私は40年以上前の、第二次ベビーブームの時に、田舎町で生まれた。

1クラス45人程度で、小学校は6クラス、中学校と高校は12クラスもあった。

 

母は個人病院で私を出産した。

私が生まれた日に、父方の祖父母が診療所に駆け付けた様子が、

育児日記に記されていた。

結婚の契りを交わした男女が子を成す。

それはごくありふれた光景だった。

 

産婦人科は生命を誕生させる場所である一方で、生命を絶つ場所でもある。

今でこそ、妊娠22週目以降の中絶が法律上禁止されているが、

当時は妊娠7か月まで中絶が許されていた。

 

それは厚生省の通達で「妊娠7か月の胎児は、母体外で生存できない」

とされていた為なのだが、実際は大きく食い違っていた。

 

妊娠7か月の胎児は、身長35センチ、体重1000gに達し、

既に手足の運動が顕著となり、顔立ちもはっきりしてくる頃で、

この頃に中絶しても、胎児は未熟児として生きていける可能性があったのだ。

 

妊娠7か月の胎児を取り出し、放置する。

泣く胎児が、凍え死ぬまで待つ。

 

これを見て、

 

「自分の手で殺してしまった。命を守るためにこの職に就いたのに…。」

 

と自責の念に駆られる男が居た。

 

その名は、菊田医師である。

 

菊田医師は、胎児を殺さず、皆が幸せになる方法を模索した。

そこで考えついた策は、菊田医師自らが、法を犯す方法であった。

 

菊田医師は、子宝に恵まれない夫婦を探し出し、

その者を”実親”として記載する、虚偽の出生証明書を作成した。

 

当時の養子制度は、実親と実子の親子関係が存続する養子制度しかなく、

出産を秘匿したい実親にとり、これは不都合であった。

その為どうしても堕胎したいと懇願する患者が後を絶たなかった。

 

菊田医師はどうにかして患者に産む選択をしてもらう為、

不妊治療をしている夫婦に養親になってくれないかと打診したり、

地元紙に養親の募集を掲載する等して、養親探しに奔走した。

 

菊田医師は、もらい受ける両親が子を育てるのにふさわしいか

厳しい審査を行った。

人格、夫婦仲、経済力、住環境など、詳細に検討し決定した。

 

更に菊田医師は、養親にも、腹帯をまかせ、妊婦のふりをさせた。

そして出産前には養親にも入院させ、別室で実親が出産するのを待たせた。

実親、養親間で互いの身元は一切知らせなかった。

 

菊田医師は、実親に、男の子なのか、女の子なのかも知らさなかった。

実親は子の顔を見る事も、子に乳を与える事も、子を抱く事すら許されなかった。

実親と子との間の、情と絆は、胎児が母体から出ると共に、断ち切られた。

子が生まれるとすぐさま、別室に居る養親に引き渡された。

 

菊田医師は、15年の間に、100人の赤ん坊をあっせんする中で

自身の犯した法律違反がバレるのを恐れていた。

 

ある日毎日新聞が取材に来たので、

菊田医師は、1面トップで扱ってくれることを条件に全てを打ち明けた。

 

そして

「妊娠7か月ではもう中絶はできない。

しかし、産んでもらうには戸籍の問題が大きな壁だ。

法律の特例を認めて欲しい。

人を殺すのと、法律とどっちが大事なんだ。」と訴えた。

 

これでたちまち菊田医師は、時の人となり、マスコミの取材が殺到した。

1973年、菊田医師は参議院法務委員会に参考人として招致され、

こう言い放った。

 

「“殺す”という表現は穏当ではないかもしれませんけれども、

7か月、8か月の人工中絶という事は、イコール殺人なんです。」

 

後日菊田医師は、産婦人科医が作る、

後日日本母性保護医協会 宮城県支部に呼び出され、

仲間の医師から、激しい非難を浴びた。

 

「7か月の中絶は認められている。

それが殺人と言うならば、君以外の産婦人科医は、皆、殺人者という事なのか!」と。

 

この点ノンフィクション作家の舟越健之輔氏は、

 

「菊田医師は、”個人”で闘ったんですよね。

どこどこの附属大学病院ではなく。

 

地方の産婦人科医が、

組織とのろしを分けて、

マスコミに乗って、世間と組織と闘おうとした姿勢が、

(仲間の医師は)許せなかったんでしょうね。」と分析している。

 

菊田医師は自分の考えが間違っていない事を裏付けようと、

産婦人科学の文献を読み漁った。

1972年のリポートでは

「妊娠7か月の胎児は母体外での生存が可能である」という研究報告がなされていた。

 

菊田医師は自信を深め、自身の著書の中で訴え続けた。

 

味方が誰一人いなくなった、菊田医師の唯一の拠り所は、マスコミであった。

しかしこれが国と同業者の反感を買ってしまう結果となった。

 

