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かまいちのブログ

鎌倉在住。
日本政治思想史専攻の元学徒です。故橋川文三氏に基礎を叩き込まれました。思想史つれづればなしや、過去にMixiでかいた日記・論説・小説などををUPします。
他、趣味の自作オーディオ、ジャズ話もUPします。


きのうも拙宅でやらかしました。
集まったのは、鎌倉一中(かまいち)の同級生四名(自分を含む)。
 

 

 

 

画像左のひとはロケット制御のエンジニア、真ん中はカスタムバイク工房運営の職人、右は高名な商業写真家~名は言えませぬが、竹内まりやのCDジャケットや、綾瀬はるかのANA宣伝ポスターなどの撮影者です。物凄い技術と感性をもっています。

真ん中の男が「コルトレーンとハートマン」、「山下洋輔のenja盤(マンフレッド・ショーフ(tp)の入ったドイツでのライブ」LPをくれました。「これはお前がもっていたほうがいいでしょ」。

5月3日の話をしたら、「なんでお前が"かまいち"なんだよ! かってに母校を代表してるんじゃねーよ」と怒られました(笑)。


そう、かまいちというのは高校以降のあだななんです。だからこのメンバーは知らなかったというわけ。

で、再生したのは1970年代シティ・ポップばかり(笑)。山下達郎、竹内まりや、大貫妙子、矢野顕子、荒井由実etc。あとはみんな大好きな「シカゴ・ライブ・イン・ジャパン(1972)」
ジャズはロリンズの「オン・インパルス」一枚のみ(笑)。
12時~20時まで話はつきず、ついにはアンプの電源を落として、昔ばなしや、鎌倉怪奇話、広告業界裏話と、話題はつきませんでした。
やっぱり中学時代のなかまというのは「動物的紐帯」で結ばれてますね。
またやろう! ということになりました。

 

以下は、本日仲間に送ったメッセージ

みんな、昨日は12時から20時前まで約8時間、話は尽きなかったね。

ほんとうに楽しかった。

無事帰れたよね。

みんなが聴きたがっていたオーディオも、話題が優先しすぎてあまり再生できなかったのが心残り。

でもKM君の鎌倉怪奇話(怖かった~)、KW君の職人魂~消防団話、T君の業界話・カメラ話、みんな面白すぎたよ。

「材木座勢より大町勢のほうが濃く、自己主張が強い」というくらしょーの分析には笑ったよ。

やっぱり中学の時の仲間はサイコーだね。中学生ってまだ半分子供だし、その時になかよくなった仲間は、なかば「動物的」紐帯を持ち続けるんだなあとの感想をもったよ。

 

絶対にまたやろう! 今度はMくんも交えてね。

場所はどこでもいいけど、長時間話ができるのは、とりあえずうちだけだろうから、またうちにご参集ください。東京の居酒屋でもいいけど、長時間は無理だなあ~。

三か月以内にまたやりたい。皆さんよろしくご検討ください。

では

 

(四月初旬に記す)

休暇である。
恒例のお散歩に行った。港北図書館まで往復3キロ。
途中はこのような田園風景が広がる。かまいちのお気に入りコースなんである。港北区は緑も農地もまだ多い。これは「斉藤農園」。

 

 

これはうちのお隣さん。ソメイヨシノでない桜が満開です。

 

 

閑話休題

で、図書館に到着

 

 



実は、この本を借りに行ったのだ。それはいい。コミュでのことだから、個人日記でああだこうだ言う気はないのだ。

図書館には「港北リサイクル文庫」なるコーナーがある。

ようは、ご家庭の不要本のゴミ捨て場だ。でも、元古本屋の番頭からみれば、たまにお宝も見つかることがあるのだ。ちゃっかり転売させて頂いて、一回分の飲み代に化けたこともある。

そんな気持ちで、「リサイクル文庫」の書棚をのぞいたのだが、きょうは収穫無し。
でも、こんな本をもってきた。
『わが母校 わが友』
毎日新聞横浜支局編とある。昭和51年刊とあるから、オレが18歳のときの発行だ。県内名門高校の戦中・戦後のエピソード集である。

ブンヤ用語でいうところの<ヒマダネ>(事件のない時の埋め草的記事)連載のようだ。
身内の出ている学校のことがあったので何気なくもってきてしまった。

その帰途、なんとその身内がメガネでセーラーを服を着ているではないか! いい年してコスプレしてんじゃねえよと、注意しようとおもったら、正真正銘ぴかぴかの中学一年生とその両親だったのだ。そうかあ入学式かあ…。
女の子も両親もなにやら誇らしげである。
まあそうだろうなあ。

おれはこう語りかけたかったのだ。

「入学おめでとう。おじさんの身内もあなたと同じ学校の卒業生だよ。勉強がんばったね。でもあの学校は受験勉強は教えてくれないよ。教えてくれるのは「神様」のことだよ。毎日礼拝があるよ。高三生は「S3(エス・スリー)」とか「ご隠居」とかよばれているんだよ。おじさんの身内は6年間、なんの勉強もしなかったよ。気絶していたんだ。何故かって? 部活に夢中だったんだ。
周りもみんなそうだった。でも、リケジョのはしりのような子ばかりだったよ。身内の周りはお医者さんばかりだよ。そりゃあ壮観さ。
おじさんの身内? 残念ながら医者にはならなかったよ。自分が医者になったら患者さんがかわいそうだ、ということがわかってたんだね。このおのれを知る姿勢に知性をかんじないかい(笑)。
君がなにになりたのか、これからの6年間でじっくり考えるんだね。え、お父さんは弁護士さんだって? だからといって君が弁護士になるひつようなんてないんだよ。きみの進路は君がきめる。
おじさんは最近の「自己責任」と言うコトバがきらいだが、じぶんの進路はそれこそ、自己責任できめなきゃいけないよ。
まずはおめでとう。楽しい生活がはじまることはおじさんが保証するよ。いじめはないよ。だっていじめっ子を正義感あふれる子がのしちゃうんだからね。凄いよ。だから安心してね。そして本は読もうね。知性はきっとあなたを守ってくれるよ。精神的に追い詰められたとき、人生の針路を見失いそうになったとき、救ってくれるのは神様だけじゃあないよ。知性だよ。(「知性が叛乱」しちゃった人もいるけど(山本義隆のこと-w)それは例外だよ…)
これからの学生生活が実り多いよう、おじさんもかげながら応援してるよ。じゃあね。もう会うこともないだろうけど、なんか懐かしくて涙が出そうになったから声をかけたんだ。ここでサヨナラ!」

ちょっと、かっこうつけすぎかもしれないが、そのときは本当にそう思い、語りかけようと思ったのだ。
でもおのれの服装を見て思いとどまった。
白いワイシャツにブレザー、ちゃんとベルトを締めた折り目のついたスラックス。ここまではいい。

足下をみたら…。百均のサ・ン・ダ・ル!!

こりゃダメだ。不審者だ。
で思いとどまったしだいである。
久々の日記も相変わらずのバカを露呈している。恥ずかしいかぎりである。

にっこりほほえんでその家族を見送った。家族は東横線の改札に消えていった。

Mind your own business.(これを、丸山眞男は「貴下の足下を見よ」と訳した。けだし名訳である)


クレパスキュール・ウィズ 愛子 
― あるいは、たんなる薄暮


Thelonious Monk  "Crepuscule with Nellie"  より




 おれのペンネーム「かまいち」は、高校時代のあだ名だ。
 高校は茅ヶ崎の北方の田舎にあった。 
 高校時代の知り合いは、出会うとかならず、「おう、かまいち! どうしてる? 元気か?」と言う。本名で呼ばれたことは一度もない。 

 だからインターネット上の掲示板などで、「かまいち」と呼ばれても一切違和感がない。

 高校・大学時代、そのおれを「かまいちくん」と呼んでくれた女性がいる。 
 滝川さんだ。 
 彼女とは高校二年のとき、クラス替えで同じクラスになった。 
 英語が抜群にでき、その発音もネイティブのようだった。 
 目の大きな、ゴーギャンの描くタヒチァンのようなかわいい子だった。 
 席替えで、隣同士になってから急速に仲良くなった。 
 なぜかはわからない。おれが片言のフランス語で授業をやじって、それを理解できない教師を煙に巻くという、いたずらに興味を持ったのか? 
 隣同士で勉強を教えあっているうちに仲良くなったのだ。彼女はおれに英語を教え、おれは彼女に漢文、古文、倫理・社会、日本史、政経を教えた。
 お昼のお弁当もいっしょに食べた。いつも何かを話していた。 
 同級の女子たちからは「何よ、男子といっしょにお弁当なんか食べてさあ」などと悪評フンプンだったそうだ。 
 ずうっといっしょだった。学校からの帰りみちも、駅までの遠回りコースをわざと選んでいっしょに帰った。話したりないときは、小川のほとりの土手に座って話し続けた。 
 何を話したのか。多分、日本近代文学、フランス文学、英語のリーダの教科書に出ていた、B・ラッセル、やH・リードなどなど、であろう。その内容というより、彼女といっしょの時間と空間を占有すること、それが無上の喜びだった。 
 ただ、政治の話はしなかった。彼女はあきらかにその資質を欠いていたからだ。裕福な家の一人娘だったことも関係していたかもしれない。 
 この淡いつきあいは、同じ私大文系クラスになった高三になっても続いた。 
 おれたちの通っていた高校は、いわば理系技術者養成学校のようなところで、文系、しかも私大志望は、「クズ」とみなされる。しかし私たちの方が、連中より、はるかに成績はよかったのだ。(理数をのぞけば、だが――) 
  おれは彼女にこういった。 
「理系の連中は世界の半分しか見ていないし、そのことに気づいてさえいない」 
「じゃあ、かまいちくんは世界の全部が見えるの?」 
と、あのくりくりした目で問いかけられた。 
「見えないが、見えるように努力はしてるんだよ」……、苦し紛れのガキの弁明だ。もっと気の利いたことが言えなかったのか…。 

 高三だから、進路を決めねばならぬときが来る。 
 彼女は、「かまいちくんと同じ大学・学部に行こうかな…」と、ぼそりと言った。 
 おれはうれしかった。が、すこしとまどってもいた。 
 すでに、おれは、(彼女には明かさなかったが)、いっぱしの<新左翼>だった。ある同盟とコンタクトもあった。大学に入ったらやることは決めていた。


 三里塚闘争だ。 

 思いあまって、こう彼女に告げた。 
「おれは、早稲田の政経に行く。愛ちゃん(愛子といった)は、政治や経済には興味ないだろ」 
「うん、ないなあ」 
「じゃあ、同じ大学なんだから、文学部を受けなよ。愛ちゃんは英語はもう大学生以上にできるんだから、フランス語やりなよ。第一文学部の仏文科だよ。おれも受けるからさあ」 
「うん。そうするね」 
 なんとあっさり決めてしまうことか。このお嬢様的天真爛漫さがたまらなくいとおしかった。 

 しかし、事態は暗転する。試験は水物。なんと、二人とも不合格だったのだ。 
 彼女は滑り止めに受験した青山学院文学部仏文科に合格し入学した。
 なんでも彼女の両親は、早稲田よりも、青山学院に合格したことに欣喜雀躍し「浪人は絶対に駄目」と言ったたそうだ。そういう時代でもあったし、貿易業を営む新興ブルジョア家庭の典型のような話だった。 
 かなしいけれど、これでお別れだな、そのときはおもった。
 
「愛ちゃん。おれ浪人するよ。そうして政治思想史やるよ」 
「マルヤママサオとかでしょ。『日本の思想』、現国で読まされたから知ってるよ。がんばってね、でも東京の大学にしてね。会えなくなると寂しいから…」 
「わかった」

 浪人中も青学そばにある宮益坂の喫茶店で会い、話をした。青学の仏文科の研究室も紹介してくれた。アンドレアという仏語講師にも紹介された。
 帰り途、渋谷駅の階段下の暗がりで、「小鳥のキス」をした。それが彼女とは、はじめてだった。 
  しかし、 浪人中に、おれ、彼女、「世情」との三つの関係をねじ曲げるような事件が起こったのだ。 
 関係を持ってきた同盟が、ある県のある施設を占拠・破壊し、使用不能に陥らせた。おれは興奮した。
 
 まさか、彼女にはそんなことは告げられない。

 実のところ、この事件は「義挙」であったかもしれないが、権力に対する、過激ではあるが、一過性の「一揆=暴力の噴出」でしかなかったのだ。だが、若いおれに与えた衝撃は計り知れないものがあった。 
 何しろ、国家が威信をかけて建設し(その土地は下総の百姓から強制的に収奪したものだ)、その「暴力装置」であるところの警察権力を総動員して守ってきた施設を、完膚無きまでに破壊し尽くしたのだから。十九歳の未熟なガキが興奮しないわけがない。 
 レーニンの「内乱から革命へ」というテーゼをまともに信奉していた十九歳のおれは、「革命へのプレリュード」としての「内乱」を予感した。今にしておもえば顔汗の至りだが、当時はそうおもっていたのだ。 

 もう、小ブルジョア令嬢との恋愛ごっこをやっている場合ではない。 
 彼女とは、つかず離れずで、徐々に遠ざかっていくくしかないな、とおもった。辛かったが…。 

*

 その年の四月、おれは大学生になった。早稲田政経はまたしても不合格。受験勉強よりも、マルクス主義やトロツキーの『ロシア革命史』などを「学習」していたのだから当たり前である。全国で上位だった模試の成績も目もあてられないほど下がっていた。
 マルクス主義は「試験に出ない」。
 それで、仕方なく、「政経」とはいっても、アホで有名な明治の政治経済学部政治学科に入学した。(ここの政治学科の学生の「真の優秀さ」を知るのは、もう少しあとのことになる) 

 入学後も学校には行かずに、三里塚で、一兵卒の仕事―「援農」を黙々とやっていた。団結小屋で劣悪なメシを食い、風呂もない最悪の条件の中で生きていた。機動隊や、ヤクザ連、右翼――には幸い襲撃されなかった。それは今にしておもえば―偶然だ。 

 そんなときも、実家に帰省したした際、彼女からは電話がよくかかってきた。どこの家にも、電話機がなぜか玄関にあった時代だ。携帯電話なんてものはもちろんない。 
  母が「愛ちゃんから電話よ~」と疲れて寝ているいるおれを呼んだ。 

「おれだよ。愛ちゃん」 
「ねえ、かまいちくん、こんどうちの学校に、A・Pマンディアルグが来て、講演をするのよ。テーマは「三島由紀夫とエロティシズム」よ。いっしょに聞きに行かない?」 
「『オートバイ』のマンディアルグか!」 
「そうよ。あのマンディアルグなのよ」 
「行くよ! そのあと時間はとれるかい? 話したいこともあるんだ」 
「うん、もちろん」 
「大学のそばでごはんが食べらるところ知っているかい」 
「うん、美味しいイタリアンのおみせとかはいっぱい知っているよ。表参道とかにね」 
 ちょっと、イラッときた…。 
「そんなところにはいきたくない。ふつうのみせでいいんだ!」 
「(ハッとした感じが息づかいでわかる)じゃあ、学食でいい?」 
「Too much」 
「わかった。じゃあ、正門前で五時に待っているね。松山さんと」 
「了解。行くよ。元気でね」 
「じゃあね」 

