循環を実感する暮らし

 

たとえば

畑をするために

土づくりから、昆虫や微生物のはたらきを知り

植物の成長をみて

自分たち人間の身体にとりいれる

 

たとえば

動物を飼って

その糞から堆肥をつくって

土に還元し

牧草や野菜を育てる

乳からはおいしいチーズや乳製品をつくる

 

そんな循環を把握できる暮らしだったり、

共同体という中での

人間の動きだったり…

 

ひとつの生命体として生きていると実感することは

大切なことに感じる

 

なぜ大切に感じるのだろう?

 

ひとつの生命としてつながっていると

実感しながら生きていれば

相手を攻撃して傷つけたり

自然を破壊することにつながるようなことは

しなくなると思われる。

 

 

戦争の原因が

何かを守るためだとしたら

 

領土や資源を守ろうとするのは

国と国との分離の感覚があるからだし

 

人と人との間に分離の感覚もあるだろうし

人と自然との間にも分離の感覚があるからかもしれない

 

「自分が傷つくのが恐い」から壁をつくり守ろうとしたり

攻撃したりする

 

心にひそむ恐怖や孤独感をみていかなければならない

こわがらずに恐怖と向き合い感じる勇気が必要と思わざるをえない

自己価値感の傷も。

 

 

もはやそこに分離はないのだけれど、

 

まずは

身近に把握できる「循環を感じる暮らし」に身を置くことは

「生きる」ヒントになるのではないか・・・

 

ブレイクスルー(突破口)になるものがあるのではないか・・・

 

 

個としての個人性がたつことと

共同体としてつながりを実感することと

両輪がまわりだす

 

 

 

 

 

 

 

5年前

千葉県の山で

 

森のおじさんと出会い、

 

開墾が始まりました。

 

 

 

 

私は当時30歳くらいで、

農業の研修や、バイトを続けた後、

 

森に興味をもつようになっていました。

 

 

森のおじさんは、

当時、

森に入って37年くらい

70歳くらいでした。

山林を所有していて森が大好きなおじさんです。

 

私は、子供のころから

森で暮らしたいと思っていました。

ネイティブアメリカンの暮らしに興味を持って

アメリカの学校に行ったりていた私は、

森への想いが最高潮に達していました。

 

森のおじさんの心広い歓迎により、

私はおじさんの梅畑の一角を借りて、

 

アルバイトをさせてもらいながら、

テント暮らしを始めました。

 

10月に入ると、

冬に備えて

木の栄養が根に向かい始め

木の伐採に適した時期になります。

 

10月~2月のできれば新月に伐採すると、

それが一番木に水分が少なく、

長持ちするような材になります。

 

 

森のおじさんは

独学で、

ログハウスを何十軒も建てていて、

その時も、

ログハウス建設の依頼があったことで、

私もその仕事のお手伝いをさせてもらいながら、

建築をはじめおじさんの学んだ知恵を学ばせもらうことになりました。

 

つづく

テーマ:森暮らし

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できれば重厚な森

 

大木をはじめ

たくさんの種類の木が育ち

たくさんの虫

動植物

菌類

 

命のながれを

重厚に感じられる

大自然の中にある

 

そんな場所でリラックスできるところで

 

 

どう過ごすと自分にとって

健康を感じるでしょうか?

 

私はたまに散歩もして写真をとったりしますが

椅子に座って

緑の中で

じっと座ってぼっーとしている時

自分がどんどん健康になっていく感じがあり

好んでいます。

 

 

緑の中で座って

ぼっ~っとして

意識をゆるめて

リラックスすると

 

 

森のリラックスした命の流れに

浸る意識へとシフトし

森全体が

自分の体内のように感じられます。。。

 

鳥の動き、声、命の動き、流れ、エネルギー

それが体内で起こっているかのような

そんな感覚

 

 

逆に、

普段そのような意識でない状態で過ごしていたことが

とてつもなく

森のいのちの流れからはみ出して

逆らって

いたようにさえ感じられる

 

そのリラックスのいのちの流れと

一体となって

過ごす

 

一瞬一瞬

そんなことに

いのちを懸けて

過ごしたい

 

それだけでいい

 

