最近、自分の仕事の中で、休みがちな子どもたちと関わる機会が増えています。

彼らの様子を見たり、保護者の方とお話ししたりする中で、少しずつ自分の考え方が変わってきました。


僕の担当としては、「子どもたちを学校に行けるようにサポートする」立場です。

だけど、関わっていくうちに、**「そこまで無理に行かせなくてもいいんじゃないか?」**と思うようになってきたんです。




たとえば、ある子は勉強もよくできて、学校に来たら友達とも仲良く過ごしています。

学校から帰ったら友達の話をしてくれたり、友達が家に遊びに来たり。

でも、次の日の朝になると、なぜか体が重くて、学校に行けない。


本人も「なんでかわからない」と言います。

でも、朝はちゃんと起きているし、生活リズムが乱れているわけでもない。

お父さんは家で算数を見てくれているし、お母さんは毎日連絡帳を届けてくれる。家庭の中でのサポートはしっかりしているんです。




そういう子を見ていると、**「学校に行くことが正解で、休むことが間違い」**とは、もう言えなくなってきました。


もちろん、義務教育なので「行かせなければいけない」という制度の枠はある。

でも、実際に目の前の子どもたちと関わる中で、**その子のタイミングで、少しずつ前に進めればいいのでは?**と思うようになりました。




僕自身、去年はうつ病で1年間休職しました。

当時は本当にしんどくて、朝が特に辛くて、昼からようやく動ける日もありました。

「こんな自分が迷惑をかけている」と悩んだし、「戻れなかったらどうしよう」と何度も思いました。


でも、休んだ時間の中で、自分と向き合えたり、X(旧Twitter)を通じて新しい情報を得たり、興味のあることを探せたり。

振り返ってみれば、「あの時間があったから、今の自分がある」と言えるくらい、大事な時間でした。




そんな経験をしているからこそ、今は「無理せず休んでもいい」と自然に言えるようになったのかもしれません。


そして、ふと振り返ってみると、僕は学校をほとんど休まず通ってきました。

でも、今になって仲のいい友達がたくさんいるかというと…正直そんなにいません(笑)。

職場では話せる人がいますが、プライベートでつながっている人はほとんどいない。


それでも、今こうして家庭も持って、仕事もできている。

つまり、「友達がたくさんいる=幸せ」「学校に毎日行く=成功」というわけでもないんだと、自分の人生を通して感じています。




最近では、「令和型不登校」と言われるような子どもたちも増えてきました。

学力もあり、生活も整っていて、でもなんとなく学校には行けない。

それでも、親子で学びを続けたり、ICTを使って自宅で学習したりしている子どもたちもいます。


また、全国にはフリースクールや、新しい形の高校も増えてきました。

岡山の「手打ちノート研究所」さんの取り組みなどを見ていると、「学ぶ場」は本当に多様化してきたと感じます。




もちろん、家庭に問題があったり、生活リズムが乱れていたり、友達関係に課題を抱えている子には、きちんとサポートをすることが大前提です。

社会的な支援や機関とも連携して、しっかり動く必要があります。


でも、環境が整っている子には、「自分のペースで生きていく」ことも選択肢の一つとして認めてあげたい。

そういう考えを、僕は今、大切にしたいと思っています。




子どもたちはそれぞれ違う背景と個性を持っていて、同じようには育ちません。

「とりあえず学校に行けたらOK」ではなく、子ども一人ひとりが「自分の力で、自分の道を選んでいく」。

そんなサポートができる大人でありたいと、今は心から思います。