 A・Pマンディアルグは、三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』をフランス語で紹介した作家として、わが国では知られている。他に『オートバイ』、『大理石』で一部の熱狂的なファンを得ていた。現代(当時)フランス文学の旗手である。日本で得た人気は、生田耕作先生の名訳に負うところがおおきい。『オートバイ』は高校三年の時に読み、大いに感心し、彼女にも勧めた。この位のフランス語が読めるようになるといいな、などと話したものだ。
 そのマンディアルグが来日し、講演をするのだから彼女がおれに声をかけないはずがない。
 おまけに、いつ電話してもおれはいなかったのだし…。

 ところで、彼女が言った、「松山さん」と言うのが、のち作家となった松山理彩子さんである。 
 傑作、『或る修道女の遍歴時代』の、あの松山理彩子さんだ。 
 もちろん、彼女の紹介である。浪人中、青学の仏文研究室に連れていってもらったときのことだ。
 松山さんはすこし野暮ったいくらいふつうの女子学生だった。 
「このひと、かまいちくん。わたしの高校のときからのお友達なの」 
「かまいちです。はじめまして。よろしく」 
「松山です。よろしく。愛子からお話聞いていますよ」 
「ははは、そうですか…」 

 ほぼ、会話はそれだけだったように記憶している。 

 あんまりと言うか、全く興味はないようにみえた。 

 彼女は、松山さんとおれとの間のフランス文学についての会話を期待したようだったが、ランボーとかP・ニザンとかの話はもうあきあきだという風であった。 
 それを察したらしい彼女は、「じゃあ、かまいちくん、お先に失礼しましょう」とおれをうながし、正門を出て、宮益坂のいつもの喫茶店に入った。 

「彼女、いいひとなんだけど、ちょっと変わっているのよ。学年は私たちといっしょ。早熟な子でね。サドやジュネをフランス語で読みたいから入学したとか言っていたわ。わたしとはコンパのときなんか、もうべたべたになるくらい親密にしてくれるのにねぇ。あれはちょっと意外な反応だったなあ」 
「そっち方面は苦手なんだ。文学は「性」の問題からは逃れられないかもしれないけど、それはおれの志向するところではないんだなあ。あと、「性愛」の問題もからんでくるだろう。生身の女性の前でそういうことを、いくら文学の衣をまとって語ろうとしても、おれにはちょっと無理なんだなあ」 
「あはは、かまいちくん、てれてる」 
「よせやい! からかうなよ」 
「ごめん、ごめん。そういえば、彼女は小説を書いているのよ。文芸誌に応募するんですって」 
「へええ、凄いね」 
「その原稿を読ませてもらったの。ちょっとびっくりするような内容だったわ」 
「内容は読まなくてもすいそくできるという感じだね」 
「あはは、さすが、察しが早いわね」 

 彼女は天真爛漫によく笑う子だった。そこに育ちのよさを感じた。それがおれは好きだった。 

 翌年、松山さんの、その作品――『葬儀屋の日々』は、某有名文芸誌の新人賞を受賞。文字通り学生作家としてデビューする。 
 同時期、おれと同学部同学年の、「中沢けい」も『海を感じるとき』で『群像』新人賞を受賞し、デビューしていた。
 口さがないマスメディアは「女子大生作家ブーム」などとはやし立てたものだ。 
 田中康夫『なんとなく、クリスタル』はもう少しあとのことだ。 
 山田詠美や吉本ばななたちといった「本物」がデビューするのはもっと後年の話だ。いや、松山さんも「本物」だが、市場に与えた影響という点においてで、ある。 

 その後の、松山さんの作品を読んでみて欲しい。その<存在>と創作物の間のある種の乖離に、おれは呆然としてしまうのだ。ひとことで言って、異常な性愛の世界を表現の主戦場としている。バタイユ(ジュネ?)的エロス、と言うか、第二の倉橋由美子と言うか、とにかく彼女は作品の中ではノーマルな男女の性愛の世界に安住していない。たえずそれらの構造に対して、疑問を投げかけ、ときにはそれを暴力的に破壊しようとしている。 
 青学の仏文研究室で紹介されたちょうど一年後のマンディアルグの講演会の時点で、おれはすでに彼女の受賞作を読んでいた。 

*

 講演会の日が来た。

 そのころのおれの日常的な服装と言ったら――最低だった。ボロボロの黒いジーンズに泥だらけのスニーカー。煮しめたようなシャツ。三里塚ではそれが当たり前だった。
 そのままの格好で参上して、彼女に実情を告げるという選択肢もあったが、おれの美学がそれを許さなかった。と言ってもファッションセンスなど皆目持ち合わせていない。だから当日は、馬鹿の一つ覚え―グレーのスラックス、白いボタンダウンのシャツ、リーガルのコインローファーという、おれとしては最上の格好で待ち合わせ場所に向かった。

 青学正門前。

 彼女はすでに待っていた。女性というものはかならずといってよいくらい、待ち合わせに遅れるものだが、彼女はいつも、時刻を正確に守った。
 おれを視界に認めると、片手をあげ、微笑を浮かべながら、
「ボンジュール、かまいちくん。あ、もう、ボンソワールか、あはは」
といった。
 おれは彼女を一瞥し、その<美しさ>に息をのんだ。
 ファッションのことはわからない。だからそのときの彼女の格好を表現できぬのがもどかしい。とにかく、決して派手ではない。もちろん下卑てもいない。控えめだが、極めて上品な趣味のよさ(それが本物の上品さであるかのような)を漂わせていた。おまけにうっすらと化粧をしていた。それがいっそう彼女のキュートさを引き立てていた。

 急速に、<決意>が鈍ってゆくのを感じた。

 ちょうど夕暮れれどきである。
 Thelonious Monkの"Crepuscule with Nellie"という曲をとっさにおもった。あの硬質だが、あたたかいピアノのメロディがおれの頭の中で鳴った。
 "Crepuscule with aiko"―彼女と過ごす薄暮のとき、を想像して、目眩がしたことを覚えている。眩暈と言ってもいい。

「久しぶりだね。元気だった」
「うん、サヴァ・ビァン、あはは」
「あれ、松山さんといっしょって言ってなかった?」
「うん、彼女都合が悪いんだって。とりあえずまだ一時間近く余裕があるから、お茶でも飲まない?」
「OK。ここには素敵なキャフェ・テリアがあったね」

 キャフェ・テリアまでは、歩いて五分といったところか。おれは彼女と並んで歩いた。
 テニスラケットを持った男たちが沢山いた。(おれの記憶では)そのすべてが彼女に見とれているのがわかった。中にはあからさまに好色な視線を送って来る奴もいた。
 おれはすこし得意になったが、おれの中で、そういう男どもを思想的に嫌悪する新左翼の「狂犬」の目が出てしまった。
 連中を(決して彼女からは見えないように)、「狂犬」の目で睨みつけた。
 男どもはそんな「凶状持ち」の視線など、浴びたことがないのだろう。皆、退散していった。おれは、内心で毒づいた。(てめーら、大学レジャーランドとか浮かれやがって。愛子に指一本でも触れてみやがれ。鉄パイプが顔面にめり込むぜ)――品のないこと、はなはだしい―反省ではあるが…。
 
 キャフェ・テリアのカウンターでコーヒーをふたつ注文し、代金を払い、トレーを持って彼女が席取りをしてくれている場所まで歩いた。
「はい二百円。わたしのぶん」
「はいよ。しかし、オシャレだなあ、ここ。おれの学校なんて最悪だぜ。ビールや焼酎が当たり前においてあって、昼間から泥酔してる奴らがごろごろいるんだぜ。一度愛ちゃんに見せたいくらいだよ」
「うふふ、ワイルドでいいじゃない。でもね、かまいちくん、そんなこと言うけど、附属の中学・高校のラウンジなんてこんなもんじゃないのよ。真っ白のテーブルクロスが掛けてあって、その上には一輪さしのお花がかざってあるんだから。まるでフレンチ・レストラン並みなのよ」
「へええ…。身分の差を感じるなあ」
「あはは、かまいちくんたら、おおげさだなあ」

 とりとめのない会話のあと、彼女はこう切り出した。

「松山さんのことだけど…、かまいちくんと会いたくないらしいの。彼女、今日のマンディアルグにはちゃんと参加するのよ。お友達といっしょに」
「あれ、初対面のとき、おれ、何か失礼なこと言ったかなあ。でも、あいさつしただけだもんなあ」
「彼女の受賞作読んだ?」
「ああ、読んだよ。凄いね、表現の多彩さに目をみはったよ。えらいことだよ、大学二年で作家デビューなんて。おれなんて文学廃業だよっておもうよ」

 頭の中で、どこかの回路がつながった。
 つまり、合点が言った。
 その作品には、あるアブノーマルな「性」が描かれていた。「愛」についてはどうかと問われても、おれはいまだに答えることができない。
 私小説でもない限り、作者とその創作物は「運命を供にしない」(レーニン)はずである。しかし、こと純文学作品において、インモラルな「性」を描くということは―これ以上、多弁は要しないだろう。

「愛ちゃん。わかったよ。ずいぶん前に言ったろう。おれの苦手な分野だ。困ったなあ。これ以上何か言いたいことはあるかい」
「仏文科のコンパのとき、彼女に耳たぶをかじられたの…」
「………」
「彼女、酔ってたから、ふざけているのかなあって…。でも、よくよくこれまでのこと思い出してみると、彼女、男性とは用件以外の話を一切しないのよ」

 意外な話の連続で、おれの頭は混乱していたが、ふとひらめくことがあった。思い切って彼女にこう告げた。

「愛ちゃん。いつも今日のような格好をしているのかい?」
「ううん。ちがう。だって、今日は特別な日だもの」

 特別な日、トクベツナヒ。
 おれはすべてを了解した。
 彼女はある「訣別」のために自らを演出したのだ。その「訣別」はもしかしたら「祝福」をも伴うものであったかもしれない。そして、それを実現させるためには、おれという「男」が必要だったのだ。
 頭が真っ白になった。だが、それは彼女には隠しておこう。

「そう…。愛ちゃん、今日の愛ちゃん、きれいだ、ほんとうにきれいだ」
「かまいちくん…。ありがとう。うれしいわ」
「そろそろ、開演じゃないか。ここは出よう」
「そうね、いきましょう」

 講演会場の青学会館まで、二人で歩いた。

*

 会場ロビーはひとであふれていた。初来日だったかどうかはわからないが、まあ「関係者」総動員という感じがした。仏文業界の、ある種のいやらしい「きどり」と「スノビズム」のにおいがした。このジャンルに身をおくことがなくてよかったと心底おもった。
 ロビーで受付をすますと彼女は言った。
「かまいちくん、右手をだして」
「?」
 いわれたとおりに右手をだすと、彼女はじぶんの両腕をまきつけてきた。自然、身体はおれに密着する。
「愛ちゃん、どうしたんだい。こんなところで。よせよ…」
「いいの。お願い。このままにして」
「でも…、こんな状態だと、おれでも理性が飛んでしまうときがあるんだぜ」
「わかってる。いいの」
 小柄な彼女は、長身のおれの胸もとに顔をうずめる格好になる。これでは、熱愛カップルだ。そのまま、おれが彼女を誘導するように客席まで歩いた。会場はコンサートホール形式で、客席から演壇へと傾斜していた。
 一階席のまん中よりやや右よりの席におれたちは座った。まだ彼女は腕をほどかない。顔はおれの胸にうずめたままだ。ときおり顔をあげ、あのおおきな目で<何か>を探していた。<それ>がなんであるか、よくわかっているだけに、おれはやりきれなかった。

 会場の照明が徐々に暗くなる。
 講演が始まった。

 仏文科の教師がマンディアルグの経歴を紹介したのち、本人が登場した。教師は、講演内容を一パラグラフごと(各々五分ほど)通訳すると伝えた。
 このときばかりは、彼女はおれから身体をはなし、ノートを取り出して、マンディアルグの話を聞く態勢になった。相変わらず勉強熱心な子だと感心した。彼女はマンディアルグの発するフランス語を、完全に聞き取り理解しようとしているのだなとおもった。いかに彼女が語学の秀才だとしても、入学一年半でここまで来るには相当な努力があったであろうことがうかがえる。その間、おれは――三里塚で土をいじっていただけだ…。
 そんな彼女とはうらはらに、おれは、教師の通訳が、まともな日本語でわかりやすくあるべきことを念じていた。
 実は、その直前の彼女との出来事をおもえば、それどころではなかったのだが…。
 マンディアルグが語りはじめた。

 当時のメモが散逸してしまったので、ここにその内容を紹介できないのが残念だ。しかし、実のところ、その内容は、ごくありきたりの「文学とエロティシズム」という領域から逸脱するものではなかったように記憶している。その一般論に、これまたありきたりの「ミシマ」のフレイヴァーをまぶしただけというものだった。(そういえば、愛子と三島のことは話したことがなかったなあ。今夜聞いてみようかな…)などと考えた。
 絶対に感想を彼女に求められるから、あらかじめ第一声は決めておこう。
 (まあまあだったね)

 マンディアルグが講演を終えた。
 拍手―照明が点灯される。

「かまいちくん。右手」
 彼女は執拗に求めてくる。
「わかった。でも恥ずかしいよ。ところで、お捜し物はみつかりましたか?」
「おかしいなあ、Sクラス(仏文科のクラス名)のみんなで来ると言ってたんだけどなあ。でも、あの内容ではねえ…。敏感な子だから、事前に察知したのかもね。マンディアルグじゃ物足りないのかもね。でも、かまいちくん、ちょっと今一つだったよね」
 おれの感想を述べずにすんでよかった。彼女も同じ感想だったのだ。話題を転換することにした。
「腹へった。ビールが飲みたい」
「ふふ。学食はもうやっていないよ」
 迂闊だった。もう八時過ぎだ。夜間部のある明治の感覚だと、まだ宵の口だが、青学には夜間部はないのだった。完全に謀られた!
「やってくれたな」
「いいじゃない。わたしの知っているお店に行きましょ」
「愛ちゃん、おれ、そんなにお金持っていないんだよ。渋谷の居酒屋じゃだめかい?」
「だめ。お金はわたしが出します」
「しかし…」
「かまいちくんは、わたしが日頃どういうお店に出入りしているか興味ない?」
 当時のおれからしたら、興味はない、というしかない。しかしそんなことはいえない。
「わかった。じゃあ、エスコートよろしくお願いしますね」

 表参道は、街路のイルミネーションが、息を呑むくらい綺麗だった。うっそうとしたポ
プラ(?)並木のあいだを高級外車が次々と通り過ぎる。当時のおれは、この繁栄の景色をある種の嫌悪をもってしてしかみることができなかった。
 Ornette Coleman "Civilization Day"という曲をおもいだした。
 当日は曇天で、今にもふりだしそうだったが、遠雷の後、はたして雨がふってきた。
「あら、雨ね。傘はある?」
「ありまっせえ。おれは用意がいいんだよ」
 左手で傘を持ち、右側の彼女を護る。密着は継続中だ。
「なんだか、荒井由美の『雨の街を』みたいね」
 たしかにそうかもしれない―こんな歌詞だ。

