日本共産党現役党員の松竹伸幸氏による『シン・日本共産党宣言』(文春新書)が刊行された。時を同じくして松竹氏が社員である日本共産党系の出版社である「かもがわ出版」から、これまた現役党員の鈴木元氏が『志位和夫委員長への手紙:日本共産党の新生を願って』という著作を刊行した。

 私は発売直前に松竹氏の著作の推薦人になっている内田樹氏へのインタビューで、著作内容等に関して話を聞いているが、今言える範囲でこの著作が発売された背景を私なりに考えたいと思う。

 まず、松竹氏も鈴木氏も日本共産党京都府委員会所属であるという背景が彼らを強気にさせている。京都が「共産王国」とも呼ばれる程の同党の金城湯地であるこはよく知られているが、それに加えて京都人特有の「中京主義」と呼ばれる自分たちこそが今でも日本の首都という自負心も相まって、代々木中央本部より「上」という意識の強い組織だということがある。また、志位氏の方針で選挙が連戦連敗を重ね、その長期にわたる委員長歴からも「いい加減にしないか」という声が党員・シンパから上がっているというのが現状である。ある党関係者によると「志位さんは、前回の総選挙(2021年)で『次の政権で政権に入ると公約した党首は100年の歴史で俺だけだ!』と舞い上がっていた」という。政権参加すると言っても入閣に立憲民主党が難色を示すので、「限定的な閣外協力」というものだったが、ボルシェビキ率いるレーニンになったつもりで大はしゃぎだったそうだ。こうした志位氏の態度につられてか、副委員長の田村智子氏などは「政権交代すると思ったから、『桜を見る会』はもう追及しなくて良いと思った」という趣旨の内容を選挙直後のtwitterで書き、即削除されるという事態も起きた。

 立憲民主党が大善戦しても精々は百何十というのがマスコミの選挙予想(実際は惨敗)だったので、政権交代などありえない状況だったが、その現実感覚のなさには呆れるばかりである。松竹氏の主張は平たく言えば「党首公選」を訴えるものだが、松竹氏をまさか除名にはできまい。今、一般党員の間でも「松竹支持」の声が広まっており、支部や地区など地方組織によっては「松竹派」が多数派を形成していると思われる。松竹派でなくとも熱心な「志位擁護派」は相当少ない状況であることは察するに余りあると言える。このテーマは他にも得ている情報が様々にあるので、マスコミ記事化するものを含めて今後も解説していきたい。