7月20日(水)に発行された復興釜石新聞第12号。

 1、4面はカラーです。

 

釜石新聞

 1面は、釜石港に震災後初めて、コンテナ船が寄港した記事を掲載。

 釜石港は、津波で大きな被害を出したが、公共埠頭のがれき撤去や路面の修復を急ぎ、震災から1カ月後には支援物資などの受け入れを再開。

 5月には多目的クレーン、6月にはコンテナを運ぶ特殊車両も復旧して、受け入れ態勢が整った。

 今月17日に釜石港公共埠頭へ接岸したのは、兵庫県神戸市の井本商運の内航フィーダーコンテナ船「まいこ」。

 印画紙用原紙を入れたコンテナ4本を積み込み、東京港へ向かった。

 井本商運では今後、震災で発生したがれきの輸送なども視野に入れて、毎週1便程度の定期航路化を目指す。

 このほか、1面には陸上自衛隊が16日から18日にかけて津波被災区域の防疫活動(害虫駆除活動)を行った記事も掲載。

 釜石市などの被災区域ではハエなどの害虫が大量発生しており、16日は唐丹町小白浜地区で自衛隊員10人が背負い型動力散布機で薬剤を散布した。

釜石新聞

 

 2面は、大槌町にあったサッカーボールが津波で流され、約500キロ離れた北海道の海岸で発見された記事を掲載。

 サッカーボールの所有者は、大槌町の釜石翔さん(18)。

 ボールはサッカーチーム・大槌FCサッカーの記念ボールで「釜石!自分を忘れるな!」などのメッセージ(サイン)が書き込まれていた。

 ボールが発見されたのは、北海道東岸の豊頃町の岸壁で発見。

 実は6月25日付の釜石新聞にも行方不明のサッカーボールの記事が掲載されており、この記事を見た人がFCのボール、釜石さんのものと特定。

 釜石新聞社が帯広市の十勝毎日新聞社に連絡し、釜石さんにボールが戻ってきた。

 釜石さんの父親・正さんは「ボールが北海道に流れ着いたと聞き、本当に驚いた。ボール以外に家族の記憶となるものは一切残らず、本当にありがたい」と話した。

 翔さんは、返ってきたボールを手に、改めて「自分に負けるな」と言い聞かせている。

釜石新聞

 

 3面は釜石市のお知らせ。

 4面は、がれきの中で行われた夏の港まつりの記事を掲載。

 港まつりは毎年、釜石魚市場で開かれていたが、津波で壊滅的な被害を受けた。

 しかし、避難所や仮設住宅で暮らす住民からの声が開催を後押しした。

 ステージでは、唐丹町で60年近い伝統を誇る桜舞太鼓(7月18日のみんなのラジオでも中継しました)や虎舞も登場。

 会場内では尾崎町町内会女性会員らが「尾崎汁」と名付けた豚汁を無料で振る舞った。

釜石新聞

 

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