 ♪だれか やさしく わたしの 肩を抱いてくれたら どこまでも遠いところへ あるいてゆけそう…

 荒井由美のデヴュー当時から、茅ヶ崎のおんなのこたちは、その音楽と歌詞に自分を仮託していた。おそらくこの国で最初に荒井由美を評価したのは彼女たちだったといってもいい。不安定で毀れそうな自我、恋愛への淡い憧憬とその挫折へのおそれ。十代の、ガラス細工のような少女の心情を、彼女たちは荒井由美のうたに、いち早く感じとっていた。

「そうだな。でも、そういうセンチメンタリズム、今のおれはキライだよ」
「知ってるよ。かまいちくんの心情。まあ、つもるはなしは飲んでから。さあ、はいった、はいった! キャハハ」

 表参道路地裏のイタリアンレストラン。名前は記憶していない。彼女は常連のようだった。ボ―イの応対でそれがわかる。
「こんばんは。今日はこのひととふたりです。お願いします」
 ボーイが席へ案内してくれる。
 気後れしそうになったが、地元鵠沼海岸沿いのイタリアンならよく知っている。あれと同じだと、思い込むことにした。酒を飲んでしまえば構えもほぐれる。
 ただ、「終電」の時刻だけは気にしなければならない。彼女は今夜やけにハイだ。無理もないのだが…。
 おれはみどりいろのビンに入った、オランダのビールを注文し、彼女は赤ワインのフルボトルを注文した。キャンティ・クラシコだ。
 乾杯したらひといきつくことができた。アルコールが徐々に緊張を解きほぐしてくれる。
 彼女がみつくろってくれた料理がきた。三里塚で雑炊と大鍋のカレー、それに意味不明の「団結鍋」などを食べてきたおれは少々はしたないくらい、それらのイタリア料理をむさぼり食った。
 イタリア料理は、種々のパスタとチーズ、良質のトマトとオリーブ(オイル)があればなんとか家庭でも再現可能だと誰かが書いていたが、まさにその通りである。まだまだイタリア料理がこの国では一般的ではない時代であったが(パスタとケチャップをフライパンで炒めたものが、「スパゲッティ・ナポリタン」と称されて街の喫茶店で供されていた、そんな時代だ)、さすがに表参道周辺では本格的なイタリア料理をおしゃれな若者(とくに女の子)向けに提供していたのだ。
「ちょっと。いやあねえ。どうしたの? その食欲」
「いやあ、ごめん。ここのところろくなものを食べていなくてね。特に動物性タンパクに飢えているんだ。愛ちゃんのおごりだと聞いたもんだから、気がおおきくなってね。はは」
「鎌倉のおうちから学校に通ってないの?」
「うん。いろいろあってね。実家を行ったり来たりなんだよ」
「アルバイト?」
 アルバイト――まあそのようなものだ。まだ、真実を告げるにはアルコールが足りない。「まあね。それより、そのキャンティ・クラシコ、おれにも下さい」
「はいどうぞ。どう? ここのお料理」
「十分すぎるほどおいしいよ。お友達と来るのかい?」
「うん。仏文のお友達とよくここでコンパをするの」
「おれら貧乏学生とは大違いだな」
「そんなことばっかりいって、ひがまないの。そういえば、かまいちくんのお母さま、イタリア料理がお上手ね。とってもおいしかったわよ」
 警棒で脳天を一撃されたような衝撃が走った。
「なんだって。そりゃ一体どういうことだい!」
「いつ電話しても、かまいちくんいないものだから、一か月前の土曜日、鎌倉のおうちを訪ねたの。キコちゃん、お母さまが歓迎して下さって、ごちそうにもなっちゃったのよ」
(キコというのは、いもうとの名だ。当時中学三年生だった)
「………!」(言葉がでない)
「お仕事を終えたお父様も書斎から降りて来られて、みんなで楽しくお話ししたわ。わたしが、フランス語を勉強していることにお父様とっても喜ばれて、いろいろと貴重なアドヴァイスをいただいたわ。さすがね、お父様」
「いや、参ったね。ひとこといってくれればいいのに。あ、家の奴らに口止めをお願いしたんだろう」
「ふふ、そうよ。かまいちくんおこると思ってね」
「おこりはしないけど…、水くさいじゃないか」
「それでね、お料理のお手伝いをしていたら、ふとあき時間ができたの。そうしたら、キコちゃんがね、『兄の部屋ご覧になりますか? 最低ですけど』といってくれたの」
「なんだと!」
「これは面白い! と思ったので案内してもらちゃった。アハハ」
 と、彼女は相変わらず屈託がない。
 二十歳のガキの未整理の部屋にガールフレンドが入る。しかも当事者抜きで。気絶するほどのことだ。急速にアルコールが廻ってきた。おれを見せ物にして笑っている家族を恨んだ(そういう露悪的なことが大好きな連中なのだ)。エロ本――大丈夫(なはず)だ。アジビラ――あんなもの街中どこにでも散乱している。問題は――トロツキー先生のポスターだ。「暗殺一週間前。なお議論するトロツキー」のキャプション入りだ。
 万事休す…。

「かまいちくんは、やっぱり沢山の本を持っているのねえ。あのおうちはどこも本で一杯だけどね…。梶井と太宰、朔太郎を特別の場所に置いているでしょう。印象的だったわ。男の子のお部屋にしては良く片付いていたわよ。そんなに恥ずかしがることないわよ」

 きっと、キコが片付けてくれたのだ。山盛りの灰皿。焼酎の空き瓶。汚れた下着やタオル…。しばらくいもうとにあたまがあがらない。

「かまいちくん。レオン・トロツキーとクラウディア・カルディナーレの写真を貼ってたでしょう。(ギクッ)どちらもいい写真だね。カルディナーレのほうは同性だから、ちょっと嫉妬をおぼえたわよ。あの美しさは、ちょっとないわよねえ…」
「あれは、ルキノ・ビスコンティの映画、『山猫』のスチール写真でしてね、オヤジがパンフに評論を書いたので、そのお礼に映画会社がおくってくれたものなんです」
「ああそう。いいわねえ。いいご家庭よ。かまいちくん。いいご家庭にうまれてよかったわね」
「そういうものでもないかとおもいますが。いまはもういいです」
「それでね。そのあとお宅の応接間でキコちゃんとピアノを弾いたの。かまいちくん自作のオーディオシステムもみせてもらったわ。かまいちくんがいないと操作できないんだそうね。沢山のジャズのレコード、聴けなくて残念だったわ」
「はいはい」
「キコちゃん、ピアノ上手ねえ。エヴァンスの"Waltz for Debby"のコピー譜をすらすら弾くのよ。マイルスの"So What"のイントロ部分なんかも弾いてたわ」
「それは、私が教えたんです。それで、愛ちゃんは何を弾いたの?」
「わたしは、やっぱり、荒井由美。あ、今は松任谷由実か。でもいやになっちゃった。キコちゃんが『そこはこうした方がかっこいいですよ』といって押さえたコードが、本当に最高にかっこいいのよ。矢野顕子のピアノを思いだしたわ。中学三年で凄いなと思ったわ」
(ボーイに)「すみませーん。白ワイン下さい。銘柄はわかりませんが、『ピノ・ノワール』を使った比較的廉価なやつなら何でもいいです」
(笑いながら)「もう、ひとのおごりだとおもって」
「だって、今日の愛ちゃん、仕掛けが多いんだもの。ボク、翻弄されまくりですよー」
 ちょっと酔ってきた…。
 話題が、「音楽」に移った。よし、今日はややこしい話はなしにしよう。彼女と過ごせるのはもうわずかしかない。それまではこの二人きりの空間(当時の言葉でいえば「対幻想」)を大切にしよう、と思った。

 来週には「国際反戦デー」も、ひかえているのだ。

 しかし、彼女の行動力には驚かせられる。もともと、おんなのこどうしで群れることを嫌い、まったく物おじしない子だったことはおれもよく知っている。おれの不在中に実家を訪れ、家族とすっかり仲良くなってしまうその外交手腕…。人嫌いのおれには絶対できない芸当だ。真の「育ちの良さ」というものはかくも天真爛漫~天衣無縫な女の子を創造するのか…。「階級」とか「家柄」なんてことばは使いたくない。なんの抑圧も受けず、頭も良く、両親に愛されて育ったのだということは十分に理解できる。だからこそ、新左翼の狂犬なんかといては人生が狂うのだなあ。と、これはその時かんがえたこと。
 この一連のできごと、<からめ手から外堀を埋められてゆく豊臣方>――笑、という感じも持った。おれから見れば、料理を手伝い、夕食を共にし、すっかりその場に溶け込んでしまったという事実に、正直巧妙な<戦略>を感じてしまう。意識的であれ、無意識下の行動であれ、<戦略>は<戦略>なのだ。
――おれは、はたして、彼女を拘束していたのだろうかと、ふと思う。そんなことはない。思想的に絶対にない。だが、主観的にはそうであっても、関係を続けている限り、無意識的な相互拘束関係の状態にあったのかもしれない。俗にいう「ある一線」を超えていなくても、そのような状態は生じうるのだ。それはおれたちの現状が証明している。
――アルコールの廻った頭でそのようなことを考えているうちに、だんだん面倒くさくなってきた――すべてが。
 そこで、おれの性癖の中でも最悪のものが出た。それは「ややこしいことは先送り」という精神的態度に出ることだ。
(今夜はもうやめ! 一切やめ! 終電までの時間、彼女と楽しくすごそう。決定!)

「関係の絶対性…」
 唐突に彼女がつぶやいたので、この<決定>はいとも簡単にくつがえされた。クソ、きょうはいったいどうしたんだ!
「吉本の『マチウ書試論』だね。たしか愛ちゃんが大学一年生の時に貸したね」
「そう、『芸術的抵抗と挫折』ね。かまいちくんから借りたわ。一度読んだけではわからなかった。でも何か気になってしかたなったので、買っちゃった」
「ありゃ、そうかい」
「で、何度も読み返すうちに。うっすらとわかってきたものがあるの。それはね。ひとは何かをなそうとするとき、直面する壁がある。それは<倫理性>という壁なの。その壁を乗りこえるには<関係の絶対性>という視点を据えない限りダメだ、と吉本さんはいうのね」
「そうらね(酔ってる)。極めて恣意的な解釈を招く、『関係の絶対性』という言葉だけど、おれも愛ちゃんと同じように読んだよ」
 こういうときにこういう話はしたくないのだが、もうダメだ!
「どうして、人は行動や思想を<倫理>という規範に押しこめようとするのか。とっても文学的な問いだと思うの。今日のマンディアルグの話なんか、<倫理>を超越しちゃっているところから、論を始めるでしょう。何だかなあって。どうやって超越したのか、超越できるのか、って…その思考プロセスを示してくれないとわからないわよ。サドとかマゾとかいったってね。松山さんの思想もそう! って思ったわよ。それでね、わたしと<それ以外の世界>との関係を考えていたの。いろんな関係があるわね。その中で、どれが<絶対的>であるか、ないかを見極めないといけないと思ってね」
「そりゃあ、愛ちゃん、大変な作業だ!」
「ううん。そうでもないわ。ヒントになったのは、学校での『キリスト教神学特講』という授業だったわ。そこで、マルティン・ブーバー『我と汝』のことを教わったの」
「有名な本だね。でも、それはおれは未読だよ」

 こういう話は大好きだからついつい引き込まれてしまう。解説させていただくと、高校三年のころからおれと彼女は、こういった問題に関して、議論を重ねてきた。いかにも文学・思想青年同士の関係だと嘲笑しないでほしい。
 右の対話を読まれて、何でこんな形而上学的な議論が始まるのだと奇異に思われたかもしれないが、これはおれと彼女の間ではいつものことだったのだ。むしろ、これまでの様々の事象が、常ならざる事態であったのだ。
 やっと、通常の状態に戻ったと少しほっとしたのもつかのま――もしかしたら、核心に迫る話が飛び出すかもしれない。おれは酔ったアタマをめぐらし、応戦するしかない。誰だ、今日はもう止め! などといったのは――おれだ…。
 彼女は、ブーバー読後の興奮を伝える。
「『我と汝』によるとね、ひとの世界に対する態度は<われ――それ>と<われ――なんじ>の二つの関係性に集約されるというのよ」
「おろろいたね(酔ってる)。吉本の『共同幻想論』まで、あと一歩じゃありませんか。たしか、ブーバーは今世紀初頭の人だろ?」
「そうよ。でも。このことば、対幻想論まであと一歩よ。っていうか、ほとんど対幻想論なのよ」
「<われ――なんじ>かぁ…」
「それでね、<われ――それ>の関係だけど、これはわたしが外界に対して抱いているイメージのぜんぶのことよね。でもね、よく考えてみると、外界はわたしのことをイメージしてくれないのよ。当たり前のことかもしれないけど、このことに気づいた時は少し悲しかったわ。でね、<われ―なんじ>は、その逆で、濃密な相互の関係性のことだわ」
「うーん。どういう関係かな。少なくとも、<社会と個人>じゃないな…。」
「そう、わたしと、いつまでもぐずぐずしているかまいちくんとのこと! わたしはもう知ってるんだからね」
 来た! 覚悟はしていたが、彼女も、キャンティ・クラシコのフルボトルをほぼひとりであけて酔ったようだ。これはいかにも不利だ。

