。
●ライブを終えて
野呂「生まれて初めてのボランティア活動で、(被災地での)念願のライブだった。感無量だ」
天野「被災地を訪れたのは初めて。釜石市も初めて。被災現場も見たが、改めてびっくりした。演奏することができて本当に良かった」
●ボランティアライブを行った経緯は?
野呂「どういう形であれ、ライブをやろうと思っていた。アコースティックプロジェクトを立ち上げ、小回りがきく動きができると思った。天野君にも相談して承諾を得た。選曲は昭和のメロディーをアレンジすれば(曲を)知っている人も多いのではと思い、このような形に編成した」
天野「(野呂君とは)同級生だが、元々一緒にしゃべったことがなかった。ある飲み会を通じて知り合い、このデュオへと繋がった。僕たちはミュージシャンなので(音楽を通して)できることは何でもやっていきたい」
●被災者や釜石市民にメッセージを
野呂「まだまだ復興までに時間はかかるだろうが、気長にやり抜いてほしい」
天野「思ったよりも街がかたづいていたので、皆さんが相当頑張っているんだなと思った。僕も頑張り、応援できるところは応援していきたい」
T-チバ☆