1975年、菊田医師は、日本母性保護医協会、日本産婦人科学会から除名された。

開業医としては致命的であったが、

それでも菊田医師は赤ん坊のあっせんを止めようとしなかった。

 

1977年、敵はいつも同業者だった。

愛知県産婦人科医会が、地検に菊田医師を告発した。

菊田医師は、公正証書原本不実記載及び医師法違反で、家宅捜索され、

カルテ、養親からの感謝の手紙などの書類、が押収された。

菊田医師は地検の対応に対し、養親の身元がバレるのを恐れてた。

 

地検の捜査によると、赤ん坊のあっせん件数は220件にも上ると判明した。

 

1978年、菊田医師は、略式起訴で罰金刑の判決を受けたが

くじけるような性分ではなかった。

 

国内での活動の道を絶たれた菊田医師は、

受け入れ態勢のしっかりしたアメリカの国際養子制度に活路を見出した。

 

菊田医師は赤ん坊の事を考えたら、

アメリカの国際養子制度が一番ラッキーだと考えていた。

 

何故なら国際養子を受ける養親は、半年から一年の厳しい教育を受け、

犯罪歴がないか、子供部屋があるか等の調査をされるからである。

 

菊田医師の元で生まれた130人の赤ん坊が、国際養子としてもらわれていった。

 

その後も菊田医師の受難は続いた。

1979年、医道審議会の報告を受けた厚生省から、

業務停止6か月の処分を受け、菊田医師は実質廃業状態に追い込まれた。

 

それでも菊田医師が最期まで執念を燃やしていたのは、

“実子特例法”の制定(→養子を実子として届けられる)運動であった。

 

この熱意が実り、法制審議会の議題に乗せる事ができた。

 

中間報告で発表された法案の9割は、菊田医師の意思が反映されていたが、

残りの1割に菊田医師は納得がいかなかった。

法案が、産んだ母親の戸籍に記録が残る内容となっていたからである。

 

菊田医師は戸籍についてこう述べている。

「日本の戸籍は、女性のプライバシーについて非常に残酷でありましてね。

未婚で子供を産んだなんて、みんな記載されなければならない。

全然関係ない人にもそれを露わにできるわけですよね。」

 

晩年、菊田医師は大腸がんを患った。

病床で、「一体いつから命は始まるのだろうか」と考えるようになった。

 

命の終わりが心臓死か脳死か、解明できないように、

意思表示をしない胎児の命が”いつ始まるか”が分からない。

 

自分の手の中で中絶した胎児が、夢の中で菊田医師に問いかけてきた。

 

「どうして殺したのですか?

どうして生きられなかったのですか?」と。

 

菊田医師は、命の答えが見つからず、

死の直前に洗礼を受ける事にした。

 

菊田医師の全ての要望を満たした条文ではなかったが、

養子を実子として届けられる特別養子制度が1988年に施行された。

 

更に1991年、菊田医師の死の5か月前に

優生保護法による「妊娠中絶期間が22週未満」に短縮変更された。

 

国内では孤立した菊田医師であったが、

国外での評価は高く、

死の4か月前には、マザーテレサに次ぐ「世界生命賞」を受賞した。

 

1991年8月、菊田医師は黄泉の国へと旅立った。

 

たとえ法律違反であったとしても、

菊田医師が自身の医師生命を捨ててまで、

人の命を救った功績は大きいと感ずる。

 

そう思わせるのは、菊田医師の美しい心ばえにある。

 

「そもそも、菊田医師が産婦人科医の道を選んだのは、

当時『ベビーブーム』と『人工中絶自由化』の影響で景気が良かったからだった。

 

高額所得者の常連となり、人工中絶は重要な収入源となった。

ところが、良心まで偽る事はできなかった。」

 

人工中絶は“罪”と指摘する聖書の教え。

その為、菊田医師も産婦人科医になってしばらくは、

聖書に背を向け、信仰を手放したと話していた。

 

しかし「神がどこかで中絶する私の姿を悲しい目で見つめているのではないか」

と考えるようになり、

罪滅ぼしの為、残りの人生は子どもの命を救うために使うと決意した。

 

また中絶を免れ、やっとの事で生まれてきても、

障害があったり、肌の色が違う事で、里親が見つからない子供たちもいた。

その行き先として、菊田医師は、度々あるアメリカ人宣教師の夫婦を頼る事になった。

 

彼らは実子の他に何人もの養子を育てていて、

どんな子でも喜んで引き受けると言ってくれた。

そのアメリカ人宣教師の言葉に、菊田医師は大きく影響を受けた。

 

「前科何犯の凶悪犯の子供でも、もちろん結構です。

何故なら全ての子供は生まれた時は神によって与えられた

清浄な真っ白い心で生まれてくるからです。

 

その心が悪くなるのは社会が悪に染め、

それを父母の愛がぬぐってやらないからです。」

 