「知ってるんだからって………」
「学生運動、やってるんでしょ!」
 ついに、本日のメイン・テーマに到達してしまった。おおかた、家の奴らに聞いたのだろうと思っていたので覚悟はしていた。しかし事実はおもいもよらぬものだった。
「愛ちゃん。だまっていたことは悪かったと思う。おれが大学に入ったあと、あまりあえなかったことも。いいあぐねていたんだ。だって、愛ちゃんは、まったくそういうことと異なる環境にいるだろう?」
「松山さんから聞いたの」
 と、彼女はいった。驚くと同時に、やはりな、思った。
「彼女、わたしとかまいちくんが仲よくしていることが、面白くないらしいのよ。こんなこといったらかまいちくん気を悪くすると思っていままでだまっていたけど、やっというチャンスがきたわ ―― 一年前、研究室で彼女を紹介したでしょ。あの翌日、彼女にこういわれたの」
「え…、何て?」
「文学青年の衣をまとった<過激派>だって。かまいちくんの目を見てすぐにわかったとも言ってたわ。わたしもまきこまれるから、つきあわない方がいいとまでいわれたのよ」
「さすがに小説家は観察眼が鋭いね、といっておこう。しかし<過激派>とは心外だな。最も使ってほしくない言葉だ」
「わたし、そのときはよくわからなかったけど、気分は悪かったわよ。だから今日は彼女に見せつけてやろうと思ってね。かまいちくんとの関係の絶対性をね」
「……それは、ちょっと言葉の使い方を間違えてるんじゃないかい……」
 彼女が語り始めた。
 松山さんは大学に入学後、数歳年上の早稲田の元全共闘の男にもてあそばれ、身も心も大変傷つけられるという経験をしていた。女性を手段としか考えない、前近代的な価値観をもった奴が、反体制を気取る。おれの最も嫌う人間類型だ。
 深く傷ついた松山さんは、それ以来<過激派>というものを嫌悪するようになったというのだ。おれからみれば、余りにも短絡的な思考…。そうもいっていられない。たしかに、そういう奴はたくさんいた。特に文学部に多かった。文学上の<悩み>相談という形で女性に接近し、隙あらば「寝技」に持ち込もうとする輩だ。
 上京直後の松山さんは、そんな男がいることなど思いもよらなかったのだろう。そんな男はデモ一つ参加せず、卒業後のうのうとサラリーマンなどをやっているのだ。要するに女(すけ)こましだ。いつかそんな女(すけ)こましに出会ったときは、そいつの顔面にレンガをたたき込んでやろうとおれは決めた。
「そんな低劣な人間と同じにみられていたのか! 面白くないなあ」
 酔いも醒めてくる。
「彼女のル・サンチマンは深いわ。それは認める。でも、わたしとかまいちくんのことにまで介入するのは行き過ぎだわ。わたしは幸い、かまいちくんに護られてそういう目にあっていないわ。かまいちくんには感謝しなければならないわね」
「そうはいっても、月に一度会えるか会えないかだろう…。申し訳なく思っているよ」
「でもね、かまいちくんに護られていると思えば、そんなひとはよってこないのよ。かまいちくんは霊験あらたかな<お守り>なのよ。ふふ」
「愛ちゃん。これから、もっと会えなくなるかもしれないんだ」
「かまいちくん。いったいどこで、何をしているの? おうちにも帰らないというし、なにかあぶないことに関わっているの?」
 彼女はあの大きな目を見開いていった。
「…ごめん、いえないんだ」
「これだけはわかってちょうだい。わたしは、かまいちくんが政治運動をしていることに、何の否定的な思いは持っていないのよ。かまいちくんが信じてやっているんだから、おかしな――不正義なことではない。そうでなければわたし、吉本の本を買ってまで読んだりしないわ。左翼の運動にはむしろシンパシーを覚えるわ」
 意外だった。が、すこしうれしかった。
 しかし、彼女は真剣なまなざしで、こういった。
「でも、でも、わたしの考えていることが当たっていたら…」
 彼女は涙をぽろぽろと流した。涙がスカートのうえにしみをつくる。
「かまいちくん。死なないで」 
と、彼女はいった。おれはその当時抱いていた、ある<決意>の核心をつかれた、と思った。 
 まだ、三島のあの割腹から六年、連赤の軽井沢事件から五年、東アジア反日武装戦線のあの事件から三年、日赤のダッカの衝撃から二年しかたっていない。そうして、バカな新左翼党派同士の内ゲバはますます激化していた。内ゲバで、死ななくていい人々が何人死んだのか…。 
 そのことは彼女も、同時代者として、<わかって>いたのだ。それはそうだ。おれとつきあっていたのだから。おれはそのことにあえて無意識を装っていたのだといわざるをえない。 
 おれは、彼女にこう告げた。 
「死にはしないさ。死ぬつもりは全くないよ。安心してくれ。ただし、ひとつだけいっておく。おれたちは、権力への異議申し立てのなかで、<殺される>こともあるんだ」 
「かまいちくん! それだけはやめて! お願いよ」 
 彼女は号泣する。しかし大きな泣き声はださない。下を向いて大量のなみだをながすのみだ。落ちたなみだは彼女のひざ元へ……。おそらく高価なスカートだろう…。台無しだ。せっかくのお化粧も…。 

「愛ちゃん! 聞いてくれ。確かに仲間も殺されている。機動隊にね。でも、それを間接的にでも見た、また知った人々が憤激しておれたちの陣営についてくれる。その人々の数が増える。そして、いつか圧倒的な<人の海>が<街頭に出て>権力に異議を申し立てる。1968パリの<五月革命>を想起してくれ。ああなるなることを念じておれはやっているのだよ。やましいところはなにもない。わかってほしい。やられる確率はひくい。安心してくれ。おれは、愛ちゃんが思っている以上に卑怯者だ。いざとなったら逃亡するさ。なにしろ『軟弱湘南ボーイ』って仲間から嘲笑されているんだからな、ははは」 
「本当なのね! 信じていいのね」 
「うん。信じてくれ。ただ、さっきもいったように、これまで以上に会えなくなるかもしれない。だから連絡はする。きみの家に電話する。それがかなわぬときは、手紙を書く。そこでコンタクトの方法や、空いている日を知らせる。お願いだ。信じてくれよ」 

 彼女は、お化粧が涙に流されて…目の回りがタヌキのようだ…。さしもの美貌も台無しだ。だいぶ以前、きみにはまだ化粧は不要だよ、十分素のままでいいんだよ、と言ったのに…。三月末生まれの彼女は、まだ当時十九歳だった。化粧など一切必要のない年齢だ。

「……わかったわ。わたしからは連絡できないのね」 
「鎌倉のいえに電話してくれ。母たちに無事を知らせるために、不定期だけど連絡はしているんだ。家の奴らに伝言しておいてくれ。奴らと仲良くなってくれていてよかったと、今さらながら思うよ」 
「うん……」―嗚咽が少しおさまったようだ。 
 時計は十時半を廻ろうとしていた。いかん、終電だ。 
「ああ、もうこんな時刻じゃないか。ここは出よう。茅ヶ崎のおうちまで送って行くよ。今日は本当にごちそうさま。おいしかったよ」 
「……うん、わかった…」 
 彼女は、ボーイを呼び、会計を依頼し、一枚のカードを渡した。 
 ダイナーズだ! 
「凄いカードを持っているね。それ、おいそれと入会させてもらえないんで有名なんだよな」 
「パパが会員なの。大学生になった時にわたしにも『家族カード』を作ってくれたの」 

 彼女は化粧なおしに洗面台に立った。あれだけ泣いたのだから当たり前だろう。 
 おれは、その隙にこっそりボーイに近づき、今日の会計総額を聞いた。 
 二人で二万円を軽く超えていた。新宿の「しょんべん横丁」なら十回以上、死ぬほど飲める金額だ。昭和五十年代の二万円である。 

 文字通り、<階級>のちがいを感じた。今後のおれと彼女の関係を案じた。 

 店のそとにでると、雨は小ぶりになっていた。だが、遠雷がまだとおくできこえた。 
「さてと、雨だね。愛ちゃんの傘はお店が貸してくれたんで、よかったけど、雨の中あんまり歩きたくないね。渋谷と原宿、どちらが近いかな」 
(タヌキ顔から復活した彼女)「ここなら、渋谷ね」 
「よし! 渋谷まで歩くぞ」 
「かまいちくん」 
「なに?」 
「オカリナ、吹いて!」 

 木管楽器愛好者であるおれは、オカリナと竹笛に執着していた。これでも、けっこう名手だったのだ…。 
 とくにオカリナは、手のひらに入るコンパクトさと、価格、そのものさみしい音色、運指の容易さ、で大好きな楽器だった。おれはどこに行くにもこのオカリナをカバンにしのばせていた。彼女とのデートでも。もちろん三里塚でも。 

「いいけど、この雨だよ。片手では吹けないなあ……」 
「わたしが傘をもってあげるから、吹いて!」
 
 彼女はおれの傘をもってくれる。小柄な彼女は手をほとんど真上にかかげるようにしないと、おれの頭上に傘をかざすことができない。 
 ちいさいんだな、とおもった。おんなのこのちいささを思うのはそれが始めてだったかもしれない。 
 おれはカバンから、オカリナを取り出した。 

「はいはい、王女様つきの楽士でございます。して、何を所望でございますか?」 
「オーネットの『ロンリー・ウーマン』よ。楽士さん!」 
「げっ! ごめん、それは無理だよ。あのオフピッチの音程はオカリナでは無理だよ」 
 "Lonely Woman"――なんて微妙なリクエストだろう。 
「じゃあ、『ラウンド・ミッドナイト』!」 
 また、難しい曲を…。音楽で女性をたぶらかす、これでは「女(すけ)こまし」ではないか!
「なんだか難しい曲ばかりリクエストされますな。やってみるよ」
 
 "Round Midnight"はThelonious Monkの作品で、モダンジャズの最高の名曲のひとつに数えられる。マイルスのミュート・トランペットの演奏で有名だ。なぜかマイルス版は
"Round about Midnight"と"about"が入る…。なんなんだろう? 
 青山通りに至る裏道で、オカリナの必要以上にもの哀しい音がながれる。雨にぬれた真夜中のアスファルトに「あのメロディ」が浸透してゆく。この時はじぶんでもびっくりするくらいうまく吹くことができた。 
 たったひとりの、オーディエンスから拍手。そのオーディエンスは相当酔っている。 
「キャー! うまい、うまい! 次は『ヒアズ・ザット・レイニィ・ディ』を吹いて!」 
 ほめられると調子にのるのがジャズ関係者の欠点だ。 
 気持ちよくオカリナを吹いているうちに時間は刻々と過ぎてゆく。 
 バカなおれはようやく気づいた。 
 彼女は今夜、帰る気がないのだ。

 おれは、渋谷駅までの道を急ぐ。彼女はうつむき加減にオレの横を歩く。雨は少し小降りになったようだが、 空はゴロゴロとした音で一杯だった。
 急に彼女がいとおしく感じられて、彼女の肩を抱いた。もちろん彼女が拒むわけはない。おれの胸に顔をうずめてくる。
 そのとき、もの凄い閃光がおれたちをつつんだ。
「何だ? 今のは…。凄いな」
「怖い!」
 その数秒後、艦砲射撃のような「ドーン」という腹に来る轟音が来た。
 ものすごい落雷だ。
 彼女はおれにきつく抱きついてきた。まるで、かみなりさまをこわがる、幼いこどものようだった。
 いやな予感がした。まさかこの近くの国鉄の変電所に落雷したのではないか。それなら、電車は止まる。
「愛ちゃん。急ごう! 電車が止まるかもしれない」
「いいわよ。止まったって」
「………」
「これで、明日の朝までいっしょにいられる」
「こんなに場当たり的な情況で、きみをどうこうするわけにはいかないんだ」

 当時のおれは純真だった。というよりも、彼女とはこういう情況で、そういう関係になることを厳しく自分に禁じていた。その後のおれなら、この千載一遇のチャンスを逃しはしなかったのだが…。女性に恥をかかせるよりも自分の美学を護ることの方が大事だったのだ。

「なによ。それ! はらがたつなあ! かまいちのこしぬけ!」

 もともと彼女は、一人っ子のお嬢様だから気が強い。しかも相当酔っている。
 そんな彼女をなだめすかしながら、宮益坂をくだり、ようやく東急文化会館横の陸橋までたどり着いた。ここからは屋根の下、渋谷駅までぬれずにいける。
 渋谷駅。アナウンスが流れている。「さきほどの落雷による一部停電のため、現在東海道線、横須賀線、京浜東北線は運転を見合わせております」
 当然、湘南電車は走らない。酔客が怒号を発している。
 上尾駅の暴動が数年前に起こったことは知っている。動労・国労の順法闘争による、遅延・運休が原因だった。しかし未組織の暴力は単なる破壊行為で終わり、あとにはなにも残らないことをおれは知っていた。だから、この不穏な雰囲気に、(新左翼として)なんの感興もなかった。
 だが酔った彼女はべつの感想だったようだ。

「これ、いいわよ! 国鉄さん、ジュ・ヴゥ・ゼーム!」
 こういう話法は使いたくなかったのだが、仕方がない。
「愛子!」
 と、強圧的におれはいった。彼女はハッとおれの顔を見る。
「東急東横線で横浜まで出る。横浜まで出てもダメだったら、きみの言に従う。いいか!」
「…わかった。好きなようにして」
 国鉄の改札からすこし戻ったところに東横線の改札がある。横浜までの切符を二枚買った。
 切符の色はバラ色だった。
 おれは、高校時代に読んだ吉本隆明の詩を、唐突におもいだした。
 ちょっと引用させていただく。

「胸のあいだからは 涙のかわりに
バラ色の私鉄の切符が
くちゃくちゃになってあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とおくまで
ゆくんだと告げるのである
とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合わせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによって
きみはぼくらによって ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ」(吉本隆明 「涙が涸れる」)

 この詩は本当に愛唱した詩である。しかしいま彼女の前でこれを吟ずることはできない。絶対に、「なに? <ぼくら>って? なんで複数形なの? 何で単数形じゃないの!」
と論難されることがわかっていたからだ。

横浜には、同盟のアジトがあった。シャワーもある。最悪、そこで彼女を寝かせればいいだろう。おれは不寝番で彼女を、<餓えた狼ども>から護ればいい。

「わたしといっしょにいたくないの?」
「そうじゃない。とにかくいまはダメなんだ」
「わたしが<革命>のじゃまになるから?」
「ちがう! <革命>なんて関係ない! 愛ちゃん! このようなかたちで結ばれてもきみが不幸になるだけなんだ! わかってくれ」
「わからない」
 もう実力行使しかない――しかしこれは卑劣で凡庸な手段だ…。
 つまり、おれは彼女を思いきり抱きしめ、人目もはばからず、ハードなキスをしたのだ。文字通りの口封じだ! 彼女は目をつむり、それに応えた。よくないなあ、この状況。
 バカなおれが、キスの余韻にふけっていると、不意に彼女はいった。
「密輸入者かまいち!」
「何だって?」
「借り物の思想を密輸して、さもオリジナルであるかのように偽装してる。自分のするべきことも忘れて迷走してる。それが今のあなたなの!」
 反論できない…。今のキスごときで、彼女は制圧されていない。酔ってはいるが…。
 ――反論できない正論には沈黙でこたえるしかない。というか、反論できるだけの知性が当時欠如していただけだ。恥ずかしい。

 いつか観たヨーロッパ映画のような、東急東横線渋谷駅のホーム。横浜方面に向かう人々で、いつも以上に混雑を極めていた。
 こんなところでおれたちは何をしているのだろう。とふと思った。
 「かまいちの、バカ、バカ! なんでわたしの気持ちがわからないのよ! もう死んじゃえ!」
 酔った彼女をかばうように抱きかかえ、東横線の車両に乗り込んだ。各駅停車の桜木町行きだ。車内は、立錐の余地がない。
 おれたちは何とか連結器のあたりにスペースを確保した。
 酔客が、好奇の視線を寄せてくる。アルコールが<サラリーマン>の抑圧された日常を擬似的に<解放>するのだろう。酔った中年サラリーマンが、からんでくる。
「にいちゃん、ずるいぜ! こんなキレイなおねえちゃんをひとりじめかい? オレにもちょっと貸してくんねえかなぁ…。ヒヒヒ」
 彼女がビクッとふるえたのがわかった。セクシュアル・ハラスメント、などというコトバも、社会的な合意もない、そんなことは野放し状態の昭和末年のことである。
 刺してやろうと思った。当時、そのための<道具>を護身用にいつも持ち歩いていた。
 おれの先祖は貧乏幕臣だったので、田舎の土蔵には、将軍様からいただいた<もの>が死蔵されていたのだ。
「よくぞ、そういう下劣なことがいえるな。オッサン! てめえにも家族があるだろ? いいか、これ以上いわせんなよ!」
 ちらりと、カバンから<もの>を見せると、中年サラリーマンはぎょっとして、退散していった。過密車輌のなかで、他の乗客の冷たい視線を浴びつつ…。

