さっきのブログの続きです。
大学の授業も
七夕パーティーも
ブログ演習も
機能不全の原因は全て能動性。
これら全てをガバナンスというのであれば、
ガバナンスにはやる気が不可欠であって、
自分のやりたくないことを強引にやらせるのは得策とはいえない。
あ、決まったことをやらせるならいいよ?七夕とかで
でも企画の段階でアイデアを出したり…ってのは正直足を引っ張るだけ。
でもこいういう奴に限って後々になってから文句を言う。
嫌だったら決まる前に反対しておけよ!と。
今のところ、そういったことはないけれど(今更あったら困るのだが)
俺ら責任者に反対の考えを持っている人は少なからずいるようだ。
でも言わないからね。裏で愚痴ってるだけで。
それを改善しようとは思わないのかな?
言えばやらなくていいかもしれないのに。
ひとりごとには何の力も無い。
今日1年で愚痴ってた人がいたみたいだが、
彼らはこっちの会議に参加できないし、そこはスルーで(いいのか?)
1年の意見も取り入れられればいいと思うけどさ、
そういった場を設けることが出来ないからね。
掲示板もうまく機能してないし。
そんで俺らは話し合いの時に掲示板見てる前提で話を進めたりするから、
そんなの知らなかった、とか、そんな言葉が返ってくる。
授業中に「報告は掲示板で」って言葉をよく聞いたけど、
そこを見ないんじゃ話にならない。
やっぱそれも能動性・自発性の問題なんだよな。
ブログ演習に関してもこれは言えることで、
やらなきゃ駄目という義務感から書かれたブログは俺から見ても分かる。
ブログって意見を出す場だから、少なからず自分の経験とか考え方が表れてくる。
でも義務感にとらわれたブログって、
どこかのカーボンコピーのように見えて、無機質な感じがする。
考え方の枠があっても中身(個人の考え方)が無い感じ。
書き出しが遅いのも原因のひとつではあるけど
(すでに同じことを誰かが書いてて書きづらい)
それは書くのが遅かった自己責任であるし、
別に他人と被ってたって気にすることじゃない。
書くのが遅いってのはやっぱり能動性。
動かされないと動かない。
先生も大変ですね。
そういえばウィルキンソン先生も七夕の最終レポに関して
「一般じゃなくて自分が何をやったか具体的じゃないと面白くない」って言ってた。
ここまで授業やブログに関して受身なのは何故か?
やっぱ今まで受けてきた教育が受身だったからなんじゃないか?
高校までの授業や課題って与えられたものをやっていくタイプだったし。
能動性が発揮される場はあまり提供されてなかった。
(能動性といっているのに提供なのはやや矛盾する気がしますがw)
あっても文化祭くらいか。
あんぱんさんが
コメントくれたけど今までの教育で与えられるだけのゆとり被害者はこういう話し合いで
>みんな 『やる気もとうよ!』 とか 『お互い注意し合おうよ』 とか イミフな発言をしつづけるwwやる気もとうよ!と言われてやる気を出す人が何人いるだろうか?
やる気を持つだの、それ以前にこういう自発性が問われる場でどう動けばいいのか、
そういった教育が不十分なのではないか?
文化祭とか、そういった企画自体が自発性の教育の場なのかもしれないけど、
やり方が分からないんじゃどうしようもない。
だからといって授業で「自発性・能動性」の話をするのは馬鹿げているし、
これは教わるというより自分で自然と身につけていくものだと思う。
だったら大学に入る前から大学のようなスタイルの勉強を取り入れるべきか?
これをやると「デキル奴」と「デキナイ奴」の差がはっきりしてきて、
どっかの団体とか議員とかが猛反対するんだろうな。
てか日本って資本主義でしょ?
なんで今になっても足並み揃えていろいろやっちゃうわけ?
これって日本人の体質なのか?
自発性に関しては一人暮らしをしてる人は身につける機会は確実にある。
授業・バイト・サークルとか、それ以前に
飯を作るだの、洗濯をするだのといった生活レベルでね。
親と暮らしていたときと違って誰もやってくれないから、
自分でやらなきゃいけない。
飯には義務が伴ってくる(かもしれない)が、
掃除や洗濯に関しては自発性が関わってくるだろう。
飯を作るってのは俺が出来ていないんだがw
基本的に1日1食の生活が続いているわけだしww
飯めんどくせ。
まぁ、毎日元気に生きていますからご心配なく。
まとめると
大学に入ってから、勉強には自発性が必要になった。
しかし今までの教育や生活の仕方によってそれが養われることがなく、
与えられたもの(義務)によってしか動けない学生が増えている。
自発性というのは授業で学ぶものではなく
(そんな授業があってもそこに自発性が問われるという矛盾w)、
自分の経験から自然と身に付けていくものであるだろう。
大学の教育は学生が自発性を身に付けているという前提で授業を組み立てられている。
しかし今までの教育のやり方が受身であったために、
学生には自発性が備わっていない(または不十分)。
しかし大学の授業に関しては自発性を問われるものの、
評価の基準となるレポートや試験は与えられるもの(義務)である。
これによって学生は義務感に追われ、
本来の学習の目的を見失ってしまう。
この問題点からブログ演習について考えると、
学生が自発的であるかどうか(意欲・積極性)についても測ることができ、
理に適ったものであるといえる。
(その点を評価の対象にするかどうかは別の話であるのだが。)
やる気を出すのは個人の勝手。
でもそれのせいで先が見えなくなるのも個人の勝手。
自発性が問われている限り、それは個人の責任であって、
他の人(例えばレポート出題者)のせいにするべきではない。
でも自分のやる気のなさによって他人のモチベーションを下げるのだけはやめてほしい。
例えば「レポート見せて」とか。
自分の努力が何だったのか分からなくなる。
(どーしても分からない場合はおいておいて。)
そこでよく聞く言葉。
「ともだち」
友達は利用するための道具ですかそうですか。
なんていうか、心のつながりが希薄だよね、この文脈の「ともだち」。
「世の中うまく渡った奴の勝ち」って今日
誰かさんが言っていたけど、
それは間違っていると思う。
みんながそんなこと思い始めたら世の中腐っていくと思う。
コミュニケーションスキルズを絡めていうと
大学という大きなチームは自然発生的に生まれたものではない。
だから組織自体は大きいものの、ここでもteam buildingの考え方は通用して、
その中で自分の役割を探す必要がある。
それは誰かが与えてくれるものではなくて、
自発的に探す必要がある。
授業は違えども、習っていることには共通点が多い。
それに気付けば自分なりのビジョンを構築できるのではないか。
ガバナンスとは何か?
ブログを書いてみて
と絡めて、みんなの意見を分析して自分なりの意見を書いてみた。
上のどちらも提出期限は過ぎているし、そのカテゴリに入れるつもりはありません。
でも「学生とは何か」「なぜ学校へ行くのか」
そういったことを考えてもらいたくて投稿させてもらいます。
ブログっていうかレポートですね、これは