と思ったクローバー

 

 それ自体が祈りなのかもしれない。

 

 

森は

命の流れを

教えてくれる

 

森は

平和を

教えてくれる

 

森は

清浄さを

教えてくれる

 

木の大切さを

教えてくれる

 

虫の存在を

教えてくれる

 

風にのって

いろんな

におい

 

いろんな

 

自然に深呼吸している

 

 

リラックスについて

教えてくれる

 

いかに不自然だったか

教えてくれる

 

何が不自然で

何が自然なのか

 

不思議なきもち

 

心地よい

楽園のようだ

 

各々が

いろんな生き方で

自由に

 

でも

一瞬一瞬を

必死で

全力で

生き抜いているのだと

 

 

そして

 

すべてが

まわっている

 

 

教えてくれる

 

 

 

森にしばらく滞在

(十分心も身も、森を満喫)

してから、

現代的な環境に戻ってくると

 

心が洗われた感じがある。キラキラキラキラ

 

いつのまにか高揚感、恍惚感がしみついている。

 

きもちや思考も健康的に感じられる。

 

森の「清浄さ」と、「正常さ」に浸って

 

おいしい

 

いろんないい匂いのする

 

重厚でできたての酸素を吸って

 

自然に深呼吸しちゃって・・・

 

気持ち良い風を感じて

 

神々しい新緑を目に焼き付けて

 

美しい鳥の声や風の音を聞いて

 

薪の直火、おいしい井戸水で炊いた

エネルギー満天の羽釜ご飯をはじめ

美味しいごはんを食べて

 

薪で沸かした風呂に入って

 

リラックスして・・・

 

その後

都会に行くと

 

その違いにびっくり・・・

 

身近に触れられる生命力の違いが凄まじい・・・

 

 

すぐに森が恋しくなるぐすん

 

 

 森がないと生きていけない…

 

 

森の良さを知らないなら

1週間滞在すると

わかるのでは?

 

 

 

 

人間は森のいろんな生き物に支えられ、

守られて生きている

 

それを知った人間は

きっと

森を守ろうとする

 

そうして

自分が元氣に生きられるし

他の動物や植物や昆虫、菌類も

ここちよく喜んで

生きると知っているから…

 

虫を殺せば

自分の首も絞めている

と知っている人間は

数少ないように思う

 

 

 

 

 

半年間インドに行って

日本に帰ってきて

 

とてもびっくりしたことがある

(逆カルチャーショック状態)

 

バスに乗った時に見た

「頭上に注意」

という看板・・・

 

 

その他にも、バスの中には色々な注意書きでいっぱいだった。

 

 

 

これは、本当に必要でしょうか?

この席は1人掛けです

 

なめてるんかびっくりマークはてなマーク

 

 

もちろん、

インドでは、

頭上に注意することに対する

注意書きなど

ない

 

 

 

頭上に注意なんて、

誰かに言われなくても

注意する人は自然にするものだろう笑い泣き

 

 

 

日本の文化は丁寧で素晴らしい本質があるけど

過剰になると何事もおかしくなる。

 

 

私は、たくさん注意書きが貼ってあるのが嫌いだ。

 

笑い泣き

 

 

 

念願だったウポポイに行って来ました。

フェリーに乗る前に寄ったので、時間が限られていて、少し駆け足になってしまいましたが…

 

とってもよかったよ!

 

 

場所は思ったよりも近代的で、立派すぎる博物館が、とても静かな湖の側に建っていました。

 

博物館に展示されてある、道具の数々…

ひとつの木に対して、木の性格を熟知し特徴を掴んで、とても丁寧につくられたものだというのが伝わってきました。

どの展示物からも、その物に対する丁寧さと神聖さが伝わってきました。

 

この神聖さの感覚はどこからくるのだろう・・・?