 東横線はやっと「多摩川」を渡る。
 相州の人間は、ここでほっとするのだ。「あぁ、やっと帰ってきたか…」と。――他国のひとにはわからない感情だ。
 おれは、恐怖その他の感情から、おれの胸に顔をうずめている彼女にいった。
「多摩川を渡ったよ、愛ちゃん」
「…うん…」

 電車は横浜駅までついた。
 根岸線が運行していた。
 大船まで行ける。横浜のアジトに行かずにすむ。おれのうちに泊めればよい。

 「愛ちゃん。きいてくれ。おれは来週「国際反戦デー」という集会に参加する。おれがどういう思いでこういう運動に関わっているか、もし、知りたかったらここにくればわかってもらえるとおもう」
「うん。いくよ」
「たぶん、解同とか動労とか、反戦青年委員会とか動員かけてるから、とっても混雑するだろうから、おれと会えないかもしれないな」
「わたし、いく! どうすればかまいちくんと会えるかなあ」
「愛ちゃん、来ないほうがいいよ。きみはそんなところに来る人ではないと、おれはいいたい」
「あら? バーカのかまいち! わたしはわたしの個人的興味から行くのですからね。ハイ、くわしい待ち合わせ場所と時刻、教えて!」
 それは教えられないのだ…。
「なによ! それ!」
「わかった。愛ちゃん。じゃあ、●●公園の南側水飲み場の前で会おう。集会のあと、デモになるけど、これが極めてやばいんだ。」
 とうとつに彼女は問う。
「やばいって?」

(つづく)

※以下は、某SNSで交わされた討議のなかで書かれたものです。

アレント理解の一助となれば幸いです。

多々認識のあやまりがあればご指摘ください。

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アレント「全体主義の起源」を初心者むけにレクチャーするとしたら・・・、ぼくだったらこんな感じで話します、という文章です。 
 記憶だけで書くので曖昧だったり過度の単純化があろうかと思いますが、まぁ、乞容赦です。 しかも「起源」ですから、全体主義そのものの話になるまで助走がとても長く感じられるかも知れません、その点も乞容赦です。 

1.モッブ 
2.諸条件・諸過程 (1)~(5) 
3.ユダヤ人 
4.ナチズム 
5.全体主義とそれ以後 


【1】モッブ 

 大衆社会の出現が全体主義の条件になったことはよく言われる話で(有名なところでオルテガ、フロム、リースマンなど)、アレントの全体主義論もそこに分類されたりするわけですが、アレントのいう「モッブ」というのは一般的に辞書的に定義された無色透明な大衆ではなくて、「あらゆる階級から零れ落ちた存在」という、かなり限定的で狭い概念、世紀末から20世紀初頭にかけて具体的に存在したものを指しています。 

 工業化の進展にともなって都市に流入した「故郷から切り離された存在」が大量に現れ、他方では故郷自体が衰退していったために人口の大多数を故郷喪失者が占めるようになる・・・、これが大衆社会の出現についての一般的理解で、アレントも、一応そうした理解は踏襲しています。 
 しかしアレントが強調するモッブ概念にはさらにもう一段階あるわけです。つまり、たとえ都市労働者大衆であっても、たとえば労働組合などによって組織されていれば、かろうじて「零れ落ちた存在」にはならない、と。そうではなく、労働市場で敗れ、さらに何らかの条件下で組織に守られなかった存在が真の「モッブ」となります。 

 また、底辺層の労働者だけでなく、世紀末から投機が盛んになっていくなかで、ひと晩にして破産し、生活基盤を一挙に失う人間も大量に現れてきます。これは「あらゆる階級」において起こった出来事で、こうやって「零れ落ちた」人間は労働者だけではありませんでした。アイヒマン裁判のアイヒマンも、決して貧しい階層の出身ではなかったものの、こうした「あらゆる階級から零れ落ちた存在」としてのモッブだったわけです。 

                    * 

 こうしたモッブは、故郷や組織や生活などの「根」を失っているために、じぶんの行動を外から律してくれるものを持っていない・・・、そうすると極論すれば「なんでもあり」になっていきます。じぶんに関係ないとしか思えない古めかしい因習-伝統なんかは壊してよろしい、むしろ既成の社会秩序がじぶんを苦しめているのならそれを壊してしまえ。ついそう思ってしまうメンタリティには、大言壮語するデマゴーグにひっかかりやすい面があるわけです・・・、という話はよく指摘されるところだと思います。 

 しかしそれだけでなく、彼らもそんなにバカじゃないから薄々デマゴーグの言うことはウソなんじゃないか、とも思っているわけです。でも、ウソでもいいからその煽動にのってしまおう。どのみち先行きは暗いのだから、「ウソだから何なの?」と居直ったりする。こういうのをスローターダイクは「シニシズム」(ニヒリズム一般からは区別された、ニヒリズムの最高段階のようなもの)と呼び、一般大衆から体制の中枢まで蔓延していたメンタリティだといいます。 

 「ウソだから何なの?」というシニシズムを、底辺層は生活の悲惨さから身につけていくわけです。しかし、伝統のくびきや呪縛が急速に薄れていくなかで、生活の困難に出会っていない人間までにもシニシズムは浸透していきます。 
 たとえば、オルテガの大衆社会論はエリート主義的で大衆蔑視であるなどとも言われますが、オルトガ自身が「真に堕落した大衆は象牙の塔にこもった学者なんだ」と言ってます。スローターダイク風にいえば、これは「啓蒙された野蛮」というものです。明晰すぎる知性が行き着く極北にも「なんでもあり」があるわけです。アレントは、こうしたシンクロ状況を指して「モッブとエリートの同盟」といいます。 

                    * 

 これらが全体主義の温床になったとして。しかし、ここからナチズムやスターリニズムのような全体主義が現実に成立するためにはいくつかの段階があります。その全部を確認する余裕はないですが、まずは言い古された出発点を確認しました。 

 また、これらのモッブは、自分自身を社会から零れ落ち、弾き出された「ゴミ」のように感じていたわけです。これが反転して、やがて他者をゴミのように扱い、ゴミのように焼却処分するシステムが出来上がっていくわけです。 
 そうした全体主義の中核的な性格が、すでにこの出発点のなかにネガのような格好で現れていたことを最初に確認しました。 


* 石川啄木のいう「何か楽しいことはないか?」という言葉には不吉な響きがある、というのはまさにモッブの心性に対応するもののように思われます。しかし、昭和に到る道行おける日本人の閉塞感と「あらゆる階級から零れ落ちた存在」の閉塞感とをイコールで結ぶのはやや問題かも知れません。

【2】諸条件・諸過程 
(1)時間意識について 

 「なんでもあり」というのは価値判断の自由というよりも、価値判断そのものの解体とも言えます。そうした考えの背後には「すべてが可能」という認識の広がりがあるんだとアレントは言います。 
 しかし「すべてが可能」というのはそれほどバラ色でもないわけです。つまり、売春も可能、殺人も可能、あるいは組織的な人種の絶滅も可能ということです。 

 ところで「すべてが可能」という認識はどこから出てくるかといえば、1つには、見田宗介的にいえば近代的な「直線的時間」が作用しているとアレントは考えてるようです。アレントも見田と同じような論文をべつの本で書いています。(「過去と未来のあいだ」) 

 以下、見田の議論(「時間の比較社会学」)を参考にしてそのへんの補助線を引いておくと・・・、 

                    * 

 ユダヤ-キリスト教的な時間意識は「線分的時間」と呼ばれ、これは点Aと点B、つまり創世記と最後の審判にはさまれた時間だけが人間の生きる時間であるという意識のありようです。これには「限界」がある、したがって「すべては可能」とはなりません。 
 また、多くの農業社会がそうであるような「円環的時間」というのもあります。これはすべては移ろうけれども同じところに回帰してくるという意識ですから、この世界は限界を超えて未知の新しいものが出来するということは認められません。 

 これらはウェーバー風にいえば「魔術の園」の住人の意識にも見えます。しかし、線分的時間であれば、はじめと終わりを司る神によって、また円環的時間であれば、流転を司る神々によって、個々の出来事は意味づけられます。はじまりに照らして、終わりに照らして、あるいは循環のなかの位置どりによって、個々に意味が与えられるわけです。 

 ところが、直線というのは無限に延長できます。「線分AB」を超えて補助線が引けるのが「直線A」です。ここでは個々の出来事を意味づける枠組みが失効しています。少なくとも、つぎつぎ枠組みのほうもまた変移していくことがあらかじめ見通されている・・・、そうすると、個々の意味は揺さぶられるわけです。 
 意味への不安、これを素朴な意味でのニヒリズムと言っていいとして、そのニヒリズムは、近代的な直線的時間意識の相関物であるというのが見田ならびにアレントの基本認識といっていいように思えます。 

 ちなみに「終わり」を意味する英語「end」に否定の接頭辞をつけると「endless」ですが、endには「目的」という意味もあったわけです。つまり、近代的な直線的時間は、他の時間形態と異なって、無限に、エンドレスに直進するとともに、その時間意識においては目的意識もたえず揺さぶられるわけです。生きる目的の喪失・・・ニヒリズムをこう表現することもできなくはない、というわけです。 

                    * 

 限界を超えて進む時間のなかでは「すべてが可能」になる。そして、意味や目的意識や時間を司る神々の伝統が失効してしまうと「なんでもあり」の考えも出てきやすくなる。ここに世紀末以来の「あらゆる階級の脱落者」が大量発生するという現象が重なったとして。 

 ここでアレントは「無限の増殖」を俎上にのせます。まえおきが長くなりましたが、「起源」第Ⅱ巻の冒頭がこの議論です。 
 もちろん、これはマルクスを意識しているわけですが、マルクスとは違った点を強調します。(この段階では、マルクスに+αを加えた議論に読めますが、ソ連の全体主義批判をつうじて、マルクスの批判へと転じていく・・・それを書いたのが「人間の条件」です) 

 ある帝国主義者は「惑星すら俺のもの」と言ったそうですが、そこには無限の増殖過程の果てに「すべてが可能」になるという意識がありありと現れている・・・。以下、節をかえて。 


* 村上一郎「北一輝論」でもこのような時間意識については言及されています。個人的には近代思想史を考えるのであれば、それなりに重要な分析視点と思っています。 

* 「すべてが可能」というのは、三島由紀夫における「すべてが許されている」に近似するものとも思うのですが、三島の場合はどちらかといえば祝祭的な性格が強いんじゃないか、という気がします。 

* ここでいうニヒリズムはとても素朴な水準の話です。べつの場所で触れた「神を信じることそのものがニヒリズムなのだ」というのは、永井均のニーチェ解釈によります。 

(2)増殖 

 アレントによれば、ホッブズの思想において初めて「増殖」の契機が現れたといいます。 
 プラトンにせよマキャベリにせよ、彼らの議論ではすでに与件として確固たる真理や秩序が存在していて、隠れたる真理を実現するとか、秩序の破調を権力のやりくりによって回復する、均衡をもたらすということが課題だったわけです。 
 ところがホッブズの場合、与件となる自然状態では、互いが互いに対して狼だから、そのままにしておけば死滅を待つだけです。しかし、社会契約をつうじて、まったく新しい権力、多数意志にすら還元されない、それ以前にはどこにも存在していなかった権力が新たに創出される・・・。そういうことをホッブズは論じているわけです。しかも、死滅の脅威を完全に除去することは不可能だから、権力はより強大になっていく傾向性があらかじめ孕まれていた・・・云々。 

 アレントは、無から有がつくりだされる論理をホッブズが発明したとでも言いたいのだろうと思います。ただ、この指摘自体は妥当かどうか、とても怪しい気がします。話半分に聞いていい、そんなふうに感じます。 
(ちなみに、似たような議論を、アルチュセールがロックを題材にしながら論じています) 

 ともあれ、ここでのポイントは、無限の増殖をめざす資本の運動が、ただただ資本の本質がそういうものだから、という理由だけそう動くわけではなくて、それを支える思想の厚みのなかでそうなっているのだ、ということなんだろうと思います。こうした視点は「人間の条件」のほうでより明確になるのですが、とりあえず「はいはい」ということで先にすすむとして。       

              * 

 問題は、全体主義を生み出した土台としての帝国主義です。 

 一番最初に大衆社会とモッブについて触れ、そのつぎに時間意識とニヒリズムについて触れましたが、あれらはせいぜい全体主義の温床、あるいは「プル要因」といった類です。それに対して帝国主義は、もう少しモーター的な「プッシュ要因」としての広範な作用を及ぼします。だからホッブズまで持ち出して、増殖が特異な現象であることをあれこれ強調しようとしてるのだと思いますが・・・、 

 その帝国主義についてアレントは、ホブソンなどの先行研究を引きつつ、しかし「それは単なる経済現象ではないのだ」と強調します。つまり、とても単純な話、資本の輸出は必ず統治機構、あるいは権力の輸出をともなうわけです。しかも、さっきのホッブズのように、あるいは前節の最後で触れた、とある帝国主義者の言葉のように、それは思考さえ規定する部分があったりするわけです。 

 そうやって帝国主義が、増殖の思考、あるいは権力の輸出をつうじて植民地へのりだしたとき、「あらゆる階級から零れ落ちた存在」たるモッブまでが輸出されることになります。宗主国本国ではやっていけない「はぐれ者」が海外雄飛をはかります。モッブの植民地への輸出、これをアレントは「モッブと資本の同盟」と呼びます。 

 この植民地での経験が全体主義的統治の雛形になるわけですが、それは節をかえて。 
 ところで、これは次回に触れる話ですが、もっとも増殖の思考を強く貫徹し、したがって植民地を一番たくさん持った帝国主義国がイギリスだったこと、つまりドイツではなかったことに留意して下さい。ナチズムをドイツの一国史から説明しない「起源」のセールスポイントの1つがここにあります。 


* 松本健一は農本主義が大陸進出に傾斜していく理路を論じていますが、これは「起源」を横に置いてみると面白く感じられます。 
 近代日本は輸出すべき資本をほとんど持っていなかったにもかかわらず帝国主義化しましたが、これは古典的な帝国主義論、つまり、資本の過剰ゆえに帝国主義化するという経済主義的な説明には適わないわけです。 
 日本のみならず、帝国主義を経済的な側面からのみ説明するのでは足りない部分がある・・・ということで、アレントはやや強引ながらホッブズなどを持ち出したわけですが、日本の不可思議な帝国主義化も、やはり文化や思想のほうから説明すべきことが多々あるという、まぁ、当然といえば当然な話なわけですが。 