彼らの存在によって、菊田医師の信念は、次のように揺るぎないものになった。

 

「私は彼の言葉の中に、赤ちゃんの幸福とは何か、

真の親とは何か、養親の資格は財産、地位、名誉よりも

この子に変わらない愛を注ぎ、育てる人間こそ

赤ちゃんにとって最もふさわしい事を教わった。」

 

菊田医師の診療所で、救われた命は実に220人以上。

子供たちは日本全国、海外の里親にももらわれていった。

 

菊田医師の手記には、その内の一人と偶然、

会う事が出来た時の感動も記されている。 

 

「アメリカへ行き、帰路、ハワイに立ち寄り、あけみちゃんと会う事ができた。

空港で3歳になった彼女が、私の頬に何回もキッスをしてくれた時、

思わず涙がこみあげるのを感じた。」

 

「命あっての物種」

 

「あの時の命」の多くは今や立派な大人になり、世界中で羽ばたいている。

いつか彼らも愛すべき人と出会い、その者との間で子が生まれ、

その子が次世代を担っていく。

もしあの時中絶していれば、未来はなかった。

 

妊娠7か月の胎児を「殺せない」と思った菊田医師の目には、

彼らの将来が見えていたのかもしれない。

 

人の命を取り上げる産婦人科医。

 

菊田医師は産婦人科医としての免許を取り上げられたが、

菊田医師を知れば知る程、

彼こそがその名にふさわしい人物だったと思えてくる。

 

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ビックリマーク最後までご覧下さりどうもありがとうございますビックリマーク

ここでほっと一息コーヒー

 

菊田医師の話は、大学3年の講義で初めて聞きました。鉛筆

私は法学部に入学したのですが、学部を選んだ理由が、

裕ちゃんと同じがいいから」でございました。富士山

 

当時石原裕次郎さんのファンだったんです。赤薔薇赤薔薇赤薔薇

 

裕次郎さん法学部だったから、私も法学部を選ぶという、ゲロー

そんなアホな動機ですから、やる気ゼロショボーン

 

私は「本当は語学が好きだったのに~音譜音譜音譜

今更何ゆうてるねん状態でございました。

 

でも唯一、菊田医師の話だけは、カラオケ

目を輝かせながら聴講致した記憶がございます。乙女のトキメキ

 

菊田医師の我が身を捨てて人に尽くす姿に打たれたんです。ふんわり風船星

 

勿論この事件が起きた頃は赤ん坊でしたので、手

大騒動になっていたとは存じませんでした

 

皆様の中で、こちらの騒動をリアタイで、ランニング

ご覧になった方もいらっしゃるのでしょうかはてなマーク

 

リアタイで観たよ!」という方がいらっしゃいましたら、晴れ

コメント欄お聞かせいただけると嬉しいです。お願い

 

 

菊田医師のご本はコチラ

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舟越健之輔氏が騒動を書いたご本はコチラ

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フィクションになりますが、関連の小説映画でございます。メラメラ

(「八日目の蝉」(角田光代さん

 

不倫相手との間にを宿したが、堕胎をし、えーん

以後子供産めない身体になってしまった女は、うずまき

衝動的に不倫相手のの子を誘拐し、逃亡を続けながらその子を育てる。ゲラゲラ

 

…というセンセーショナルなストーリー展開となっております。ゲッソリ

 

母性」をテーマとした作品で、ラブラブ

第2回中央公論文芸受賞作でございます。星星星

 

映画では、永作博美さん誘拐犯役を演じておられます。ロケット

永作さんはプライベートで出産経験後の作品だそうです。

 

試し読みできます。

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な、なんと、菊田医師の実話を元にドラマ化されているそうですビックリマーク

 

ブロガー様taospueblo1999)からご紹介いただきました。ドキドキドキドキドキドキ

 

ドラマのタイトルは「都会の森 」(1990年TBS)

主演の高嶋政伸さんは、弁護士役を演じているそうです。

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晴れ都会の森」をご紹介下さった 星星星

 taospueblo1999ブログコチラでございます。

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taospueblo1999さんのプロフィールページ (ameba.jp)

 

 

 

全世界の子供たちの平和を願う歌でございます。花火

なんと、タケカワユキヒデさん一男五女

その内は一人は施設に居た子を養女にしたそうです。ベルベルベル

タケカワさんは、この歌にピッタリなお方ですね。

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特別養子縁組が施行された1988年グリーンハーツ

皆様はおいくつでしたかはてなマーク

当時流行った曲を集めてみました。爆笑

皆様の想い出曲を教えていただけると嬉しいです。お願い

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乾杯長渕剛さん

 

難破船中森明菜さん

 

ガラスの十代光ゲンジさん

 

SHOW ME森川由加里さん

 

素直にI'm Sorryチェッカーズさん