酒も好かない、煙草も呑まない。女関係は皆無で趣味も少なめ、といった話をすると、大体決まって言われるのが、何が楽しくて日々を過ごしているのか? だ。

ずんどこ理解できないし理解されないのも承知しているので、大体茶を濁して終わるのだが、ちゃんと言葉にするなら、何はなくとも生きてりゃ楽しい、になるだろう。
毎日飯が食えて寝る場所があって、たまの休日は気ままに過ごせる……さしあたっては過不足なしではあるまいか。
楽しみがどこにあるのかと言われれば、そりゃどっかで適当に見つけているわけで、その時は十分楽しいのである。

具体的な楽しさしか見いだせないというなら、その人は実に哀れだろう。余裕がないと言い換えても良さそうだが
カウンターが一つ増えた、程度の認識で早数年。いや、或いはもっと前から年代わりに関しては極度に醒めた見方しか出来なくなってます。何がめでたいと浮かれるのやら。

そもそも、「良いお年を」から続く年明けまでの一連の流れは、ひと昔では利かない昔の事情から起こった言葉であるわけで、そういった事情と無縁になった現代、まさに形骸化した文言でしかない。
この観点をうっかり持って以来、年末年始の騒ぎっぷりには呆れるほか無い。中年・老年の人々は習慣としか言えないにせよ、若年層は似たような感覚を持っていて、後十数年もしたらこれらの言葉は消えてなくなるだろう……

などと思っていたら、若年層が率先してバカ騒ぎしていた。日本人の遺伝恐るべし
オタクであっても構わない。それを誇ることも止めまい。なれど気持ち悪いオタクではないようにありたい。
気持ち悪い、とはこの場合、外見的な話ではなく、内面的醜悪を指す。そして内面の醜悪さが他人に露呈するとき、それはしばしば言動によって引き起こされる。
特定の言葉を用いない、ただそれだけでも醜悪さを悟られなくなるものである。気が向くままに、こと特定の言葉を並べて解説していきたいと思う。


ところでオタクの定義であるが、広辞苑的な括りではない定義付けをしておく。

排他的・排撃的な思考回路を持つ一方、強烈な承認要求を持っている人間

かなり曖昧に感じるかも知れないが、実際対象を最大化するために、具体性をすり潰した文言ではある。容姿願いたい。
これは俺の持論だが、オタクとは、特定の行動により分類されるのではなく、気質・思想によって自らも気づかないうちに「成る」ものであると思っている。
このため、厳密な意味での「オタクの定義」は不可能であるし、その気になれば自分を排して他者のみが当てはまるような(自分勝手な)定義付けも可能となる。
それを避けると、先述のようになってしまうという、話の前提構築兼言い訳で今回は終わり