* このくだりでアレントはローザ・ルクセンブルグに依拠しているのですが、ローザのアレントへの影響の大きさにもかかわらず、直接の引用はここだけのようです。

(3)植民地 

 植民地での統治経験が全体主義の雛形になったというとき、ポイントは2つくらいあるようです。1つは「モッブと資本の同盟」によって、モッブが実際に支配に参加したことです。もちろん植民地総督府の中核メンバーとして、というわけではないのですが、支配者側として、あるいは実際に総督府の走狗として、モッブたちは振舞うことができた・・・、この点が大きいわけです。 
 ちなみに有名なアラビアのロレンスは中東で活躍し、アラブ民族の独立のために戦った英雄と見られましたが、ロレンスの文学的な著作のなかに現れている気分はニヒリズムそのものでした。アレントは、植民地世界に漂っていた雰囲気を、こういった方向からも傍証しています。 

              * 

 もう1つには官僚制の専制が、植民地でこそ突出しえたということがあります。ここでアレントは、カフカの小説などを引用しながら官僚制支配の特色を読者にイメージさせようとしますが、一言でいってそれは全体を見通すことのできない不透明な「城」です。 

 つぎに図式的な説明がなされるのですが、ここでは典型的な対概念が利用されます。つまり、官僚制と政治、あるいは政令の支配と法の支配です。 
 どういう違いがあるかといえば、法の支配は形式的にせよ議会での討議をつうじて制定されるのであって、たとえ僅かでも外部に開かれているわけです。あるいは、議会というのは顔のみえる政治家がじぶんの信念を責任をもって貫く場でもあるわけです、たとえどんなに無能であろうとも。 
 アレントは、ここで政治と官僚制のどちらに肩入れしてのか一瞬わからないくらいに、当時の政治家に対しては辛辣な書き方をしてる部分があります。そして、たしかに官僚というのは優秀だったりするわけです。しかし、官僚というのはモッブと同じように匿名の存在で、統治の結果に責任を負いません。そうした顔の見えない官僚たちが、被支配者の住むエリアからは遠く隔てられた「城」の中枢で、秘密裡に打ち立てた計算図式によって政令を発布して統治を行なうのが「政令の支配」です。 

 宗主国本国で官僚たちは、実質がどうあれ政治家が決定した事柄を忠実に執行する手足のような存在でした。ところが、帝国主義が海外進出して植民地統治が始まると、官僚たちは政治家の「くびき」を離れ、じぶんの思い描く統治を自由に実現しうる環境を得ました。実際、植民地の官僚たちには相当な気負いもあったようです、これからは俺たちの時代だぞ、と。 
 こうして植民地でこそ官僚の専制が先鋭化する条件があったわけです。 

              * 

 厳密にいうと一般化はできないみたいなんですが、ごく大雑把に言って、植民地は本国ではないわけで、つまり、本国における「法の支配」に服さなくていい場所ということになります。本国に対して植民地は外部であって、いわば「無法地帯」なわけです。無法地帯というのは「すべてが可能」で「なんでもあり」になります。 
 そういう「なんでもあり」の無法地帯の荒野で、気負った官僚たちがモッブたちとともに「城」に立て篭もって「政令の支配」を貫徹します。 
 このあたりの不気味さを、アレントはコンラッド「闇の奥」などを傍証に利用しています。 

 そこでは様々な「実験」が行なわれました。法に縛られない官僚たちが「なんでもあり」ということで、あれもこれもといろんな試みをしたわけです。 
 これがただちにイコール全体主義ということではありません。 
 よく言われるように、本国ではいろんな制約があって出来なかった近代的なインフラストラクチャーの大規模な整備など、そういう恩恵的な側面もあったんだと、明るい面をやたら強調するひともいたりします。しかし、そういう面を含めて、植民地は「統治技法の実験室」だったわけです。 
 もちろん凄惨な暴力もありました。そして問題なのは、それが植民地という例外的な場所での1回的で突発的な出来事として終わるのでなく、まさにそこで実験されたものがヨーロッパ本土に回帰してきたときにこそ、全体主義体制が成立したということです。 

 アレントはこういう言葉を使っていませんが、ようするに「ブーメラン効果」なのだと理解できると思います。 

 次回、少し補足します。 


* 橋川文三「新官僚の思想」を連想するところです。また、昭和の新官僚たちにおけるマルクス主義の問題は、「起源」第Ⅲ巻で論じられるスターリニズムの問題と対照が可能かも知れません。ただ、おそらく個人的な感触でいえば、日本の総力戦体制はアレントのいうところの全体主義に入れることは難しいという気がします。 

* 日本でも「ブーメラン効果」は意図的に目指されたと思います。つまり、満州帝国は本土の総力戦体制の雛形だった、と。
補足が2つあります。 

 1つは、植民地支配を無法地帯における暴力とだけ捉えると間違うということです。これは、アレントがのちの「人間の条件」で強調し、しかし「起源」ではまだあんまり前面に出てきていない話で、むしろフーコーによって人口に膾炙するようになった話なのですが、つまり、前近代的な権力は「死なせるか、生きるままにしておくか」というかたちで制裁与奪の権を握るところにポイントがあったのに対して、近代的な権力は「生きさせるか、死の中へ廃棄するか」という作用の仕方をする、ということです。 

 どういうことかといえば簡単な話で、前近代的な権力は被支配者に対して死の威嚇を与えるところに力点があったから、生きるかどうかには関知しなかったわけです。「死の威嚇」を重要視するからこそ、刑罰は華々しかったといいます。 
 ところが近代以降、人口の量や質が富や権力の源泉として発見されて、とにかく「生き長らえさせること」に力点が置かれるようになります。素朴な話、労働者を生きさせ、むしろ充実した生命力をもってもらうことによってこそ、全体の富や権力を増殖させようという話です。 

 だから、植民地などでは典型的に、総督府は「羊飼い=牧人」として振る舞って、羊たちを生きさせ、その生がもたらす果実の上澄みを搾り取ろうと努めます。インフラストラクチャーの整備、あるいは公衆衛生政策というのは、善意とはぜんぜん関係ないんです。少なくとも、かりに存在したかも知れない「善意」でさえ、フーコーが言う「生きさせる」権力作用の一貫である、ということにはなるはずです。 

 また、こうした「生-権力」のうちの「死の中へ廃棄する」という側面についてはややわかりにくいかも知れませんが、ただ、それは、古い権力が敵や反乱分子を華々しく刑殺して自身の力を誇示する、というのとは違っているわけです。そうではなくて、主眼は「生きさせる」ことにあるので、もはや生きられなくなった存在や「生きるに値しない」と見なされた存在は「ゴミ」なのであって、それらは密かに廃棄処分すればいい、ということになります。 

 この点は、一見すると20世紀における大量死と正反対に見えるかも知れませんが、必ずしもそうではないと考えられます。 
 人口の量への配慮は同時に質への干渉をともなうわけですが、そのシステマティックで官僚的な表現が、世紀の前半を風靡した一連の優生政策です。良質の生命だけを残し、不良な生命は廃棄する・・・、これを全面的に実現しようとしたわけです。 
 こうした優生政策とある部分では共鳴し、またべつの部分では反発しあいながら台頭したものとして民族浄化思想があるわけです。こうした視点で民族浄化を捉えると、そこで他民族を「ゴミ」のように扱い、また自民族の内部にある汚れを浄化しようという衝迫のなかで問題になっているのは「死」ではなく「生」であることが了解できるのではないでしょうか。 

 この点はナチズムのところでまた触れます。 

              * 

 それからもう1点を補足しますが、まえにも触れたように、植民地の経験が全体主義の雛形になったというときに、アレントはドイツの一国史では考えていません。 

 ホッブズが増殖の思考を準備し、帝国主義の先頭を切ったイギリスで全体主義的統治の実験が行なわれ・・・、それらがヨーロッパ本土に跳ね返ってきて、モッブたちの支持を受けながら、もっともグロテスクなかたちで、諸問題を集約したかたちで出現したのが全体主義だ、という捉え方です。 
 歴史にはいくつかの分岐点があって、多段階的に諸現象が現れてくる・・・、そして、相互作用のなかで歴史はあるんだ、ということだと思います。 

 だから、全体主義はナチスの専売特許ではなくて、その雛形はイギリスがつくりあげたと強調されます。そもそも他者を「ゴミ」として扱う以前に、「ゴミ」同様のモッブが繁殖し、それらが全体主義を支えたわけでした。 
 また、パリやロンドンにおける近代都市建設で公衆衛生が重視されたのも、植民地統治とのシンクロにおいて捉えるべきだと思うのですが、植民地で実験された統治の諸技法がヨーロッパ本国に跳ね返っていくとき、そこではいわば「自己植民地化」が行なわれていると言ってもいいように思います。植民地の人間に対するように自国民に対するのですから。 
 それから、さきほど優生政策に少し触れましたが、あれもイギリスで誕生したものです。それがアメリカを経由してドイツに輸入されたわけです。あとで触れるナチスの選民思想にしても、そもそもユダヤ教の模倣であって・・・、そうした様々な模倣の束として、あるいは世界の諸現象の陰画として、ナチズムはあります。こうした「鏡像関係」というべきものを、アレントは捉えようとしているわけです。 
(「鏡像」というのはラカンの用語で、本来アレントのことを語るのに相応しくありませんが、とてもフィットする気がしたので使って見ました。もとの意味を正確に踏襲してるわけじゃありませんが・・・) 

 こうしたアレントの視点は一部で批判されました。問題の所在をヨーロッパの全体に拡散させ、ドイツの責任を矮小化するものである、と。 
 しかし、誰かに責任を負わせる決定と事態を理解することとはまったく違う次元の営みのはずです。それを混同する人間の無責任さを思うべきかと思うのですが、どうでしょうか。 

 ややアレントから離れすぎたので、次からアレントに戻ります。 
 以下、来週末にでも。 


* 戦時体制下の日本の思想状況を一言で「死なねばならぬ!」と要約するやり方は、一方における実感や経験、またナチズムとの対比においてそういう側面があったとは言えると思うのですが、以上の生-権力論に照らして、そもそものナチズムの規定において個人的には足りないものを感じます。それとの対比で語られる日本についても「それだけだろうか?」という感触があって・・・、ただ、以前の日記でぼくは「日本にはアウシュビッツはなかったがハンセン病隔離はあった」と書きました。このへんをとっかかりにしたいという思いはあります。

(4)2つの帝国主義 

 ここで書くことの8割方は世界史の復習のようなものですが、ただ、それらの知識にアレントがどのような線を引いたか、そこが読むべきポイントのように思えます。結論的に述べられることのなかにはアレント特有の事態の把握や、あとで触れる全体主義の特質を理解するための伏線となる認識が含まれています。 

 まえに確認したように、全体主義的統治の雛形をつくったのが植民地の経験だとして、・・・しかし、その植民地支配をもっとも典型的に遂行したのはドイツやロシアでなく、イギリスとフランスでした。それら英仏を、アレントは「海洋帝国主義」と呼んでいます。そのままの意味、海をはさんだ外国を植民地化するタイプです。 

 これに対して、後進帝国主義たるドイツやロシアは「大陸帝国主義」と呼ばれます。 
 問題なのは、単に両者を区別することでなくて、前者から「鏡像」のようにして後者が生まれ、しかも後者には「種族的ナショナリズム」という特殊な性格が加わったという理路だろうと思います。 

 そして、この種族的ナショナリズムの表現たる汎ゲルマン主義からナチズムが、凡スラブ主義からスターリニズムが生まれるわけです。 
 アレントが考えた全体主義的支配の成立過程では、何度も繰り返すように、海洋帝国主義による植民地の経験が重要だったわけですが、それが全体主義へと成長するためには、大陸帝国主義における種族的ナショナリズムが触媒にならなければならかった・・・そういう順序のようです。 
 念のため確認しておけば、植民地支配や種族的ナショナリズムは、それ単独では全体主義ではないわけです。 

(ちなみに、汎アラブ主義からはサダム・フセインが出てくるわけで、それぞれ旧帝国の解体に対応しています。おそらく毛沢東もここに入れていいんでしょう・・・、アレントは、毛沢東に何ら幻想を抱いてないようです) 

              * 

 ここで英仏のことに触れます。やや本筋から離れますが、パノラマ的な類型論として面白いだけでなく、アレントのポジショニングを理解するためにも無駄ではないと思います。 

 イギリスは階級社会です。そして2つの階級が互いに相容れないほど分立しているにもかかわらず、かろうじて2大政党制によって繋ぎ止められています。 
 この経験が植民地支配でも生かされている、とアレントは見たようです。イギリスの場合、本国と植民地とは完全に分離され、べつべつの支配原理が用いられましたが、かろうじて全体主義の一歩手前で踏み止まります。これは、イギリスが分裂したものを1つにまとめあげる経験をそれなりに持っていたからだろうということだと思います。 
 あとで触れるように、アレントのいう全体主義には、ほとんど自己破壊的な性格があるのですが、イギリスにおける「分裂を回避する技法」は、そうした自己破壊的性格とは正反対のベクトルをもつと位置づけられそうです。 

 もちろんアレントは、帝国主義をそのまま容認するわけでもないのでしょうが、全体主義よりはマシ、というくらいの気分かも知れません。 
 と同時に、アレントには隠すことのできないイギリス評価もあったように見えます。というのも、伝記によれば、アレントはシオニズムを批判しつつ、英連邦下のアラブ・イスラエルの共存に期待をかけたりしたそうですが、そこでは「権力の重し」を必要と考えるだけでなく、イギリスの老練さへの信頼も見え隠れしていると思うからです。 

 他方、フランスは「典型的な国民国家」として、植民地にも本国同様の法を適用するという普遍主義をとりました。たしかに理想主義的ではあるのですが、アレントはあまり評価してないようです。結局のところ、法的権利が文字どおりに実現するためにはそれに対応する社会的条件が必要で、フランスの場合はそれが欠けていたということでしょうか。 
 フランスは農業王国であり、絶対王政時代に急速な「上からの」近代化を遂げました。日の浅い法的理想は額面どおりには受けとれない、ということかも知れません。 

 実際のところ、フランスで起こったドレフェス事件を指して、アレントは「全体主義の予行演習」だったと言います。アレントが収容所を経験して死を想ったのもフランスでした。 

              * 

 このあとアレントはオーストリアやイタリアに触れます。あるいみで執拗な脇固めです。なぜドイツやロシアでこそ全体主義が実現したのか、そのことを言うための比較研究なわけですが、その手つきはマックス・ウェーバーの、なぜカルヴァン派だけが資本主義化のモーターたり得たのか?を問う比較宗教史研究を彷彿とさせます。 

 オーストリア帝国は民族単位で統治されていました。明らかにイギリスの階級社会、フランスの国民国家と対比されています。また、帝国支配というのは官僚制を発達させます。ウェーバー流の近代的な官僚制であれば、手続き的な正当性が必要で、その手続きが誰の目にも明らかでなければならないのですが、帝国における官僚制はそのままでカフカ的な「城」です。 
 民族主義と官僚制、この2つだけをみれば、いかにもそこから全体主義が誕生してきそうにも見えますが、帝国支配下の諸民族というのは、たしかに悪質ではあるんですが「分割統治」によって住み分けられていたわけです。その2つだけでは全体主義には足りない、ということです。 

