私はドラマであんまり感動したことがない。

いいドラマを見たことがないんだろうか。

ここは泣くシーンなんだろう…と思うと、白けてくる。

本当に辛い人って、多分こんなに語ることもできないのに、悲劇のヒロインであることに自己陶酔しているように見えて、何故だか気分が悪くなってくる。

本当に大変な人は、うまく喋れず、相手にうまく伝えられず、誤解されて…あるいは人に話せる内容ではなかったり…

もしくは、喋ることさえ出来ず、コミュニケーションもできず、理解されず生きている人なのだろうか…。
もしくは、記録にも残らず、存在も努力も知られずに死んでいった人なのだろうか。
誤解されたまま死んでいった人なのだろうか。

まぁそんな人間はドラマにもなりはしない。
なったとしてもフィクションで、本当の心の内や苦しみなど誰にも表現などできないのだろう。
だから、的はずれな自分で作り出した苦労や悲しみや悲劇は、なんの感動も産まない。
だけども、テレビでは平然とそのような下らない話でお涙頂戴で、日本の作る感動の質はレベルが低いなと思う。

例えば、誰かを殺してしまった苦しみなど…
容疑者Xの献身などを観ても、結局はどれだけ演技が素晴らしくても、話が面白くても、殺された路上生活者の人が一番の被害者であって、そこで主人公が悲劇のヒロインになろうとしても、お涙頂戴の演技をしても、やはり主人公は自己中心的としか思えないのである。
路上生活者もひとりの人間であるし、彼にも人生がある。
(でも、路上生活者に焦点を当ててドラマを作ったら、きっとなんのドラマも起こらないw)

そう思いながら、ベットで弟をだっこしながら、弟がただ点けているだけのテレビを横目で見て、

私は何も感じない。

私は微塵も何にも感じない。

ということを感じる。

もし私が感動シーンで「こいつ(役)気持ち悪いな」とイラっとして勝手にテレビ消したりしたら、ごめん。
ドラマなのにイラっとしてごめんw
ドラマってそういうものなのにさぁ。

私が突っ込んでしまったら、ドラマにならんし、ドラマの尺が余るわw

だから、私はドラマを観るよりは、戦国時代の話や江戸・明治・大正の文学でおもしろいものを読んでいる方がよっぽど身になるし、有意義な時間を過ごせると思う。

人それぞれなんだけど、ふと、そう思った。