7月23日(土)に発行された復興釜石新聞第13号。
1面は、震災後から釜石市で災害支援活動を行ってきた陸上自衛隊第9師団第21普通科連隊が19日に撤収した記事を掲載。
被災者の救助、救難、物資支援、生存者の捜索、遺体収容、がれきの撤去、住民の生活支援のほか、給食支援(約30万食)、入浴支援など、130日間にわたってさまざまな活動に取り組んだ。
同じ1面には、同隊長の末吉洋明さんが「心は寄り添ったまま~釜石市民の皆様へ」と題したメッセージを掲載。
以下、一部省略して掲載します。
撤収にあたり皆様からいただいたご理解、ご協力に対し僭越ながら一言ご挨拶申し上げます。
11日に秋田を出発し12日未明には駐屯地運営に当たる隊員以外はすべて釜石に到着し、即刻活動を開始しました。
隊員の中には家を失い、家族を亡くした者もいましたが、誰一人として任務を拒む者はいませんでした。
「今やらずにいつやるんだ。我々がやらずに誰がやるんだ。自衛隊はこのためにある」と思い、物心ともに持てるすべてを捧げて取り組むことを全隊員が心の中で誓っていたからだと思います。
釜石市での自衛隊の活動は、これまでの約130日間で生存者救出12名、孤立救助約400名、物資輸送約2500カ所、入浴支援約5万名、道路啓開約16・0キロ、防疫活動3日間、ご遺体収容493名、患者輸送約80名、給食支援約30万食、給水支援約700トン、がれき撤去約3万2千立方メートルでした。
隊員たちは過酷な任務にもかかわらず疲労はすれど、士気は全く衰えませんでした。それはなぜか? と隊員に問いますと、「釜石の皆様の感謝の言葉、笑顔をいただきました」「市民の皆様がひた向きに前に進もうとする姿勢に励まされます」と口々に言います。
顧みると隊員は、釜石市の皆様を自分の家族同然に思っていたと思います。
でなければ、凄惨で危険な現場で手作業で要救助者を丁重に捜索し、また時には崩れそうな要救助者を抱き抱えながら収容することはできません。
義務的にやっていたのではなく一人でも多くの要救助者をご家族に返したい一心だったと思います。
我々は釜石市を離れますが、我々の心は皆様に寄り添ったままです。
2面は宇崎竜童さん阿木燿子さん夫婦が釜石市民体育館でチャリティーライブを行ったほか、宮崎県高千穂町の国指定重要無形民俗文化財・高千穂神楽の復興祈願奉納公演が釜石市の尾崎神社で行われた記事を掲載。
同神楽の20の神楽保存会のうち、最も歴史がある三田井神楽保存会のメンバーが「杉昇り」を披露。
神が大杉に降り立ち、村人と収穫を喜ぶ様子を表現した。
3面は、釜石高校ボクシング部が4年ぶりにインターハイに出場する記事を掲載。
バンタム級で出場するのは、同校3年の野田武暉君(17)。
大震災や廃部の危機を乗り越えて出場する野田君は「目標にしていた大きな大会。自分の力を出し、絶対にいい成績を残したい」と意気込む。
ボクシング競技は8月9日から秋田県秋田市で行われる。
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