 そしてイタリアは、ふつうドイツなどと同類と見なされるわけですが、アレントによれば「ファシズムではあるが全体主義ではない」ということになります。それじゃ全体主義って何だ?という話はあとでするとして、イタリアのファシズムは、コーポラティズムの変種と位置づけられます。階級、国民国家、民族・・・etcを主導原理とする前3者に対し、イタリア社会は地域や職域を中心に編成されるという、そうした対比があって、そうした対比のなかで、ケインズ主義やニューディール型の自由主義と比肩される格好で、資本主義の限界を克服する1つの選択肢としてイタリアのファシズムがあったわけです。 
 イタリアのファシズムにも当然問題はあるわけですが、しかし、「起源」の行論にとって重要なのは、それが絶滅収容所を生み出さなかったということです。 

 ちなみに、イタリアのファシズムといえば「未来派」の問題があって、アレントも「人間の条件」の冒頭で軽く触れてたりします。論者によってはファシズムの諸相を語るに際して見逃せないところですが、・・・これは「起源」の問題意識からすると脇道のようです。 

 いずれにせよ、これらと異なる位相に大陸帝国主義の種族的ナショナリズムがある、という話になっています。 

              * 

 その種族的ナショナリズムについては、具体的には著作を見て頂くとして、ここではいくつかのポイントだけ拾い上げます。 

 まず、大陸帝国主義が海洋帝国主義に遅れをとり、・・・それゆえにある種の悲惨な状況に直面し、その悲惨さを克服しつつ、そのうえで帝国主義的進出に乗り出すための、みずからを正当化する論理を必要とした・・・、つまり、反動形成という力学のなかでこそ新たな神話が捏造されていったのだということは、まぁ、それほど無理なく理解できるところだろうと思います。 
 従来型の民族神話では膨張運動の論理たり得ない・・・、控えめに言っても、そこで従来型の民族神話の読み替えが起こったわけでした。 

 その読み替えにおいて、種族的ナショナリズムは過去へ過去へと遡って、民族の起源神話を捏造します。たしかに、そうした神話の構築はどんな民族でもやるだろうし、それだけみればそれほど特徴的ではありません。 
 しかし、問題なのはそれが何の陰画になっているか、ということだと思います。つまり、一方には啓蒙主義や海洋帝国主義があるわけで、それらによって未来を塞がれているからこそ、過去へ過去へと撤退しつつ、反撃の機会を狙おうとするわけです。そのさい、往々にして「敵」の手法を模倣することになるますが、種族的ナショナリズムもまたそうでした。 

 1つには、まえに「増殖の思考」について触れました。増殖というのは「膨張」と言い換えてもいいし、「無限の運動」とも言っていいのですが、これが取り入れられます。 
 2つめに、啓蒙的知性は徹底的に軽蔑されます。もちろん啓蒙的知性というのは過度の人間中心主義に陥って、自然に対する介入-改造主義にもなるわけですが、種族的ナショナリズムは啓蒙主義を軽蔑しつつも、しかし「○○中心主義」に居直る点、あるいは改造主義的な性格については、知ってか知らずか、いずれにせよ模倣してしまいます。 

 つまり、その民族の歴史や現在の必要に照らして頼るべき原点をさぐったり、規範となる神話の構築を試みるというのでなく、必要限度を超えてどこまでも過去に遡っていくわけです。そして、そうやって構築された神話はまさに改造主義的に、パッチワークのように「でっちあげられた」ものとなります。 
 ほとんど怪文書と言っていいのですが、ところが、シニックなモッブたちは「ウソだから何なの?」というメンタリティを身についています。ですから怪文書が、怪文書にもかかわらず流通し機能してしまう条件があったというわけです。そうした神話は、ただの神秘主義を超えつつあったと言っていいでしょう。 


 なお、どこまでも過去に遡って神話を捏造した場合、とくにヨーロッパの場合には、それが一国主義の枠に収まらないことは自明です。啓蒙主義が人為を過信するとすれば、種族的ナショナリズムは人為的な国境を軽蔑します。ここに、種族的ナショナリズムが国境を超えて膨張する条件、海洋帝国主義とは異なる大陸帝国主義を支える論理がありました。 


              * 

 また、旧帝国下の民族対立であれば、職業や居住形態、あるいは相互の歴史などをめぐっていたわけです。そうした対立や差別は、ときに恐るべき事態に到ることがあるにせよ、接触しないとか生活圏から締め出すとか、そうしたことによって日常的にはやりすごすことができます。差別や対立の社会性、それに対処する社会的な技法があったということがポイントです。 

 しかし、種族的ナショナリズムは反啓蒙的ですから、人間や社会の営みを徹底的に軽蔑します。その行き着く先にあるのが、純化された生物学主義です。 
 折悪しく、またもやイギリスで社会進化論や優生学が発祥し、世界的な流行となります。これを取り入れつつ、種族的ナショナリズムは「血の神話」を強化していきます。 

 生物学主義や「血の神話」のある部分は、われわれの実感や事実にフィットすることもあるので、それ自体は良くも悪くもありえるのだろうと思います。しかし、種族的ナショナリズムの生物学主義の問題は、それが人間や社会の営みを軽蔑し、かつて存在した差別や対立をめぐる社会的な技法のすべてを無化しようと企て、そう主張されるということです。 

 そこに民族対立があったとして、しかしそれは社会的な妥協によってはどうにもならないのだ・・・。問題は生物学的次元にあって、生存闘争の「闘争」によってしか解決あるいは解消されないものだ・・・、種族的ナショナリズムはそのように考えます。 

 そののち全体主義は、ユダヤ人問題の「最終駅解決」とは「問題」そのものが消滅することだと言い、絶滅収容所を設立するわけですが、それを先取りするものが種族的ナショナリズムにはあったということです。 


 ちなみに、人間は生まれながらにして互いに狼である、それが自然状態だと言ったのはホッブズですが、ルソーはそれを批判して、互いに闘争状態に陥ることこそ1つの社会状態なんだと言っています。極端な生物学主義の背後にある社会的条件をみよ、というのは「起源」にも通じる論点に思えます。 

 なお、こうした生物学主義についてヨリ哲学的に、西欧思想史の文脈で考えたものが「人間の条件」です。あの著作にはそういう側面もあるわけです。 

              * 

 以上、長々と説明してきましたが、モッブのシニシズム、増殖の思考と権力の輸出、植民地の経験と政令の支配、種族的ナショナリズムなど、これでだいたい準備作業は終わりです。 

 ただ、第1次大戦後に大量に出現した無国籍者と国民国家の限界の露呈(第Ⅱ巻・末尾)、および絶滅政策の主要な対象となったユダヤ民族の歴史(第Ⅰ巻の全体)についても触れておきたいので、本題の全体主義(第Ⅲ巻)についてはまだあとの話になります。(まだⅡ巻の半分くらいしか説明してないわけです) 



              * 

 1点だけ補足します。 

 以上はいちおう汎ゲルマン主義と汎スラブ主義の双方の説明ということにはなってるんですけども、ドイツの説明に偏っていることは否めません。アレント本人もそのことは自覚してたようですが・・・、ただ、こういうことがあるんです。 

 種族的ナショナリズムがドイツ以東、ロシアまで一般的に見られた現象だとして、生物学主義に急傾斜していく性格があったことは述べたとおりです。そのさい、「(生物学的な)運命に身を委ねる」のが1つの特徴で、その「運命書」はほとんど怪文書的なレベルだったことも述べました。 

 しかしロシアの場合、問題がいわば2重底になっていました。 
 つまり、一方にはドイツとも共通する種族的ナショナリズムがありましたが、他方には、西欧思想史の1つの結晶とも言うべきマルクス主義の問題があったわけです。 

 マルクス主義の内在的な批判は「起源」以降の話になりますが・・・、少なくとも「起源」において、ロシアの全体主義がマルクス主義をうけとるやり方は、「(理論的な-生物学的ではないけれど)運命に身を委ねる」というものだったとアレントは言います。 
 その形式は同じです。 
 狭義の種族的ナショナリズムが人間や社会の営みを否定するのと同様に、ロシアのマルクス主義も個人の役割を否定して、「理論法則」に従属することを強いようとし、ある部分では成功を収めます。 

 だから、以上の説明はいちおうロシアの全体主義にもあてはまるんだ、というのが「起源」段階でのアレントの立場なんです。 
 とはいえ、やはり「怪文書」と「西欧思想の精髄」とが同じ役割を果たしてしまうというのは一体どういうことだ?・・そういう疑問が残ったわけです。 
 それがのちのちの課題になっていく・・・という点だけ言い添えておきたいと思います。 



* 意外に何も見ないでもここまで書けるものだなぁと我ながら感心したりする部分もあるのですが、とにかく自分流の用語を多々あちこちで使っているので、間違ってもこれがアレントそのものと誤解なきよう。。。ようするに、とても不正確な要約であります、おそらく。

(5)国民国家の限界 

 プル要因としてのモッブの大量出現、そしてプッシュ要因としての植民地の経験や種族的ナショナリズム・・・etcがあったとして、全体主義のまえにはまだ国民国家という障害がありました。これが限界を露呈したことをアレントは重視します。 

 ちなみに明治以降の日本の場合、国家が十分近代的でなかったことが軍国主義に走った原因だ、とされることがあります。他方、今日では、そもそも近代国家には全体主義化していく傾向が孕まれているんだ、という議論もあったりします。 
 それらに比べると、アレントの議論は、国民国家が没落したがゆえに全体主義が出現しえたのだということで、やや把握の仕方にズレがあるように見えます。あるいみでは、国民国家が十全に機能したならば全体主義の歯止めになっただろうという、そうした立場に与するかのようにでもあります。 
 ただ、おそらくは国民国家が最初から持っていた限界が、実際に露呈するか否かが大きかったという、そういう把握の仕方なのではないでしょうか。限界がはっきり露呈したがゆえに、国民国家のタテマエ-理想が自覚的に破り捨てられ、さらにはタテマエを逆手にとる格好で、正反対の方向へと急速に転落していくという、そうした理解のように思います。 

 そうした限界は第1次世界大戦の終結後に露呈します。 

                    * 

 旧帝国が解体して諸民族が帝国のくびきを離れたとき、秩序再構築の基本ドクトリンとなったのが「民族自決」でした。 
 もともと国民国家、ネイション・ステートは、日本語に訳すと国民国家のほかにも民族国家と呼ばれたりするわけで、その性格は多義的でした。前者(国民国家)の場合、国家のもとではどんな民族出身であろうとも平等に扱われねばならないという理想があって、これは民族を超えようとします。フランスがその典型です。これに対して後者(民族国家)は、他民族に従属することなく、その民族が主人公となれる国家を築こうという理想を抱いています。旧帝国が解体したときに強調されたのが後者のほうでした。 

 ところが、民族自決という理想は、無数に存在する少数民族にとっては過酷なものでした。少数民族に限らず、たまたまその歴史的経緯からして、自前で国家をつくりあげる能力や経験を持たない民族はたくさんいました。それらにむかって「さぁ、国家をつくれ」と言ったところで、路頭に迷うだけでしょう。実際のところ、国家をつくれなかった民族は流民となり、そうした難民が大量に発生したわけでした。 
 「自決権」というのは能力を有する者のためだけの、「強者の論理」となりうるということが、ここに示唆されています。 

 そうやって流民となった人々はどうしたか。 
 「民族国家」の理想は破れたので、彼らはすでにある「国民国家」の庇護を受けようとします。ところが、大量の流民をすべて受け入れることは到底不可能と言って、既存の国民国家は徐々に門戸を閉ざすようになっていきます。 
 「人間」の諸権利とはすなわち「国民」の諸権利であり、それは税金を払った者のためだけにあって、国家はそれ以外の者に関知しなくてもよいという、あられもない現実がここで露呈したわけです。 

 こうして「無国籍者」の「群れ」が現れ、そしてそれは「解決されざる問題」としてヨーロッパ世界に突きつけられたわけです。 

                    * 

 アレント自身もナチス台頭後に亡命する過程で無国籍者になった経験があって、自分を守ってくれる存在が何もないことの恐怖を痛切に感じたといいます。端的に「国民国家は役に立たなかった」という思いもあったかも知れません。 
(「起源」は、そうした私的な感想を何1つ表に出さずに書かれていますが、体験談としての側面も濃厚にあります) 

 ただ、そうした恐怖の感情を、単なる心理的なものとだけ捉えるべきではないように思えます。つまり、国民としての権利を失うということは、すなわち人間としての権利が保障される根拠を失うことであって、人間として扱われない「可能性」に直面することでもあるからです。 
 すでに触れたように、「すべては可能」という思想状況が生まれつつありました。だから、人間として扱われない可能性は現実的なものでもあったわけです。また、無国籍者の群れはヨーロッパ世界にとって「処理すべき問題」として立ち現れており、そのとき1人1人の無国籍者は顔のある人間としてではなく、匿名の、問題を構成するただの一部分としてまなざされたわけです。そして「処理すべき問題」を解決-解消しようとする圧力のなかで、個々の無国籍者は「マスとして」、一括処理される対象でしかなかったわけです。 

 これは過度な怖れでしょうか。 
 そういう面もあったと思いますが、少なくとも、このすぐあとの時代に「処理すべき問題」といわれた「ユダヤ人問題」は、彼らが地上から消滅してくれれば問題そのものが究極的に解決されるのだとされ、無権利状態につきおとされたあげく、人間ではなくゴミとして焼却炉に放り込まれ、一括処理がめざされたわけでした。 
 アレントは、のちの全体主義における視線と、ここでの無国籍者に対する視線とに同質なものを見、これを全体主義が台頭する前段階と位置づけたわけです。 

 たしかに今日であれば、「国民の権利」を失った存在をただちに「人間の権利」を失ったものとして扱うことはないでしょう。当時でもそうではあったはずです。 
 ただ、イグナティエフが言うように、現代では「権利のインフレ」が起き、サンショウウオまでが法廷に立つ一方で、「○○には権利が認められないから××は正当化される」という論法が、依然として強力に生き残っています。暴力のふりむけられる対象が、生の人間から自然や胎児や精神障害者などへと局限され、よりシテマティックで隠微な作用の仕方へと変容しているという違いがあるだけのようにも思います。 
 しかし、これは「起源」とはまた別の問題かも知れません。 

                    * 

 この節の最後に確認しておきたいのは、欠如した存在をめぐるストーリーが、ここで2重に交錯している点です。 

 モッブが社会の中軸を占める状況を大衆社会といいますが、アレント流のモッブ概念は、「根を失った」とか「脱落者」とか、欠如性を強調したものでした。そうした欠如性は、大衆を嘲笑うかにみえる、いわゆる専門家により濃厚という説もあるわけですが、そうしたモッブが資本やエリートと同盟を組んで、やがて支配体制に食い込むというのが1つのストーリーでした。 
 支配体制に食い込んだモッブは、自身がゴミであるという意識をもちつつ、やがて他者をゴミのように扱おうとするでしょう。 

 そして大量の無国籍者という新たな問題が浮上します。無国籍者とは諸権利を欠如した存在です。そして諸権利を失っているがゆえに、まさにゴミとして扱われる可能性をもった存在でした。少なくとも、それは「まとめて」処理すべき問題とみなされました。 