・命が宿っている感じ(心/いのりがこもっている)

・清浄な感じ

・バランスが整っている(その命が活かされているような感じ)

・丁寧さ

・違う空氣感

 

神聖さにはこんな特徴が感じられました。

 

 

 

いろいろな映像も流れていて、

特に熊の霊送りの儀式に感動して泣きそうになりました。

大切に育てて、本当に大切に送られていた。みんなにあんなに円を描いて踊ってもらったり遊んだりしてもらい、人間への恐怖など感じることなく送られるんだろうな…

 

恐怖を感じさせてしまうやり方がきっと近代の世界の動物との向き合い方だけど、本来違うよな、と。。

 

それから鯨踊りは、少し笑いそうになってしまったが、、、踊りと歌が日常にあることって、とてつもなく大切なことに思えた

 

音や全身で表現する大切さっていうか…

 

どうして現代、日本ではみんなで歌って踊ってという祈りの時間を持つことが失われたんだろうと不思議に思う。。

 

伝統芸能上映では、すごい迫力があって、これまた泣きそうになった。

歌と踊りには祈りが込められていて、とてもパワフルな力を感じた。

 

ネイティブ・アメリカンのうたにとても似ていた。

結構、マジ(本気)で本格的だったので感動した。

 

アイヌの伝統的な植物や動物に対する知恵についてもっと学びたいなと改めて思った。

また帰りにじっくり寄ってみたいです花

 

 

 

山々には、水が流れる沢がありますが、

その沢沿いの急斜面に行くとびっしり出ている

行者ニンニク(別名:キトピロ・アイヌネギ)・・・

 

北海道で、生え始めが見られるのは、4月15日前後からでしょうか・・・

 

そんな絶壁のような急斜面に生える行者ニンニク・・・

育っている環境で、

その植物のたくましさが伝わってきます・・・

 

今年は、毎日連続で食べてみました・・・

 

効能:滋養強壮・精力増進

 

以上!

 

といっても過言ではないくらいでした。。。

魔力を感じました‼︎

 

薬草図鑑などでこのような言葉だけを見る場合、

元氣がでるのかな?くらいに思っていたのですが、

 

私は、精力や滋養 イコール 性欲 

表しているのではないかという

感想をもちました。(もしかして常識でしたか?)

 

春だからなのかな・・・と思ったのもつかの間、

そういえば、行者ニンニクかもしれない!とびっくりマーク

 

性欲は、人間のあたりまえで、自然に備わった精力だと

思いますが、

恥ずかしいこともあって、

なんとなく

隠したり、抑圧されている面が、

多少なりとも現代の文化にはあると思います。

 

江戸時代の文化を実際に知りませんが、

今より性的な文化が抑圧されていなかったのなら、

もっと元氣な日本だったのではないだろうか。

 

性欲イコール生命力そのものなんだなと

行者ニンニクに教えてもらいました。爆  笑

 

これを抑圧していると(その文化など)

元氣がなくなるんじゃないか

 

って真剣に思いました。キメてる

 

隠すことでも

恥ずかしがることでもないよなぁって

 

生まれ育った環境の中で、身についた抑圧している部分も、

 

もっと自由に

 

表現して

 

解放していけたらなぁって

 

思いました昇天

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、山に

行者ニンニクを採集に行きました。

 

行者ニンニクは、沢沿いの谷の

急斜面を好んで生えているので、

 

太もも筋、フル活動でした気づき

 

私の体は、このように

野性的なことをしている時

喜びを感じるのだと

 

改めて感じました。

 

こうやって太もも筋フル活動する

動きをするだけで

健康的だなぁって感じます。

 

 

そもそも山の中を歩くことが好きで、

 

その酸素を吸うだけ

 

木々に囲まれているだけ

 

鳥の声を聴くだけ

 

それだけで

 

気持ちがHappyになります。

 

森、自然が大好きなのは

リラックスできるから・・・ニコニコチューリップ黄

 

 

 

これは特に私にとってなのかはわからないけど、

 

どんなタイプの人でも、

 

もしも、過度に疲れている時は

 

いったん

 

ひとりの時間を持つ

 

ということは

 

自分をリチャージできる

 

大切な機会なように思えるんです。

 

そして、そんな時、

自然は本当にたくさんのことを教えてくれる気がする。

 

不自然なことをしない

自然体である

ということ

これがいかにストレスにならないことかと思う。

 

 

 

身体がどんなことで

喜ぶのかは

人それぞれだけど

 

そうやって

体の心地よさ

体感の喜びを

深く味わたい。