読んでくださっているあなた様。

前回ブログから心配をしてくださっていた皆様。

本当にご心配をかけてすみません。

m(_ _)m💦


うーんと……わたしは文章が下手なのでありのままを書きます。


わたしは高校3年生の時に育ってきた環境から

専門学校は反対されるとわかっていたので

秘密裏に外語専門学校の先生と連絡を取り

『奨学金がなければ通えないこと』

『中国の二胡などの音楽文化が好きで、中国語の通訳になりたいこと』

それを相談して、専門学校の進路担当の方に奨学生としての入学。そしてもし親からの反対があれば説得をしてくれると約束をしていました。

わたしの高校はエスカレーター式に短大へ上がることができ、学年の半分近くは『食物栄養学科』という卒業時に『栄養士』の国家資格を得ることができる短大へと進学します。


高校3年生の進路決定時。

わたしは親を自ら説得もして外語専門学校へ母と体験入学もして、担当の方にも奨学生の話をしてもらい地固めができていました。

しかし最後の高校での三者面談時に担任の先生から

『娘さんなら栄養士に向いていると思います』

そう今まで話したこともない提案がなされました。

しかも無利子の奨学金付き。


初めは母は『カルタの好きな道に進んでいいよ』と言ってくれていましたが

ある日『まぁ栄養士の方が就職確実だよね』と何気に言われました。

それから親戚たちにも言われ

意志が弱い……のもありますが、物心ついた頃から

『家族のために生きる!』

そう自分をがんじがらめにしていたわたしには、周囲に逆らうことができませんでした。


『反対されても貫けない程度の夢』

とか自分を責めたこともありますが

今まで育ってきた環境、奨学金で通う高校など

わたしにはわたしの道を歩く権利が与えられていると、生まれて一度も感じたことはありません。


情けないながらわたしは担任の言うまま短大に進学を決意。

母も親戚たちも喜びました。


『これでいいんだ』

そう自分に言い聞かせましたが、担任に最終進路を伝える前くらいから、心にヒビが入った感覚がありました。


そして短大入学。

1ヶ月も経たず、まともな授業を受けることもないまま、私の心は限界までヒビがいっていました。

短大にはウッドテラスがあったのですが、わたしは毎日そこから屋上を眺めていました。


ある授業中。5分も経たないうちにトイレに行きたくなりました。

わたしの心がSOSとして体に発信したのは頻尿でした。

母と同年代くらいの方が同級生にいらしたのですが、その方に時間を尋ねると嫌な顔をされました。

当然です。

高い授業料を払い入学したのにわたしのせいで授業が5回は中断していましたから。


わたしはその目が未だに忘れられません。

けれどその方に感謝もしています。

短大を退学する決心がついたからです。


それから色んな人に止められたりしながらも

わたしは約1ヶ月で短大を退学しました。


『これで救われる!』

なんて考えは甘くて、退学をしたあとの周囲の反応。

そしてなにより、自分にとって『退学』というのは思いも寄らないほど深い傷となり、心を粉々に壊して『本物の挫折』というものをしたのだとわかりました。


3月〜6月位まで、もう20年以上前の出来事なのに、未だにこの出来事が深いトラウマとなって表に現れることがあります。


この数年はわりと落ち着いていましたが

今年はこのトラウマが再発(?)しました。


何度かブログは書いていましたが

公開ボタンが押せなくて

いつも消去していました。


それがずっとお休みをしていた……まだするかもしれない理由です。


ちなみにこのことは母も誰も理解してくれません。

『専門に行っても、高校生時代に強迫性障害だったんだから、結果は同じじゃないか』

そう言われたことがあります。


たらればなんて確かに考えても仕方ない。

でもわたしにとって『家族を守る。母を守る』という人生を歩いた先が今だということは

本人たちに気づいてもらいたいな……と贅沢かもしれないし、自分勝手なんだろうけど思います。