 そのうえさらに、第3の欠如的な存在としてユダヤ人がいるわけです。 
 これについて、つぎに触れます。 


・・・「起源」の構成からいえば、反ユダヤ主義は冒頭の第Ⅰ巻で触れられます。全体主義といえば、スターリン主義までを含めて、その中核には反ユダヤ主義があったわけだから、当然の構成です。 
 ただ、あまりにユダヤ人のことに囚われると近代社会に通底する問題の総決算的な位置に、あるいはカタストロフの果てに全体主義があるという筋道が印象づけられないと思って、最後にとっておいたわけです。 
 そのあたりのこと、ご了解ください。 



* 「ウィルソンvsレーニン」という問題設定がこれのこと。 

* アレントは「社会」と「政治」とを区別して、前者を批判的に見ています(「人間の条件」)。 
  また、「社会問題」という立論の仕方はじつは特殊なもので、そういう論理構成にあってはテクノクラート的な「(オートマティックな)処理過程」をほぼ必然的に随伴するものだと考え、やはりそれにも批判的だったりします(「革命について」)。 
  さらに、アレントは「権力」と「暴力」とを区別して、前者が「(彼女が好意的と捉える)政治的な」承認関係を必要とするのに対して、後者は、そうしたものを一切認めずに突きすすむ力と見なしました(「暴力について」)。 
 無国籍者をめぐる問題意識には、やがて後続する著作のなかで展開される考察の萌芽があったわけです。 

* 北朝鮮が崩壊して大量の難民が発生するとすれば、周辺諸国の生活が圧迫されるという問題だけでなく、一部のひとは加害者にまわるだろう・・・ということもまた問題のように思えます。


【3】ユダヤ人 

 「起源」第Ⅰ巻が反ユダヤ主義というタイトルです。 
 ユダヤ人憎悪というのは昔からあるわけです。だから、反ユダヤ主義を論じるとなると、編年体で順々に差別の歴史を追い、それが極度に嵩じた最悪の事態としてアウシュビッツを位置づけるという、そんな内容が想像されます。しかし、それだと全体主義を単に反ユダヤ主義を組織化したものとしか理解できないことになりかねず、あまりよろしくありません。 

 第1に、反ユダヤ主義が世紀末以降に再燃したものだという、その近代的な条件を見逃すことになります。 
 第2に、再燃した反ユダヤ主義は燃え上がってからいったん沈静し、ただそれだけでは全体主義へとつながらなかったわけです。 
 ようするに全体主義は、新たな反ユダヤ主義が登場し、それを燃料としながら、さらに別次元において成立したものでした。 
 ふつうの差別であれば、突発的に大量虐殺が起こることがあるにせよ、組織的かつ計画的に、一民族の完全消滅を企てるということはありえないでしょう。 

                  * 

 ところでユダヤ教は言うまでもなく一神教ですが、一神教というのは宗教史上、それなりに特異な位置を占めています。原始的な諸信仰は多くの場合に多神教なわけですから。 
 この点については、ウェーバーが、「古代ユダヤ教」のなかで論じています。言うまでもなく、一神教を最高段階とする発展史観などではありません。ただただそれが成立する歴史的条件を考察し、その歴史的条件ゆえに成立した信仰の個性や特殊性を語っています。 

 そのなかで、たびたび繰り返された「神殿破壊」がユダヤの神に、神殿という場所性から切り離された抽象性や普遍性を与えたことが書かれています。これがユダヤ教の特質の一端を形成するのですが、詳しくは立ち入りません。 

 ただ、つぎの点だけ確認しておきます。。 
 ユダヤ民族は「神殿破壊」によって独特の信仰を成長させただけでなく、あるいみ最初の「故郷喪失者」となりました。 
 故郷喪失者というのは定住者にとって不気味な存在です。 
 というのも、定住者の多くは農耕によって生活し、そのなかで農村的な価値観を育てていきますが、しかし農村的価値観からすれば、ユダヤ民族の価値観は著しく異なったものにみえたからです。 

 そのさい大きかったのは、おそらく貨幣との関わりでしょう。 
 自足的な農村共同体の内部にいる限り、ひとびとは貨幣を知らずに生活することもできます。 
 ところで市場は、共同体の果てるところ、共同体と共同体の<あいだ>にはじめて成立し、その市場における媒体が貨幣なわけですが、貨幣は諸共同体の生活を補完する役割を担いつつ、農村内部に侵入することは慎重に禁じられてきました。いったん侵入すると、農村共同体の秩序を破壊しかねないからです。 
 そして故郷喪失者たるユダヤ民族は、まさに貨幣にたずさわることで生き延びてきたわけです。そうするしか生存の途がなかったから。 
 しかし、現在でも「お金は汚らしいものだ」という観念が生き残ってるように、貨幣に関わるということは差別の対象になり得ました。たとえば高利貸しによって生計を立てていると「不労取得」として忌み嫌われ、冷酷な取立て屋、あるいは事業に成功しても「不当なやりかたで蓄財したヤツ」というレッテルを貼られたわけです。 

 ここに尾ひれがつくと、ユダヤ教の終末思想などが何かの陰謀とか見られたりもするのでしょうが、ともあれ、このあたりに歴史的なユダヤ人差別の出発点があったということだけ確認できればと思います。 

                  * 

 しかし長い歴史のなかでずっと差別されてきたとはいえ、ユダヤ人にまったく居場所がなかったわけではありません。 

 たとえばさっき触れた貨幣市場がそうです。 
 差別されたがゆえに彼らはそこでしか生きられなかったのですが、しかしユダヤ人に独占された貨幣市場をまったく無に帰するわけにもいきません。だから、貨幣市場が必要なように、それに精通したユダヤ人もまた必要とされました。これは差別と両立するわけです。 
 市場というものが共同体に寄生し、その市場に寄生するのがユダヤ人だとすれば、共同体の住人たる非ユダヤ人もまた、市場やユダヤ人に寄生していたと言ってもいいと思います。 

 あるいは外交の場面も同様の例でした。 
 ユダヤ民族は中東からヨーロッパにかけて故郷をもたずに点在していたので、どの国にもいました。そして王国同士に緊張が走って場合によっては戦争にでもなったりすれば、味方と敵国の双方にいるユダヤ人は便利なパイプとなったわけです。諸王朝はこれを利用します。だから、なかには相当栄達したユダヤ人もいたといいます。 

 いずれにせよ、ユダヤ人は差別され特殊な境遇におかれていたために、かえって政治や経済において中心的な役割を担うこともあったわけです。 
 ポイントは、差別されたにもかかわらず居場所があったこと。そして、むしろ一般の人々以上に富や権力に接近しうる場合があったこと。さらにいえば、そうした居場所は前近代的な状況のなかでこそ可能だったのであって、近代の到来にともなって、彼らの居場所を支えた条件は徐々に失われていったということです。 

                  * 

 近代以前の社会というのは、おおむね共同体中心の、市場を周縁に位置づけるようなありようをしていましたが、それが逆転し、市場が社会の中心へと躍り出てくる趨勢を「近代化」と定義するのは、やや大雑把すぎるとはいえ、それほど外れてはいないと思います。端的に資本主義化と言ってもいいのですが。 

 そうしたなかで、人々はこぞって市場に参加していきます。そうすると、まさにユダヤ人と同じ土俵で競争しなければならならくなるわけです。 
 それまでは棲み分けられていました。しかし同じ土俵で戦うことになって、そこで差別が解消されればよかったのですが、そうはうまくいかず、差別は温存されます。そうするとどうなるか。市場からも排除するわけです。もちろんただちに排除が成功したわけではありませんが、居場所を追われるような空気が、まさに資本主義化とともに強まっていきます。 

 また、近代化とともに一民族一国家という考え方も強まってくるわけですが、そうすると、ユダヤ人は民族国家にとって不純な存在のようにもみえてきます。それだけでなく、ユダヤ民族はヨーロッパ全土に散在していたので、敵の国にいるヤツがうちの国にもいる、まるでスパイのようだということになったりします。 
 ようするに旧帝国の退場と近代国家の登場によって、それまでなら外交という活躍の場が残っていたユダヤ民族から、それさえも失わせる傾向が強まっていくわけです。 

 そのうえで最初に触れたこと、つまり、モッブたちが「あらゆる階級から零れ落ちて」いくときに、たとえば投機の失敗による大打撃などがあったということが思い出されます。 
 このとき、ユダヤ資本は依然として大儲けしています。そして依然として少なからぬユダヤ人が権力と癒着していた。しかも、強烈な汚職事件が発覚するわけです。パナマ運河疑獄です。 

 こうしてモッブのユダヤ人に対する憎悪は加速していきます。そもそもユダヤ人は金と権力の象徴であって、そうした金の世界、資本主義こそがわれわれを転落せしめた元凶ではないか。・・・こうやって、いわばモッブは「格好のターゲット」をユダヤ人のなかに見つけたわけです。関係あることないこと、みんなひっくるめて憎悪は加速し、そこに様々な妄想を巻き込んでいきます。 

 アレントは、自身がユダヤ人であるにもかかわらず、このときのユダヤ民族には必ずしも同情的ではありません。汚職や癒着をわざわざ擁護する必要はない。ただ、このめぐりあわせの悪さがのちの反ユダヤ主義の高揚を生んだこと、その不幸を理解すればいいのだろうと思います。 

                  * 

 ところで、ユダヤ人と非ユダヤ人の融和?をはかる動きもなかったわけではありません。「同化ユダヤ人」というのがそれです。この場合、ユダヤ人がユダヤ的な習俗を捨てて周囲に同化しようとするわけです。 
 一見真摯な態度に見えます。おそらく真摯なんでしょう。ところが、同化ユダヤ人に接したときの決まり文句はこうだったと言います。「ユダヤ民族はダメだが、おまえはいいヤツだ」と。 
 あるいみ個人救済の考え方で、差別意識が根強い場所では「ないよりあったほうがいい」とも思いますが、ただ、そんなものは民族絶滅政策のまえではまったく無力だったことがのちに証明されます。 

 それよりも、アレントは、同化ユダヤ人を誰が歓迎したかを問題にしています。同化ユダヤ人たちは彼らを受け入れてくれるサロンに居場所を見つたわけですが、世紀末のサロンとは一体どういう場所だったのか、と。 
 そこは私的な集まりです。そして、私的な自由を謳歌する空間でした。ところが、サロンの人々によれば、私的空間は社会の干渉を許さない不可侵の領域であって、まさに社会的には許されないこと、たとえば犯罪などを美化していい場所がサロンでもあったわけです。とりわけ世紀末以来の頽廃的状況にあって、サロンはそういう場所でした。 
 彼らサロンの人々がユダヤ人を歓迎したのも、ようするに危険なものを喜ぶ雰囲気からそうしたのだとアレントは見ています。そして、そうやって危険なものや犯罪を喜ぶ風潮は、全体主義の台頭を支える因子にもなっていくわけです。 

                  * 

 「起源」第Ⅰ巻の最後の章では、フランスで起こったドレフュス事件が扱われています。アレントは、これを「全体主義の予行演習」と言っています。ユダヤ人将校にスパイ容疑をかけ、法的手続きをすっ飛ばして投獄した冤罪事件です。 
 ユダヤ民族全体を対象にした事件ではありませんが、この事件をつうじて、とくにフランスでいえば前時代以来の遺産、「法の支配」という観念を反ユダヤ主義が突き崩した瞬間でもありました。まえに触れた「国民国家の限界」を語る1つのエピソードでもあるでしょう。 

 投獄に対する批判も根強く、そのいみでは反ユダヤ主義の突出がやすやすと許されたわけではありません。しかし、ドレフュス擁護派は結局のところ多数派にはなれず、誤審が明らかになったあとでさえ、フランス社会は後始末をずるずると先延ばしにし、自分たちの力で決着をつけることは最後までできませんでした。ここでドレフュス派は、徐々に敗退していったといえます。 

 事件に一応のケリをつけたのは首相クレマンソーの個人的な決断でした。 
 クレマンソーは、ドレフュス派で活躍したゾラを賞賛はするものの、ゾラが熱心に大衆に語りかけた点については警告を発しています。多数派-大衆がつねに正しいとは限らないのだ、と。 
 アレントは、ここで「たったひとりのクレマンソー」という表現をしています。 
 多数が従うものを「道徳」と呼び、多数がどうあれ個が問われる瞬間にそうあれというものを「倫理」と呼ぶとすれば、このときのクレマンソーは倫理的でした。その倫理的なクレマンソーをアレントは評価したわけです。 
 (「イェルサレムのアイヒマン」でのドイツ将校、アントン・シュミットの扱いも同様かと思います) 

 そうやって光輝あるエピソードを挟みつつ、ヨーロッパ全土にじわじわと浸透しつつあった反ユダヤ主義の高揚は、いったん収束します。ツヴァイクのいう「黄金の安定期」を迎えるわけです。 
 しかし、そのあいだに着々と全体主義を準備する条件が整っていくわけです。ここまで書いたこと、「起源」でいえば第Ⅱ巻がその話になります。 


                  * 

 くどいかも知れませんが、最後に反ユダヤ主義についてまとめのようなものを。 


 ごく素朴に言って反ユダヤ主義の高揚は、「まるでユダヤ人のように」貨幣に手をつけねばならず、それに翻弄された人々が、じぶんの自己否定的な意識をユダヤ人という他者に転化して発生してきたものだと言えるように思います。 

 また、自分自身が「根を失って」いる状況を否定し、自分にはアーリア人という根があるのだと言い、長いあいだ自分自身と同じように「根無し草」だった他者-ユダヤ人のほうを否定する側にまわるという、そうした回路もありました。 

 その際、自分を肯定しくれる神話なら「ウソでも」よかったわけです。そのウソは、まさに「自分たちは選ばれている」という選民意識であって、それは彼らにとって「敵」であるユダヤ民族から借用したものでした。 
 また、ユダヤ人が歴史を司る神を信じ、終末思想を信じていることを嘲笑っておきながら、自分たちはユダヤ人が歴史を操っているという陰謀史観を信じ、ユダヤ禍による終末を信じたわけでした。 

 モッブがすがりついた神話は「血の神話」です。これはもともと貴族階級に特有なものでした。貴族というのは昔から婚姻によって各国で結びついていて、これをアレントは貴族インターナショナルと呼んでいます。しかし、貴族における血の神話はその家系が守ってきた文化への信頼とも結びついていたはずですが、モッブたちは「ただの血」を信じました。 
 劣化コピーと言っていいでしょう。 

 さらにいえば、モッブたちは貴族インターナショリズムを憎悪し、ユダヤ人インターナショナルも憎悪したわけですが、種族的ナショナリズムに基づいて他国を侵略し、そうやって自民族がインターナショナライズしていくことは肯定しました。 
 敵に勝つためには敵と同じことをしなければならない、ということでしょうか。 

 ここに、処理すべき問題としての無国籍者たちの問題や、犯罪を美化する文化、あるいは植民地の経験などが重なっていきます。 

 そして、自分自身がゴミであるという意識に苛まれたモッブたちは、最後に「ゴミ掃除をやるんだ」という政治家と政党を拍手喝さいをもって迎えたわけです。